翌日の午前、久世家の本邸の奥書斎には、薄氷を踏むかのような張り詰めた緊張感が漂っていた。昨晩、蓮花の冷たい手技によって一度魔気を吐き散らしたおかげで、道真はどうにか身なりを正し、机の前に座ることができていた。蒼白に沈んだ顔色に涼やかな眼差し、乱れのない凛とした背筋は、まさしく江戸随一の清廉な当主の姿そのものであった。しかし、書物を握り締めている指先は、未だ昨晩の凄まじい快楽と脱力感の名残によって、微かに震えていた。筆を執れば手首に残る先走りの蜜の感触が脳裏に蘇り、震える筆先から墨が滲んでしまう。その時、用人の茂平が血相を変えて中庭を横切り、駆け込んできた。「と、殿! 一大事でございます!」道真は書物を置き、眉根を鋭く寄せた。「武家の屋敷で何をそのように取り乱すか。礼を尽くし、詳しく申し述べよ」「柳沢子明(やなぎさわ・しめい)様が、幕府の役人や目付方を引き連れ、玄関先へと乗り込んでまいりました! 殿のご不例をお見舞い申すという名目で、あろうことか奥書斎へ直に押し入ろうとしております!」ドクン。道真は広げていた上申書の上に手のひらを置いた。見舞いであるならば、まず使者を立てて意向を伺うのが筋である。彼は戸口へ向かおうとする用人を手振りで制し、奥の小部屋を振り返った。部屋の奥から微かに聞こえていた衣擦れの音が、そこでピタリと止まった。道真は机の上から手を引いた。指先に墨がついていた。柳沢子明。とうとう己に仕掛けた換陽の術の呪いが功を奏し、淫乱な狂人に成り果てたかどうか、自分の目で直接確かめに乗り込んできたに違いなかった。さらに背筋を凍らせたのは、今まさに奥の小部屋で、蓮花が道真の着替えを整えながら滞在しているという事実であった。「若様、煎じ終えた薬湯の滓は裏庭へ捨てましょうか……あら?」外の騒ぎを聞きつけた蓮花が戸を開けて出てこようとした瞬間、道真は雷のような速さで駆け寄り、彼女の口元を掌で強く塞いだ。「んむ……?!」「静かにせよ……! 政敵どもが乗り込んできたのだ。ここでそなたが見つかれば、我ら二人とも破廉恥罪で打ち首だぞ!」道真は蓮花を乱暴に引き寄せ、書斎の片隅に置かれた吉祥図を描いた大きな屏風の裏、狭い隙間へと無理やり押し込んだ。「息を殺しておれ。咳ひとつでもしてみろ、我が手で先に首を刎ねるぞ」道真の囁き声が震える唇の間から漏れ出
最終更新日 : 2026-10-13 続きを読む