平安時代の悪役令嬢は婚約破棄します!

平安時代の悪役令嬢は婚約破棄します!

last updateÚltima atualização : 2026-05-29
Por:  月夜野 すみれAtualizado agora
Idioma: Japanese
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とある貴族の大姫は暴走した牛車にひかれて転生した。 生まれ変わったのは、また平安時代の貴族の姫(大君)。 ただ――どうやら大好きだった物語に出てきた主人公の姫君をいじめる悪役の姫に生まれてしまったみたい。 その物語は今の中宮が入内する前に起きた話を中納言家の話に置き換えた暴露話と言う噂があった。 しかも物語の主人公と思われる姫君は行方知れずになったと言われている。 大君は肩入れしていた物語の姫君の恋を応援すると決意する。 悪役は自分なんだから簡単ですわ!と言いたいところだけれど――。 アルファポリス版や小説家になろう版に少し加筆してます。

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Capítulo 1

第一話 物語の始まり

 牛車ぎっしゃというのは当然だが牛が引いている。

 当たり前だが引いている牛が暴走すれば牛車も暴走する。

 これが意外と速い。

 そして牛の暴走というのはそれほど珍しくなかった。

 何が言いたいのかというと――。

「牛車が暴走した!」

「誰か止めろ!」

 という道行く人達の声に振り返った瞬間、牛車が突っ込んできてね飛ばされ意識を失った。

「姫様! 気が付かれましたか!?」

 目を開けると乳母子めのとごのトメがいた。

「ようございました。三日もうなされてらっしゃって……」

「心配いたしましたよ」

 周りを取り囲んでいた他の女房達も次々に言った。

 外からは陰陽師や僧侶達の祈祷きとうの声が聞こえてくる。

「私、一体どうして……」

 意識を失っている間に前世の記憶を取り戻し、現世の記憶もそのままである。

 だから自分が今は水弥みやという名の左大臣の大君おおいぎみ(長女)だということは分かる。

 問題は何故今の自分が意識を失っていたのかが分からないということだ。

「今、都で流行っている痘瘡もがさ(天然痘)にかかられたのです」

 トメが教えてくれる。

 そう言われてみれば、ここ二、三日なんだか気分が優れないと思っていたのだが――。

 痘瘡でしたのね……。

 そういう理由なら意識を失って当然だ。

 むしろ高熱で苦しい時に意識がはっきりしている方がイヤですわ……。

「お顔には痕が残らなくてようございました」

 トメが顔を覗き込みながら言う。

 痘瘡というのは痘痕あばたが残る。

 だから痘瘡に罹る前の娘や娘を持つ親は「痘瘡に罹っても命と顔は無事ですように」と祈るのだ。

 まぁ、夫以外の男性に顔を見せることはないし、飛ぶ鳥を落とす勢いの左大臣の娘だから器量が悪かったところであまり関係ないが。

 左大臣の娘に求婚してくる男は出世の手伝い目当てだからだ。

 父がちゃんと夫の出世を手伝ってくれれば私が粗末に扱われることはないだろう。器量はいいが貧しい家の娘を別の妻にすることはあるだろうが。

 ……って、私って意外とめた物の見方しますわね。

 前世では継母ままははにいじめられている物語の主人公に同情して「なんて可哀想なの」と涙するような素直で心優しい性格だったはずなのに。

 自分で言うな、という感じだが、今の自分は別人なのだから別にいいだろう。

 死んだ人を悪く言うものじゃないわよね?

 けど……。

 前世のことを覚えているなんて話は物語でしか聞いたことがない……(その物語ですらまれ)。

 それはともかく、どうやら前世の私は牛車にかれて死んだらしい。

 中々恥ずかしい死に方ですわね。

 牛車の暴走はそこそこあるからねられて死ぬこと自体は珍しくないのだが、滅多に外出しない貴族の姫がたまたま道を歩いているという事はあまりない。

 だから牛車にかれて死んだ姫がいるという話は聞いたことがない。乗っていた牛車が暴走して死んだ姫ならいるが。

 暴走牛車にねられるような恥ずかしい死に方など思い出せなくて良かったのに……。

「姫様、まだ寝ておられた方がよろしいですよ」

「薬湯をお持ちしましょうか?」

 という女房の言葉に慌てて目をつぶって寝た振りをする。

 薬湯というのは死ぬほど苦いんですのよ。

 暴走牛車に跳ねられて死んで、その次の死因が苦い薬湯を飲んで死んだなんて立て続けに恥ずかしい死に方はしたくない。

 実際まだ治りきっていなかったからか目を閉じるとすぐに意識を失った。

「姫様! 物語の続きが手に入りました」

 キヨの声に目を開けるといつもの自分(少納言の大姫)の部屋だった。

 牛車にかれて死んだような気がしたけれど……。

 気のせいだったらしい。

 貴族の娘である自分が外に出るはずがないのだ。

 もちろん貴族の女性だって全く外出しないわけではない。

 女房として出仕しゅっしすることもあれば、物詣ものもうでと言ってお寺に泊まり掛けで出掛けることはある。

 ただ、出仕はともかく物詣には金が掛かる。

 うちにそんな余裕はない。

 貴族だからと言って金持ちとは限らないのだ。

 金のない貴族の娯楽と言えば物語を読むことくらいである。

 手持ちの物語が少ないから同じものを繰り返し読む。

 見なくても暗唱あんしょうできるようになるくらい繰り返し読む。

 だからみんな新しい物語に飢えていた。

 なので、たまに誰かが物語を貸してくれるとみんな飛び付くし、それを借りるという手柄を立てたキヨも誇らしげなのだ。

「キヨ、早く読んで」

 妹の三の姫がキヨにせがむ。

 息子でも娘でも、というか庶民は知らないけど少なくとも皇族や貴族は男女を問わずいみな(名前)で呼ばれることはほとんどない。

 姫はどこの家も長女は大君おおいぎみか大姫、次女は中の君か中の姫か二の姫、あとは三の君(か三の姫)、四の君(か四の姫)と呼ばれる。

 私は長女だから大姫、妹が二の姫と三の姫だ。

 それはともかく、紙は貴重だから、まず読んでみて手元に残してもいい話だけ書き写すか決めるのである。

 金持ちならいざ知らず、うちは金がないから紙は一枚たりとも無駄に出来ないのだ。

「はい」

 キヨは本を開くと読み始めた。

「北の方(ここでは継母ままははは)、きみ(ここでは主人公の姫君)のい給うはかまの……」

「この前のお話の続きね!」

 物語を聞いて妹(二の姫)が嬉しそうな声を上げる。

 これは今、都で一番人気がある物語なのだ。

 最初、世間の人々はこの物語をよくある〝継子ままこいじめたん〟だと思って読んでいた。

〝継子いじめ譚〟というのは読んで字のごと継母ままはは継子ままこをいじめる話だ。

 まんまの説明で申し訳ない――。

 大抵の場合、継子は大貴族の青年に見初みそめられて結婚し、ツラく当たっていた継母を見返して終わる。

 何故そんなありきたりで手垢の付いた話が人気なのか?

 娯楽が少ないから。

 他の時ならこれが正解なのだが、この物語は違う(まぁその話はまた後で)。

 それはともかく、この物語の主人公の姫君は継母から毎日毎日、夜遅くまで縫い物をさせられていた。

 時には夜通し!

 遅れると継母にいじめられるのだ。

 そして、この物語も最初は継子いじめ譚で良くあるように青年と知り合って恋仲になった。

 その青年と姫君は幼馴染みだったのだが、しばらく疎遠になっていたのだ。

 姫君は幼馴染みの青年と再会し、互いに想いを寄せるようになった。

 ここまでは予想通りで、後は青年が実は大貴族の御曹司おんぞうし(継母よりもずっと上の身分)だったという事が明かされて姫君は北の方として迎えられ(夫が妻の元に通うのではなく、夫が妻を引き取ることもあるんですのよ)幸せに暮らす――と、みんなが思っていた。

 だが姫君と青年が親しくなったところで別の姫が出てきて主人公の姫君を邪魔するようになった。

 北の方が主人公の姫君にツラく当たるだけなら分かる。

〝継子いじめ譚〟とはそういうものだ。

 でも継子いじめ譚で他所よその姫が恋路の邪魔をしてくる話はあまりない。

 恋愛ものと継子いじめ譚は別ものだからだ。

 そんな時に――。

〝女(邪魔をしてくる姫)、(庭に落ちている)孔雀の羽を(乳母子めのとごに)拾わせ給いて――〟

 という一文が出てきて読者は(もちろん私も)、

「えっ……!」

 と、なった。

 というのも孔雀がいるのは内裏を除けば左大臣のやしきだけだからだ。

 右大臣がまだ大納言だった頃、左大臣家の孔雀を羨ましがって何度か左大臣家の孔雀の様子を日記に書いていたくらい珍しい鳥なのである(毎日内裏で見てるでしょうに……)。

 内裏の庭をうろうろしているので貴族なら孔雀がどんな鳥かは知っている者が多いが、逆に言うと内裏と左大臣邸にしかいないくらい珍しいのだ。

 少なくとも中納言の邸の庭に孔雀がいるはずがない。

 でも、物語おはなしだし――。

 庭に孔雀がいても、まぁいいんじゃない?

 一度はそう思い掛けた。

 ところが――。

〝青き···の香炉(で乳母子に香を)、かせ給ひて――〟

 という一文が出てきた。

 この「おほむ」って何?

 都中の者達が首を傾げ、その中の誰かが博識な人に訊ねた。

 するとその博識な人は「それは鸚鵡オウムという唐土もろこしにいる人の言葉を話す珍しい鳥のことだ」という答えたらしい。

 てっきり「おほむ」というのは材質か何かの名前かと思ったのだが――。

 中納言家に――孔雀や鸚鵡オウム

 と思っていると、別の誰かが今の中宮(帝の妃)は鳥が好きで青い鸚鵡オウムの香炉を愛用しているという話を聞き付けてきた。

·(邪魔をしてくる姫が)、(庭に落ちていた)孔雀の羽を拾わせ給いて――〟

 今の中宮は左大臣家の大君だ(それも邸の庭に孔雀がいる!)。

 もしも、この〝女〟が左大臣の大君なら青年は今上帝という事になる。

 実は今上帝が春宮だった頃、幼馴染みで相思相愛の姫君がいた――と言われている。

 そしてそれは左大臣の大君ではなかった。

 幼馴染みの姫君もそれなりに身分が高く、いずれ入内するだろうと言われていたらしい。

 ところがそこに左大臣の大君が割り込んできた。

 そして、幼馴染みの姫君に様々な嫌がらせをした挙げ句、左大臣の大君は先に春宮に入内して妃になった――と噂されていた。

 複数の妻を持つのは普通だし、ましてや帝の妃が一人というのはまずないから左大臣の姫君が入内したところで別に問題はない。

 幼馴染みの姫が入内していれば良くある話だから誰の興味もかなかった。

 恋の話の部分がちょっと珍しい継子いじめ譚で終わっていただろう。

 そうはならなかったのは幼馴染みの姫は左大臣の大君が入内したのと同じ頃に行方をくらましてしまったからだ――と言われている。

 それで、この話は今上帝の春宮時代に起きた話を実在しない中納言家に仮託かたくして書いているのではないかと、まことしやかに噂されるようになったのである。

 つまり、この物語に書かれているのは今上帝が春宮の時代に実際にあった話。

 それも失踪者まで出た!

 そりゃ誰だって食い付きますわよね?

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第一話 物語の始まり
 牛車というのは当然だが牛が引いている。  当たり前だが引いている牛が暴走すれば牛車も暴走する。  これが意外と速い。  そして牛の暴走というのはそれほど珍しくなかった。 何が言いたいのかというと――。「牛車が暴走した!」 「誰か止めろ!」  という道行く人達の声に振り返った瞬間、牛車が突っ込んできて撥ね飛ばされ意識を失った。 「姫様! 気が付かれましたか!?」  目を開けると乳母子のトメがいた。「ようございました。三日もうなされてらっしゃって……」 「心配いたしましたよ」  周りを取り囲んでいた他の女房達も次々に言った。  外からは陰陽師や僧侶達の祈祷の声が聞こえてくる。「私、一体どうして……」  意識を失っている間に前世の記憶を取り戻し、現世の記憶もそのままである。 だから自分が今は水弥という名の左大臣の大君(長女)だということは分かる。  問題は何故今の自分が意識を失っていたのかが分からないということだ。「今、都で流行っている痘瘡(天然痘)に罹られたのです」  トメが教えてくれる。 そう言われてみれば、ここ二、三日なんだか気分が優れないと思っていたのだが――。 痘瘡でしたのね……。 そういう理由なら意識を失って当然だ。 むしろ高熱で苦しい時に意識がはっきりしている方がイヤですわ……。「お顔には痕が残らなくてようございました」  トメが顔を覗き込みながら言う。 痘瘡というのは痘痕が残る。  だから痘瘡に罹る前の娘や娘を持つ親は「痘瘡に罹っても命と顔は無事ですように」と祈るのだ。 まぁ、夫以外の男性に顔を見せることはないし、飛ぶ鳥を落とす勢いの左大臣の娘だから器量が悪かったところであまり関係ないが。  左大臣の娘に求婚してくる男は出世の手伝い目当てだからだ。 父がちゃんと夫の出世を手伝ってくれれば私が粗末に扱われることはないだろう。器量はいいが貧しい家の娘を別の妻にすることはあるだろうが。 ……って、私って意外と覚めた物の見方しますわね。 前世では継母にいじめられている物語の主人公に同情して「なんて可哀想なの」と涙するような素直で心優しい性格だったはずなのに。 自分で言
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第二話 孔雀と鸚鵡(オウム)
「……男(姫君の幼馴染みの青年)、花を見給いて……」 「この花を姫君に届けさせたのね!」  二の姫が、はしゃぐ。「届けさせようとしただけですよ。受け取ったのは女(邪魔をしている姫)です」  キヨが言った。 まぁ言わなくてもお分かりでしょうけど――。 姫君に花を届けさせようとしたけど何故か女が受け取ってしまった、というのは実際にあった話なのだ。  といっても「幼馴染みの姫君に届けさせようとした」の部分は噂話。 吉野に咲く桜を見ていたく感動された春宮は幼馴染みの姫君にも見せたいとお思いになり、一本の木の枝を全て切って姫君に届けるようにとお命じになった。 ところが何故かその大量の枝は幼馴染みの姫君ではなく左大臣家に届いた――と言われている。 左大臣家に桜の枝が届いたという部分以外は噂話なのだけど――。 噂話を信じるのは軽率?  根拠はないんだし――。 ――と、思うでしょ? ところが大量の桜の枝が左大臣家に届いたのは本当の話なのだ。  もちろん私は見てないけど左大臣家には沢山の使用人がいたから突然届いた山のような桜の枝を見た人は大勢いる。 というか使用人で見なかった者は一人もいない(という話だ)し、吉野から次々と列をなして運ばれてくる荷車に積まれた桜の枝は近所の人達どころか道を行き交っていた人達も見たらしい。 だから当時、都ではすごい噂になった――と言われている。  ついでにいうと――。 桜は枝を切ると枯れてしまうと言われている。  そして吉野には枝を全部切られて枯れた桜の大木がある。 実は『今上帝が春宮だったころ枝を切らせて枯れた桜の木』は吉野でちょっとした名物になっているそうだ。 まぁ桜じゃなくても枝を一本残らず切られたら大抵の木は枯れると思うけど……。 いやいや、元々左大臣の姫の方に贈ったんでしょ、と主張する人も勿論いる。  でも春宮と左大臣の姫は幼馴染みではない――けど大事なのはそこではない。 鸚鵡なんて鳥が唐土にいる、なんて話を知っている人は少ない。 天皇家の歴史を綴った歴史書には名前が出てくるらしい(大昔に唐土から贈られてきたものの中にその鳥が出てくる)から知ってる人はいるだろう。男手(漢字)だけで書かれた(要は漢文の)
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第三話 婚約者と新しい妹
 ないのだ。  あの物語を今世で読んだ記憶がない。 有名だし大人気だったはずなのに前世のことを思い出すまで私はあの物語を知らなかった(当然、持っていませんわ)。 生まれ変わっても私の好みはあまり変わっていなかったらしく、やはり物語が好きで沢山の本を持っていた。 まぁ金持ちであろうと、なかろうと貴族の姫の楽しみは限られている。  乳母子を始めとした女房達とおしゃべりをするか囲碁を打ったり貝合をするか物語を読むか、である。 囲碁や貝合は苦手だから、そうなると女房達とおしゃべりか物語を読むかだが話をするにしても話題が必要でしょ? お父様の、 「孔雀うるせー!」 「帝の猫がまだ墨が乾いてない書類の上を駆け抜けていったから書き直しになった!」 「内裏に出た狐を警護の武士が射殺してしまったから処分すべきかどうかを話し合った」  なんて何度も話題にするようなことではない。 特に狐を射殺した武士を処罰しろ、なんて普段狐狩りをしてる貴族がどの口で言ってるのよって思いません?「トメ、読みたい物語があるのだけど……」  私(左大臣の大君の方)はトメに言った。 身体は大分良くなり、もう起きていた。  脇息にもたれてはいたが、これは元気なときでもすることだから体調とは関係ない。「お加減はよろしいのですか?」  トメが心配そうに訊ねる。「持ってないからお父様に手に入れて下さるように頼んでほしいの」 「分かりました。どのような物語でしょうか?」  トメの問いに私は思い出せる限りの話をした。 何しろ物語には名前が付いていない。  話一つ一つには章題がある(こともある)のだが物語自体には名前がない。どの物語にも。 言葉を尽くして説明していると、 「ーーーーー!」  大きな鳴き声に遮られた。 孔雀である。 そう、うちにもいるのだ。孔雀が。 雌だから地味な色をしていることもあって雉子と間違えられることもあるのだが孔雀である。 それはともかく――。  私の説明を聞いたトメが考え込む。 何しろ私も前世を思い出すまではそんな物語は知らなかったのだ。 もしかしてあの後、結局普通の継子いじめ譚として終わってしまったから後世に残らなかったのだろうか? いくら説明してもトメ
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第四話 橘の香の人
「春宮様、あちらへお逃げ下さい」  目の前の人が言った。  若い男性の声だ。「分かった」  春宮が逃げていったのと入れ違いに複数の足音が近付いてきた。  警護の者達に私の声が届いてしまったらしい。 私が急いで二の姫の寝所に入ると男性は妻戸に立って中が見えないようにしてくれた。「何があった!」  駆け付けてきた随身(警護の者)達に、 「春宮様はあちらへ行かれた」  若い男性が答える。 随身達は春宮が逃げた方向へ足早に向かった。「二の姫、大丈夫?」  私の問いに二の姫が震えながら頷く。「もう大丈夫だから寝なさい」  私がそう言うと二の姫は素直に横になった。「二の姫に付いていましょうか?」  男性が言った。「あなたが寝所に押し入らないって保証は?」 「ありません」  男性がおかしそうに答える。「ならお断りするわ」 「春宮の誘いを断って良かったんですか?」  男性に聞かれた。「春宮様は明日の晩と明後日の晩も来られるの?」  私の問いに、 「いいえ、明日からしばらく方塞りでこの邸には来られません」  若い男性が返答する。 方塞り、または方忌みというのは神様が滞在していて行かれない方角である。 自分の邸から見て神様が滞在している方向に行くと祟られてしまうのでいかれないのだ。  神様は何柱もいて、それぞれが移動しては一定期間滞在する。「なら遊びじゃない。お断りよ」 どの神様で方塞りなのかは知らないが婚姻というのは三日連続で通ってこなければ成立しない。 一日でも来られない日があるなら、そしてそれが事前に分かっているなら、それは遊びなのだ。  まぁそれ以前に春宮は通い婚ではないが。 子供に遊びで手を出そうとするなんて信じられませんわ!「……殿」  誰かの呼ぶ声がした。  なんと言ったのか聞き取れなかったがこの男性の名前のようだ。「それでは」  若い男性は橘の香りを残して行ってしまった。  ――ということがあったので春宮はどうしても好きになれないのだ。 お母様の話は続いていた。「聞いていますか。あなたは春宮様に……」 「お母様、私の名前に『子』が付いたら『みやこ(都)』になってしまいますわ」  私が苦し紛れに
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第五話 中の君の幼なじみ
「とてもお優しくしていただきました」 中の君が懐かしそうな表情で言った。 優しかった理由が子供だったからではないといいのだけれど……。「姫様」 トメの声で我に返った。 私が身振りで中の君に渡すように指示する。 トメが中の君に孔雀の羽を差し出した。「見事と言うほどではないけど……」「いいえ! とてもきれいです! ありがとうございます!」 中の君が嬉しそうな表情で受け取る。「春宮様から孔雀の話をうかがって以来、ずっと見てみたいと思っていたんです」 ああ、なるほど……。 内裏には孔雀がいるから……。 だとしたら猫を飼っていた幼馴染みというのも春宮だろう。 帝は猫を飼っているから春宮も飼っていてもおかしくない。「春宮様は狐もお好きみたいでよく狐の鳴き真似をなさっていました。だから狐狩りもお好きではないとか」 中の君が遠くを見るような表情で言った。 もしかして狐を射殺した武士を処罰しろって言ったのは春宮なのかしら……。 春宮は朝議(公卿の会議)には出ないと思ったけど……。 誰かに処罰しろと詰め寄ったとか……? それはともかく――。 中の君が春宮のことを好きならお父様を説得すれば入内は中の君の方にしてくれるかもしれない。 春宮のことが好きなんだから押し付けることにはならないわよね? 美しい思い出を壊してしまうことになるかもしれないけど――。 キヨが物語を読んでいた。「ある日、姫君のところに幼馴染みの男がやってきました。『遠くに引っ越すことになったのでもう会えません』 男はそう言って桜の花が咲いている枝を手折って姫君に渡しました。『この花を見る度にあなたのことを思い出すでしょう』 男はそう言いました」 キヨが読んだのを聞いた妹達と私(少納言の大姫の方)がうっとりして溜息を吐く。「男と会えなくなってしばらくして母君が儚くなりました。父君が来て姫君を北の方の元に連れていきました。ツユも姫君と一緒に(姫君の)父君の北の方の邸に行きました」 キヨが続ける。 ツユは乳母子だから姫君が父親に引き取られたとき一緒に行ったのである。 乳母子というのは乳母の実の子供で、若君や姫君の乳兄弟のことである。 乳母子は養君にどこまでも|
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第六話 大変! と、再会
 明日の晩は三の姫と四の姫を私の部屋で寝かせるように乳母達に言い付けておきましょう。 中の君にも一応忠告しておいた方がいいかしら? 私は迷った。 中の君はもう子供ではないから春宮が幼い子供にしか興味がないなら大丈夫だと思うけど……。 春宮を慕っている様子だし「春宮は子供が好き(悪い意味で)」なんて言ったら中の君は気を悪くするだろうし、信じてくれないだろう。 信じてくれたら信じてくれたで美しい思い出を壊してしまうわけだし――。「宴?」 中の君が聞き返した。「ええ、殿方がたくさん来るでしょ。中には不心得者もいるし。だから、よければ私の部屋に……」 春宮ではなく来客全員を警戒しているなら誰の悪口にもならないはずだ。春宮も含めて。「ありがとうございます。でも大丈夫だと思います」 中の君はそう答えた。「そう」 私は引き下がった。 一応出来ることはやったんだし、もしもの時は中の君を入内させてもらおう。 そうすれば私は入内しなくてすむかもしれませんわ。 次の夜―― コン、コン……。 聞き慣れない音がしたような気がして目が覚めた。 コン、コン……コン、コン……。 奇妙な音が断続的に続く。 私は妻戸を少しだけ開いて外を覗いた。 その瞬間――! 絶句……。 嘘でしょ……! コン、コン……。 春宮が変な声を出しながら庭をうろついてる! だ、大丈夫なの、あの方……!? 別の意味で心配になってきましたわ! 私、ホントにあの人の子供を産まなきゃいけませんの!? 思わず気が遠くなりそうになった時――。 コン、コン……。 別のところから似たような声が聞こえてきた。 そちらを見ると――。 中の君……!? コン、コン……。 夜中に縁(建物の周囲にある通路)と庭で奇怪な声を出している春宮と中の君。 どうなってますの!? 陰陽師を呼んで御祓いをしてもらうべきですの!? 途方に暮れていると中の君の声を聞き付けた春宮がやってきた。 二人は高欄(手摺)越しに再会を喜んでいる。 あの二人、狐憑きにでも……。 その時、〝春宮様は狐もお好きみたいでよく狐の鳴き真似をなさっていました〟 中の君に聞いた話が脳裏をよぎった。 あっ……! これは狐の
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第七話 あふの香炉
「お母様、これ、中の君宛ではありませんの?」 私はお母様に文を差し出して見せた。「何故そんな事があなたに分かるのですか」「えっ……そ、それは……」 思わず返事に詰まる。 まさか夜中に春宮と中の君が狐の鳴き真似をしていたと答えるわけにはいかないし……。「わ、私宛なのですか? 心当たりがなかったので、てっきり……」 春宮に入内することになっている私には文が届いたとしても渡してもらえないのは当然だから心当たりはなくて当たり前だから少々苦しいが仕方ない。 他に言いようがありませんし……。「どちら宛だろうと関係ありません。どこの誰かも分からない相手ですし、どちらにしろ初めて贈ってきた方ですから」 そういえば……。 贈られてきた文を渡さないのは必ずしも意地悪とは限らない。 文が贈られてきたら、まず最初に差出人がちゃんとした人かどうかを親や乳母などが調べるのだ。 特に左大臣家の姫なら出世目当てで大勢の殿方が文を贈ってくる。 婿にして出世の手伝いをするからには見込みのある者でなければ金の無駄になりかねない。 だから左大臣家ではなくても相手が分からないなら門前払いを食らってしまうのだ(調べる余裕がないとかでない限り)。 そして仮にまともな相手で婿にしてもいいと思われたとしても最初は返事を書かない。 何通か受け取って熱意を認められてはじめて母親か乳母辺りが拒絶するような返事を書く。 文のやりとりを何度か続けてようやく姫が返事を書くようになる。 この辺りで姫に文を渡してもらえるようになるのだ。 そして更に何度か文をやりとりをして互いの想いが高まってから殿方が三晩続けて通うと婿入りとなる。 春宮からの文だと分かれば中の君に渡してもらえるかもしれないけど……。 というか私
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