「異口同音」の語源や由来について詳しく解説してほしい

2025-12-02 18:09:44 64

3 回答

Blake
Blake
2025-12-03 12:24:09
異口同音」という言葉に出会ったとき、そのリズム感といい意味の深さといい、なぜこんなに印象的なんだろうと不思議に思ったことがある。調べてみると、この四字熟語は仏教の経典『維摩経』が出典で、複数の人が同じことを言う様子を表している。

面白いのは、仏教では真理を伝えるために弟子たちが一斉に同じ言葉を発することが重視された点だ。現代でも会議で意見が一致したときなどに使われるが、本来は宗教的な調和の概念に根差していた。言語の背景にある歴史を探ると、日常で何気なく使う言葉にも深い文化が宿っていることに気付かされる。
Mila
Mila
2025-12-05 18:35:25
中国の故事から生まれた『異口同音』は、文字通り「異なる口から同じ音が出る」という直截な表現が魅力だ。唐の時代の文献『晋書』にも登場し、複数人が一致した証言をする場面で用いられている。

この言葉が持つ力は、単なる意見の一致を超えている。裁判や政治上の重要局面で、信憑性を高める修辞として発展してきた経緯がある。特に面白いのは、古代中国で複数の証人が全く同じ供述をすることが、事件の真実性を証明する決定的要素とみなされていた点だ。言葉の成り立ちから、当時の社会の価値観が透けて見えるようで興味深い。
Ruby
Ruby
2025-12-08 00:47:05
『異口同音』の語源を紐解くと、仏教説話の『百喩経』にたどり着く。ある時お釈迦様の弟子たちが、それぞれ別の表現で同じ教えを説いたというエピソードが元になっている。

これが転じて、現代ではビジネスシーンでも使われるようになった。ただし本来の仏教的な文脈では、単なる意見の一致ではなく、多様な表現方法を通じて同じ真理に到達する過程を重視していた。言葉の変遷を追うと、時代によって解釈のニュアンスが変化していく様子がよく分かる。
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