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仇名って、実は人間関係の潤滑油として結構面白い機能を持ってるんだよね。例えば『ドラゴンボール』のベジータが「王子様」って呼ばれるシーンとか、表面上は揶揄してるようでいて、意外とキャラクターの本質を突いてたりする。
敵対関係にある相手にこそ、皮肉たっぷりな仇名がつきやすいけど、それは相手を単純に貶めるためじゃなくて、むしろ「この人にはこういう特徴がある」って共通認識を作るコミュニケーションツールなんだと思う。学校のクラスに一人はいる「ガリ勉」とか「イタズラ王」みたいな呼び名も、悪意だけじゃなくて「集団の中での役割分担」を可視化してる気がする。
最近のゲーム実況者同士の「デブ」「ハゲ」連発も、見方によっては仲の良さの裏返し。ただし、ラインを越えると本当のいじめになるから、その匙加減が難しいところだよね。
昔『幽☆遊☆白書』の桑原を「ブタ野郎」って呼ぶ幽助のセリフにハマった時期がある。ああいうケンカ友達的な仇名は、むしろ親密度のバロメーターになる。心理学の研究だと、適度な揶揄がグループの結束力を高めるってデータもあるらしい。
ただし危険なのは、仇名が固定化されすぎて本人の本来の性格を隠してしまうこと。いじめの隠れ蓑になる可能性もあるから、受け手の感受性を考えるのが大人のコミュニケーションだよね。ゲームのギルド内で「放置魔」って呼ばれてる人が、実は介護で忙しかった…みたいな事例も耳にするし。
漫画『銀魂』の坂田銀時が「ヅラ」って呼ぶあのギャグ、あれこそ仇名の極致じゃない? 憎めない悪友にこそ、その人らしさを凝縮したニックネームが生まれる。心理学でいう「ソーシャル・ラベリング」効果で、一度定着した仇名は関係性の距離感を一瞬で伝えてしまう。
職場で「鬼課長」と呼ばれる人が実は面倒見のいい人だったり、逆に「優しい先輩」が裏で辛辣だったり…仇名と実像のギャップが人間観察の楽しさを引き立てる。SNS時代だと「炎上商法のあの人」みたいに、匿名性を盾にした過激な仇名も増えたけど、それって結局リアルな人間関係の鏡みたいなものだと思う。