翻訳の面白さって、小さな語の選び方で印象がガラリと変わる瞬間に表れると思う。英語版とオリジナル日本語版を繰り返し見比べていると、たとえば言葉の強さや主語の立ち位置、そして登場人物の自己像が微妙にずれていく箇所に何度も出くわす。『Re:ゼロから始める異世界生活』の場合、そうした“ずれ”が物語全体の受け取り方にじわじわ効いてくるのが面白く、かつ注意深く観察したくなる。僕が気づいた代表的なパターンをいくつか挙げるね。
まず最も目立つのが固有名詞や専門用語の扱いだ。たとえば「死に戻り」。直訳にあたる "Return by Death" や "Return by Dying" といった表現は意味を正しく伝えている一方で、日本語の持つ運命的・反復的な響きや、本人の受け止め方にまつわる重さを完全には再現しきれないことがある。翻訳者によっては "Reset" 系の語を使って説明的に寄せることもあり、その結果「ただの能力の説明」に聞こえてしまう場面があるんだ。原語では死を伴う苦痛とその孤独さが含意されているのに、英語では機能的・ゲーム的に受け取られる危険が出てくる。
次に台詞の一人称や口調の変化。主人公の語りや内心描写は、英語で "I" やフォーマルな構文に落ち着けられることが多いから、日本語特有の荒々しさや自己
卑下のニュアンスが薄まることがある。具体的にはスバルが自分を責める場面や感情が滲む独白で、英語字幕・吹替がやや“説明的”に変えられてしまうと、視聴者は彼の壊れかけた精神状態を原語ほど直接的に感じにくくなる。逆に感情を直接的に翻訳して "I'm useless" や "I'm a failure" のように強めてしまうケースもあって、ここでも印象が左右される。あと、女性キャラの告白や感情表現も注意ポイントだ。日本語の「好きです」には照れや含みが多層にあるけれど、英語で "I love you" と直訳されると、語の重みが日本語より重く響いてしまい、その場の空気感が変わることがある。
声優演技の差も見逃せない要素だ。英語吹替は演技トーンや間の取り方が異なるから、同じ台詞でも受け取り方が大きく変わる。怒りや絶望の瞬間で英語版が抑制的なら、視聴者の共感が薄くなるし、逆に過剰に感情を盛ると元の繊細さが失われる。全体として言えるのは、翻訳は単なる言葉の置き換えじゃなくて作品の“声”をどう再現するかの作業だということ。細部の言い回し、主語の扱い、語の強弱が積み重なって、英語版で感じるキャラクター像やドラマの重心が微妙にずれてしまう場面がいくつもある。だから原作に寄せた翻訳を求めるファンの議論が盛り上がるのも納得できるし、両方を見比べることで作品の別側面が見えてくるのもまた楽しみの一つだ。