All Chapters of 椅子に座りますか: Chapter 11 - Chapter 20

92 Chapters

第11話

「七つの大罪……!」 ようやく、犯人の意図が、一つの形として見え始めた。 最初の同時多発爆破、優先席を我が物顔で占領し、弱者を見下し、自分だけが座る権利を持つかのように振る舞った者たち。 犯人は彼らも『傲慢(プライド)』と定義したいのだろ。 そして、巨大な富と権力を握り、自らの利益のために社会を食い物にしてきた天楽建設の社長は、『強欲(グリード)』として処刑された。  ここまでの流れを整理すれば、犯人がただ無差別に人を殺しているわけではないことは明らかだった。犯人は、この腐敗した現代社会そのものを『七つの大罪』になぞらえ、そこに当てはまると自ら判断した人間を選び出し、独自の歪んだ正義によって一人ずつ裁こうとしている。 猟奇犯とも言える。テロリストでもあり、連続して人を殺すという意味ではシリアルキラーでもある。 だが、どの言葉も奴の本質を完全には言い表していなかった。 犯人は、自分自身をこの社会に蔓延する罪を裁く『執行者』だと思い込んでいるのだ。 しかし、私の背筋を本当に凍らせたのは、犯人そのものの狂気ではなかった。 その思想に熱狂し、進んで飲み込まれていく大衆の存在だった。 特設サイトのコメント欄はSNSと連携されており、書き込みは秒間数百件という異常な速度で流れ続けていた。そこに群がる人間たちは、裁かれようとしている者の顔もろくに知らず、名前すら知らない者も多い。どんな人生を歩んできたのか、犯人が提示した罪状のどこまでが事実で、どこからが一方的な主張なのかを確かめようともしていなかった。 彼らが見ているのは、画面に表示された数行の罪状と、犯人によって恣意的に切り取られた経歴や肩書きだけだった。 それだけの情報を材料にして、誰を殺すべきなのかを選んでいる。 まるでスマートフォンのゲームで、次に消去するキャラクターでも選ぶような気軽さだった。『暴食の二世クン、親のすね齧って税金で高級フレンチ食うとか最高に豚じゃんww 早くこんがり丸焼きにしてくれw』『色欲ジジイか? 弱み握って枕強要とかマジで吐き気。 社会的抹殺じゃ足りねえわ、物理で消し飛ばせ! ポチッとなwww』『傲慢ポリス大本命キターーー! 動画でイキってたあの無能なオールバックだろ!? 税金ドロボウが特等席で木っ端微塵になるとか最高のエンタメじゃん! 俺たちの
last updateLast Updated : 2026-10-26
Read more

第12話 

 全身の血液が一瞬で沸騰したかと思えば、次の瞬間には氷水を浴びせられたように冷え切った。 ホテルの焼け跡で見つけた降車ボタンから聞こえてきた、あの機械音声と同じだった。理知的で冷静でありながら、底にあるものはひどく冷酷だった。 奴は今、私のスマートフォンを完全に乗っ取っている。「……貴様」 私は乾いた唇を舐め、怒りを押し殺すようにスマートフォンへ向かって声を絞り出した。「一体、何が目的なんだ。警察の失態を晒し上げて、大衆にはお前が作った一方的な罪状だけを見せて煽って……貴様は、自分を神にでもなったつもりか!」 数秒の沈黙が流れた。 やがて、犯人は驚くほど穏やかな声で答えた。『神じゃない。僕は、ただの掃除夫さ』「……」『君の上司は、自らの保身のために本部長をたぶらかし、真実を隠蔽した』 スマートフォンの画面に、あの巨大なバスの降車ボタンが浮かび上がった。中央のオレンジ色のランプが、呼吸でもしているかのようにゆっくりと明滅している。『紛れもない――「傲慢」だ』 私は何も答えれなかった。『そして世間は、安全な匿名空間から警察の無能さを嘲笑い、他人の罪を娯楽のスペックとして消費している』 そこで犯人は一拍置いた。『僕はね、刑事さん。そんな罪人たちがひしめく、この国そのものが、巨大なバスの優先席だと思っているんだよ』「だからといって!」 私は堪えきれず声を荒らげた。「大衆に次の標的をアンケートで選ばせるなんて、ただの卑劣な殺人ゲームじゃないか!」 犯人は、ふっと笑った。 それはどこか哀しげでありながら、同時に心の底から私たちを軽蔑しているようにも聞こえた。『ゲーム? 違うな』 静かな声だった。『これは、この国で最も公平で民主的な【選挙】だよ、刑事さん』「選挙……だと?」『そうさ。本来、選挙というのは、国や地域を少しでも良くするために、自分たちの未来を誰かに託し、清き一票を投じるものだろう?』 私は答えず、スマートフォンを握り締めた。『だが、画面を見てごらんよ』 言われるまま、私はパソコンのモニターへ視線を移した。 そこでは、投票数もコメントも一瞬たりとも止まっていなかった。『現実の選挙には見向きもしないような連中が、ここでは目を血走らせて、狂ったように投票ボタンを押している』 私は絶え間なく流れる書き込みを見つ
last updateLast Updated : 2026-10-26
Read more

第13話 第三章:正義の代償

 私はアパートを飛び出し、深夜の東京へ車を走らせた。 街のネオンが雨に滲み、まるで無数の黄色い降車ボタンの灯火のように、不気味に瞬いている。 深夜の東京は、雨に濡れて黒く光っていた。 私は愛車である旧型のセダンのアクセルを踏み込み、人気のない首都高速を滑るように走った。ワイパーが一定のリズムでフロントガラスの雨粒を弾き飛ばす。その単調な音だけが、車内を満たす重苦しい静寂をいっそう際立たせていた。 特捜本部のデスクには、私の身分を証明する警察手帳と、愛用していたバッジを置いてきた。 理不尽な謹慎処分を受け、警察という巨大な組織から弾き出された今の私は、いかなるバックアップも受けられない。 ただの、孤独な猟犬だ。 それでも、不思議と恐怖や迷いはなかった。 あるのは、冷たく研ぎ澄まされた思考と、警察官としての執念だけだ。 実父を失って孤児となった私を引き取り、今も現役で現場に立ち続ける義父――真下修造。 私はあの人の背中を見て育った。 郷田のような傲慢な人間が牛耳る組織の理不尽に何度打ちのめされても、いつか父に、「一人前のデカになった」 そう胸を張って報告するために、今日まで泥をすすりながら積み重ねてきた。 その誇りさえ失わなければ、この暗闇も怖くはない。(待っていろ。お前のそのふざけた選挙ゲーム、俺が必ず終わらせてやる) 私はアクセルをさらに踏み込み、雨を切り裂くように黒いアスファルトの上を疾走した。(七つの大罪……) ハンドルを握りながら、犯人が作り上げた狂気の論理を頭の中でもう一度整理する。 最初の電車で標的となった者たち。 目の前にいる妊婦の苦痛を無視してゲームに興じていた男も、些細なことで周囲を威圧していた者たちも、皆が一様に、自分だけの「特等席」にふんぞり返っていた。 犯人は、彼らを『傲慢(プライド)』の大罪として裁いたはずだ。 そして昨日の夕方。 豪華なシャンデリアの下で黒焦げになった天楽建設の社長は、他者の血肉を啜るようにして富を独占した『強欲(グリード)』。 つまり、犯人は無差別に爆弾をばら撒いているわけではない。 社会のルールの網目をすり抜け、誰にも裁かれないまま「特等席」でふんぞり返っている大罪人たちを、自分だけの美学と基準で裁いている。 そして今、ネット上に公開された特設サイトでは、次なる生贄を
last updateLast Updated : 2026-10-26
Read more

第14話

 ――三年前。 私と、当時の相棒だった郷田は、連続爆破事件の犯人を追い詰め、とある雑居ビルでついに身柄を確保した。 だが、犯人を捕らえた時には、すでに事態は最悪の方向へ転がり始めていた。 犯人は逮捕される直前、ビル内の複数箇所に仕掛けていた時限爆弾を起動させていたのだ。下層階ではすでに二度の爆発が起き、建物全体が黒煙と炎に包まれている。コンクリートの壁には亀裂が走り、天井から細かな破片が絶え間なく落ち続け、いつ建物そのものが崩れ落ちてもおかしくない状態だった。 しかも上の階には、犯人を単独で追って返り討ちに遭い、縛り上げられた私の後輩刑事――日下部が取り残されていた。『現場は極めて危険だ。これ以上の犠牲は出せない。日下部は……見捨てろ。直ちに全員退避せよ』 無線の向こうから、安全な本庁にいる上層部の声が響いた。 迷いなど感じられない、冷酷な決定だった。『命令だ、真下』 隣にいた郷田も、私へ強い口調で言った。『俺たちは犯人を確保したんだ。任務は終わっている。これ以上の深追いは犬死にだぞ』 郷田はそれだけ言うと、最大の手柄となる犯人の身柄を連れ、安全圏へ向かって早々に踵を返した。 だが、私には日下部を置いていくことができなかった。 確かに上層部の判断は、組織として見れば正しいのかもしれない。 崩壊寸前の建物へ一人の刑事を救うために別の刑事を送り込み、さらに死者を増やす必要はない。犯人はすでに確保している以上、警察組織が優先すべきなのは、これ以上の人的被害を出さないことだ。 頭では分かっていた。 それでも、日下部がまだあの中で生きていると分かっていながら、自分だけ外へ逃げることはできなかった。 その時、なぜか遠い記憶の底から、一つの言葉が鮮明に蘇った。『救える命を救わないなんて、おかしいでしょ!』 いつ、誰に言われた言葉だったのかを考える余裕などなかった。ただ、その声だけが妙にはっきりと胸の奥に響き、私の足を建物の外ではなく、炎の中へ向かわせた。 私は命令に背き、単身、黒煙と炎が渦巻くビルの中へ戻った。 熱気で皮膚が焼けるようだった。崩れ落ちる瓦礫を避けながら階段を駆け上がり、煙で数メートル先すら見えない通路を手探りで進んでいく。 その途中だった。 電子ロックによって閉ざされた防火扉の前に、人影があった。 一人の男が配電盤
last updateLast Updated : 2026-10-26
Read more

第15話

 その向こうから、さらに濃い黒煙が流れ込んでくる。『……上の階だ』 男は青白い顔で私を振り返り、煙の中で薄く笑った。『若い刑事が一人、時限爆弾の横で縛られて転がされてる。時間はほとんど残ってない』「お前……何者だ」『今は、そんなことどうでもいいだろ』「犯人の仲間じゃないのか」 男は私を見た。『だったら、わざわざ爆弾を止めに来ると思うか?』 返す言葉がなかった。 後で知ったことだが、男はネット上で爆破計画の兆候を察知し、独自に犯人を追ってこの場所へ辿り着いていたらしい。そして爆発を阻止するだけではなく、犯人がサーバーに蓄積していた、脅迫や搾取に使われる弱者たちの個人情報まで消そうとしていた。 警察でもない。 正規の捜査権限もない。  むしろ、やっていることだけを見れば立派な犯罪だった。 それでも、その時この男が救おうとしていたのは、自分の利益とは何の関係もない人間たちだった。『なぜ、警察の命令に背いてまで来た?』 今度は男の方から尋ねてきた。『上層部は、その刑事を見捨てることを選んだはずだ』「俺の勝手だ! つうか、なんで知っている?」 私は油断なく銃口を向けたまま言い放った。『警察の暗号無線を傍受しているからだ。仲間を思う気持ちは立派だが、それで死んだらどうする?』「知らねえよ」『命令違反でクビを切られてもか?』「目の前で助けられる人間を置いて逃げるよりはマシだ」 男が僅かに目を細め、その口元に微かな笑みが浮かんだように見えた。 私は男へ向けた拳銃の引き金に指を掛けたまま、拘束するべきかひどく迷っていた。 不法侵入。 不正アクセス。 データの無断消去。 どれも警察官である私が見過ごしていい行為ではない。 正義とは、法を守ることなのか。 それとも、法を破ってでも、理不尽に踏みにじられる人間を守ることなのか。 目の前の男がやっていることを『正しい』と認めてしまえば、刑事である自分自身の足元まで根底から揺らいでしまう。 だが、現実には、警察組織は一人の若い刑事を『犠牲にしても仕方がない』と判断し、安全な場所から見捨てる命令を出した。 一方で、法律を破っている目の前の男は、自分とは何の関係もない弱い人間たちのデータを消し、日下部へ続く道まで開けようとしている。 どちらが正義なのか。 その答えが、分から
last updateLast Updated : 2026-10-26
Read more

第16話

 もちろん、すべての事件を完璧に解決できたわけではない。 二年前。  凶悪な脱獄犯がこの近隣に現れ、しばらく潜伏していたことがあった。 カラスはサイバー空間から奴の足取りをほぼ完全に捕捉してくれた。 だが、現場での私の僅かな遅れが原因で、あと一歩というところで取り逃がした。奴は、そのまま姿を消した。 あの時の苦い記憶は、今でも胸に残っている。 私たちは、決して万能のヒーローではない。 泥にまみれ、失敗し、それでも足掻き続ける。 互いが互いの、共犯者のようなものだった。 だが。 今日のカラスは、どこか違った。 モニターへ向かう背中が、いつもより重く沈んでいる。 声からも、普段の飄々とした調子が完全に消えていた。「情報が早いな」 私は濡れたコートを脱ぎながら、カラスの背後へ立った。「なら、私が何を探しに来たかも分かるだろう」「……だいたいはな」「例のアンケートサイトだ」 私は言った。「あれのサーバーの所在地と管理者を特定してくれ。本日の正午までに、あのふざけた公開処刑を止めなければならない」 カラスの指が止まった。 さっきまで猛烈な速度でキーボードを叩いていた手が、ぴたりと動かなくなる。 やがて、ゆっくりと椅子を回転させ、こちらを見た。 青白い顔でいつになく真剣な眼差し。 そして、その奥には、何かひどく痛ましいものを見るような色が浮かんでいた。「悪いが、それは無理な相談だ」「お前の腕なら、どんな強固なファイアウォールだろうと突破できるだろう」「そういう問題じゃないんだよ、真下」 カラスは椅子を戻し、メインモニターを操作した。 例のアンケートサイト。 その裏側で動く膨大なコードや接続状況らしき情報が、青白い画面へ次々と表示されていく。「あのサイトの構造そのものが、物理的に『止められない』ように作られている」「どういう意味だ」「あのサイトは、どこか一つの巨大なサーバーで動いているわけじゃない」 カラスは画面の一部を拡大した。「ブロックチェーンやP2Pの仕組みを極端に応用した、完全な分散型ネットワークだ。簡単に言えば、今この瞬間も、あのサイトへアクセスして投票している大量のスマートフォンやパソコンそのものが、ネットワークを維持する一部として働いている」「……利用者の端末そのものが?」「ああ」 カラ
last updateLast Updated : 2026-10-26
Read more

第17話

*  *  * 私は、車で仮眠を少し取ることにした。  夜が明けた。東京の空は、厚い雲に覆われていた。 午前十時。 寝過ぎてしまった。 タイムリットまで、残り2時間! 眠たい目を擦りながら助手席に置いたスマートフォンを開いた、例の特設サイトが表示されている。 そこに刻まれた数字を見て、私は眉をひそめた。 総投票数――十三万票。 深夜の段階では拮抗していた四人の「大罪人」への票が、朝になって一気に動き始めている。 原因は明白だった、朝のニュース番組。 各局が、この異常な特設サイトの存在を、モザイクや伏せ字を交えながらも大々的に報じてしまった。 その結果、好奇心に駆られた野次馬たちが、一斉にサイトへなだれ込んだのだ。 そして現在のトップは、他でもない。 警視庁特捜本部の現場指揮官。『傲慢(プライド)』 郷田管理官だった。『警察の隠蔽、マジで許せない!』『無能な警察トップに鉄槌を! 俺たちの力で社会を変えようぜ!』『傲慢ポリスに一票www 爆発するところ生配信してくれ!』 書き込みは、猛烈な勢いで増え続けている。 大衆の怒りは、明確に「特権階級としての警察」へ向けられていた。 自分たちの税金で給料をもらい。 偉そうに振る舞い、真実を隠し、しかもテロリストに後れを取っている。 その不満のすべてが、動画によって顔を晒された郷田という、あまりにも分かりやすい標的へ集中していた。 私は江東区の臨海エリアへ向かって車を走らせながら、ハンズフリーで郷田の直通回線を呼び出した。 何度目かのコールでようやく繋がる。『……誰だ。私は今、マスコミ対応の準備で忙しい』「真下です」 一瞬、向こうが黙った。「郷田管理官。今すぐ安全な地下施設か、防護設備の整った場所へ避難してください」『真下だと?』「ネットの投票で、あなたが次の標的に選ばれようとしています!」『貴様、謹慎中の身でどこからこの回線に――』「私の処分など、どうでもいい!」 私は声を荒らげた。「犯人は本気です! 天楽建設の社長をピンポイントで殺した手口を見れば分かるでしょう!」『……』「奴の仕掛けは、すでにあなたの『特等席』へ届いている可能性があるんです!」 数秒。 沈黙。 そして、郷田は、鼻で笑った。『お前も、世間の愚民どもと同じように、あのふざ
last updateLast Updated : 2026-10-26
Read more

第18話

 サーバーを囲むようにして、何十枚ものモニターが円形に配置されていた。 そのすべてに、現在のアンケートサイトの投票状況。 SNSのコメントが増え続ける数字。 死を望む言葉、それらが滝のように流れていた。 まるで、大衆の狂気を、この部屋の中央へ集約するために作られた祭壇。 私は鉄パイプを握ったまま、ゆっくりと部屋の中央へ近づいた。 その瞬間、カチッ微かな電子音が響いた。「……!」 周囲のモニターが一斉に暗転する。 次の瞬間すべての画面へ真っ黒な背景。 脈打つ赤い波形、あの映像。『――よく来たね、真下刑事』 スピーカーから声が響いた。『いや。さすがと言うべきか』 私は即座に鉄パイプを構え、周囲を見回した。 だが。 誰もいない。『謹慎中の身で、たった一人で僕のシステムの中枢まで辿り着くとは』「姿を現せ!」 私は叫んだ。 声が、広い地下室へ反響する。「貴様のふざけたゲームもここまでだ!」 サーバーラックへ鉄パイプの先を向ける。「ここを止めれば、次の処刑も止まる!」 犯人が小さく笑った。『どうぞ』「……何?」『その鉄の棒で、叩き壊せばいい』 あまりにもあっさりした返答だった。『物理的に破壊されれば、システムは停止する』 私は振り上げかけた腕を止めた。 おかしい、私が犯人の機械システムまでたどり着いたというのに、そんな簡単に負けを認める?あり得ない!『ただ』 犯人の声が、僅かに低くなった。『その前に、一つだけ教えてあげよう』「……」『今、ぶっちぎりのトップである郷田管理官の【傲慢の椅子】』 赤い波形が、嘲笑うように揺れる。『僕は、どうやってそこへ爆弾を仕掛けたと思う?』「……何?」『警視庁の中枢は、セキュリティの塊だと思っているだろう?』 私は黙った。『でも、外部の業者が大勢出入りする記者会見の会場設営となれば、話は別だ』「まさか……」 全身から血の気が引いていく。『そう』 声が笑う。『彼が座る予定の「特等席」だよ』「……椅子に……?」『壇上に用意された、管理官用の椅子』 私は時計を見た。 午前十一時五十五分。 正午まで。 あと五分。『そこにはもう、仕掛けがある』「……!」 背筋が凍りついた。 今ごろ郷田は、警視庁本部の講堂で開かれる記者会見へ向かっているはずだっ
last updateLast Updated : 2026-10-26
Read more

第19話

【00:59】【00:58】 数字が、一秒ごとに減っていく。 右側のモニターでは、郷田が壇上に用意された椅子に座っている。 左側では、殺意に満ちたコメントが滝のように流れ続ける。『死ね!』『傲慢な警察トップを吹き飛ばせ!』『俺たちの手で処刑してやる!』 彼らは、本当に理解しているのだろうか。 自分たちがいま、一人の人間の命を奪う決定に加担していることを。 おそらく、ほとんどの者は考えてすらいない。 画面を一度押す。 ただ、それだけ。 ゲームの投票と変わらない。 その指先の向こう側に、現実の命があるという感覚が完全に失われている。【00:30】 鉄パイプを握る手が、カタカタと震えた。 郷田を救う価値など、本当にあるのか、あの男は、自分の出世のために私を利用した。 私が命を懸けて拾った手柄を奪い、都合が悪くなれば切り捨てた。 今回も、自分たちの失態を隠すために事件の真実を歪め、私を不当に捜査から外した。 腐りきった男だ。 もし、ここで郷田が死ねば。 警察組織の膿が、一つ消えるのではないか。 あの男の死をきっかけに組織全体が揺さぶられ、一度は徹底的に壊され、今より健全な形へ生まれ変わる可能性さえあるのではないか。 犯人の言う通り、私が何もしないことこそが、多数決によって選ばれた「正義」なのかもしれない。 十五万人が望んでいる。 私一人だけが、それを否定する権利などあるのか、なぜ、あんな男のために、どうして私が。 あと数十秒。 ただ待っているだけで、私を散々踏みにじってきた、あの忌まわしい上司は――。(……待て) その考えが頭をよぎった瞬間、私は自分自身に戦慄した。 違う。 これは「正義」ではない。 私はいま、見殺しにしても構わない理由を探している。 郷田を憎んでいるから、救いたくないから。 だから、十五万人という数を言い訳にして、自分の責任を放棄しようとしている。 多数決という顔のない狂気へ判断を委ね、自分は何もせず、ただ結果だけを眺める。 それでは私は、刑事でも何でもない。 ただの傍観者だ。 そして――。(これこそが……『怠惰』(スロース)じゃないのか) 背筋に電流が走った。 助ける価値のない人間なら、見捨てればいい。 悪人なのだから仕方がない。 大勢が死を望んでいるのだから、自分
last updateLast Updated : 2026-10-26
Read more

第20話

『ここにあったのは、大衆の投票結果を受け取り、現在トップだった郷田管理官の椅子へ向けて、現実世界側の処刑システムを作動させるための【第一ゲートウェイ】に過ぎない』「……第一?」 心臓を氷の刃で撫でられたような悪寒が走った。『四人の大罪人へ用意した公開処刑だ。当然、そのための中継地点も一つだけじゃない』「まさか……」『残り三人のための設備は、東京の別々の場所へ、それぞれ独立して隠してある』「な……」 私はモニターへ詰め寄った。「別の場所だと!?」『考えてみれば分かるだろう?』 犯人の声は静かだった。『四十万人近い大衆が注ぎ込んだ熱狂――いや、殺意が、中継設備を一つ壊した程度で綺麗に消えてなくなると思ったのかい?』 モニターの降車ボタンが点滅を始める。『第一ゲートウェイが破壊された場合に作動するフェイルセーフ』「……」『第一候補を対象外にすると同時に、次点――第二候補を繰り上げる』「……なんだと!」 血の気が引いた。『君が第一の通信を止めたことで、システムは郷田を「対象外」と判断した』「やめろ……」『そして行き場を失った十五万人の熱狂は、その瞬間、次点へ移った』「やめろ……!」『そう』 犯人が囁く。『今、この瞬間。東京の別の場所にある第二のゲートウェイが、第二候補側の処刑システムを待機状態へ切り替えた』「やめろッ!!」 私は叫んだ。 第二の設備がどこにあるのか。 まったく分からない。 今から探し出す時間もない。 ましてや、どうやって止めればいいのかすら分からない。 私が「正義」のつもりで振り下ろした鉄パイプ。 それが結果として。 別の誰かの死へ繋がった?『もう止まらないよ』 犯人の声が、冷たい地下室へ響いた。『君が無理やり郷田の特等席を空けたせいで、次の乗客に席が回ったんだ』 一拍。『……君自身の手でね』「やめろッ! ふざけるな!!」 私は鉄パイプを握り締め、モニターへ怒鳴った。 だが、犯人は止まらない。『君が振り下ろした、その「正義の鉄槌」が、どんな結果を生むのか』「……」『君自身が選んだ結果だ』 静かな声。『ゆっくり、特等席から見届けるといい』 プツン、無機質な音、モニターが完全に消えた。 あとに残ったのは、冷たい地下室とカビと錆の匂い。 そして。 遠く離れたどこか
last updateLast Updated : 2026-10-26
Read more
PREV
123456
...
10
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status