翻訳作業中に出会う“
可哀想に聞こえる台詞”は、まず音のニュアンスを丁寧に拾うことから始めるべきだと感じる。声の震え、語尾のはしょり、間の取り方──そうした要素は文字にしたときに失われがちなので、台詞が持つ脆さをどう表すかを言葉選びで補う必要がある。直接的な同情語句で埋めると過剰になりやすいので、表現の余白を残すことが肝心だ。たとえば英語の“I'm fine”が本心ではなく弱々しく呟かれた場合、直訳で「大丈夫だよ」とするよりも「平気……かな」や「うん、なんとか」といった曖昧さを含む日本語にしたほうが、聞き手に脆さが伝わることが多い。
実例として、ある場面で登場人物が周囲に軽んじられているときの一言を翻訳するときは、語彙の重さを意識する。重い語を入れすぎると誇張に感じられ、軽すぎると感情が伝わらない。『銀魂』のような作品のユーモア混じりの哀しさなら、皮肉を含ませつつも裏の弱さを示す言い回しが有効だ。たとえば「笑ってくれよ」という台詞を「笑ってくれよ……頼むよ」と余韻を足すことで、観客に同情を喚起する余地を作る。
結局のところ、可哀想に聞こえる台詞の翻訳は“どの程度の可哀想さを残すか”という調整ゲームだ。場の空気や聞き手の期待に応じて、言葉のトーンと余白を慎重に扱い、過剰な説明を避けることで自然な哀感を保てると私は思う。