物語を追いかけていると、
イケズなキャラの存在が単なる嫌みや笑い以上の役割を果たしていると気づかされることが多い。まず彼らは物語のテンションを作る触媒として効く。僕が読み返すたびに妙に笑ってしまうのは、'銀魂'における近藤や
沖田のような、からかい方が鋭くて場の空気を一瞬で変えてしまうキャラだ。そうしたセリフ一つで緊張をほぐしたり、逆に張り詰めた関係に一石を投じて新たな対立を生む。読者としては予測できない刺激が増えるぶん、長編でも飽きにくくなる。
同時に、イケズな人物は登場人物の輪郭を際立たせる鏡の役割も担っている。その皮肉や意地悪がなければ主人公や仲間の良さも悪さも浮かび上がらない場面が多い。僕はある場面で主人公の弱さが露呈するのを見て、むしろその意地悪さに救われた気持ちになったことがある。具体例で言えば、軽口や意地悪で主人公の耐性や機転を試すことで成長フックが生まれる。笑いの中に学びや反発が混ざるから、感情の振幅が深くなるんだ。
最後に、世界観のリアリティを補強する役割も忘れられない。善と悪がはっきり分かれたキャラだけだと世界は平坦に見えるけれど、意地悪で抜け目ない人物がいることで社会の層や人間関係の複雑さが表現される。僕はそういう小さな摩擦を観察するのが好きで、作中の人々がどう反応するかを見ることで作品の質が測れると思っている。イケズなキャラは嫌われることも多いが、物語をより豊かにし、読後の余韻を長くする重要なピースだと感じる。