古い版の訳を拾い読みしていくと、
エスメラルダの過去が物語全体の哀しさを底上げしているのがよく分かる。原作では、生まれたときの名前はアニェス(Agnès)で、幼児期に何者かに奪われてロマ(当時は“ジプシー”と呼ばれた集団)のもとで育てられたと描かれている。そのため身元がわからないまま街に出て踊り子として生計を立て、外見の美しさと無垢さが周囲の欲望と偏見を一気に引き寄せてしまう。私は、その“奪われた過去”が彼女を社会の周縁に押しやる最大の理由だと感じる。
さらに胸を打つのは、エスメラルダの実母である女性が別人として物語に現れるくだりだ。幼い頃に娘を失った女性は孤独と後悔に苛まれ、
修道女として生きるようになる。二人が再会する場面は救済の可能性を匂わせながらも、結局は悲劇に収束する。私はこの親子関係の伏線が、単なる個人的悲劇を超えて当時の社会的排除や法の冷たさを象徴していると思う。
最後に、エスメラルダ自身の選択と無邪気さについて。彼女は声で人を動かすタイプではないが、その存在が周囲の暴力性をあぶり出す触媒になっている。原作に描かれた過去は単なる出自の説明に留まらず、物語全体の倫理的緊張を生む中核だと私は受け取っている。