「まんじりともせず」とはどんな小説や映画で使われる表現ですか?

2026-03-22 23:59:37 142

4 Answers

Theo
Theo
2026-03-23 05:37:09
この表現を目にするたびに、戦慄と緊張が入り混じったシーンを思い出す。

'ゴジラ'の特撮シーンで、巨大生物の襲来を前に市民が夜を徹して待ち続ける場面にぴったりだ。特に昭和期の作品では、科学者たちが深夜の研究所で不気味な兆候を監視する様子が「まんじりともせず」という言葉で表現されていた。このフレーズが持つ「眠れないほどの緊張感」は、災害映画やSFホラーでよく活用される。

最近観た韓国映画『釜山行』でも、ゾンビの襲撃から逃れる人々が列車内で身を潜めるシーンにこの表現が似合うと思った。極限状態における人間心理を描く際、言葉の持つ重みが映像と共鳴するんだよね。
Ulysses
Ulysses
2026-03-24 04:12:24
文芸作品だと、太宰治の『人間失格』の冒近くで主人公が夜通し不安に駆られる場面を思い出した。「まんじりともせず」という表現は、どことなく昭和の文学らしい重苦しさを感じさせる。

現代小説ではあまり見かけないかもしれないが、戦時中の緊張感を描く作品では今でも使われる。例えば『火垂るの墓』の原作小説で、空襲警報が鳴り響く夜を描写する部分にこの言葉が似合う。古典的な言い回しだけに、時代背景を反映した作品でこそ生きる表現だと思う。
Violet
Violet
2026-03-26 07:32:56
時代劇や歴史小説で頻出する印象がある。司馬遼太郎の『竜馬がゆく』で、坂本龍馬が危機的な状況で一晩中警戒する描写にこの表現が使われていた。

戦国ものなら、合戦前夜の陣営の緊張感を表すのにぴったりだ。『のぼうの城』の映画版で、城兵たちが大軍に包囲されながら夜を明かすシーンなどが該当する。現代ではやや古めかしい表現だが、歴史物のリアリティを出すためにあえて使われることが多い。
Zoe
Zoe
2026-03-28 03:50:38
ミステリー小説のクライマックスでよく出会う表現だ。横溝正史の『八つ墓村』で、主人公が殺人鬼の襲来に備えて夜を明かすシーンなんかが典型例。

この言葉が持つ「眠れないほどの不安」というニュアンスは、サスペンス作品の緊張感を高めるのに最適だ。海外作品の翻訳調でも似た表現を見かけることがある。アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』で、登場人物たちが次々と殺される恐怖に夜を徹する場面などがそう。古風な響きがかえって不気味さを増幅させる効果がある。
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