地元の史料や口承をつなぎ合わせるようにして、歴史家たちは『
通りゃんせ』の発祥地を探り当てようとしている。私はこうした追跡が大好きで、町の郷土史会の報告や民俗学者の調査報告書を眺めながら、歌のかけらがどのように場所に結びつくかを見るのが楽しい。基本的には一つの証拠だけに頼らず、文献、地名、口頭伝承、楽曲の変種、神社や寺の記録などを総合して「もっともらしい」結論を導き出す作業だ。現地の資料をひとつずつ検証していく過程に、思いがけない発見が眠っていることが多い。
具体的な手法としてはまず、古い文献や絵図、地誌類に当たる。江戸期や明治期の刊本、旅行記、寺社の縁起や檀家帳に歌や遊びの記述が残っていないかを探すのが定石だ。次に民俗学的フィールドワーク。地域の高齢者や祭礼の世話人に聞き取りを行い、歌詞の変形や遊び方、歌が歌われる場面(境内、道端、門前など)を記録する。複数の地域で同種の歌が歌われている場合は、歌詞中の固有語や方言、地名表現を比較して、元になった地域や時期を推定することになる。
さらに地名(地誌学)や古地図の照合もよく行われる。歌詞に「通る」「関所」「鳥居」「灯籠」「子どもを行かせる場」などの語が出てくれば、かつてそこにあった関所、神社の参道、門前町に結びつけて検討する。たとえば参詣道周辺で子どもの遊びとして伝承されてきた記録が残るなら、発祥の可能性が高まる。また、民謡採集者やレコードに残された最古の録音や写本の存在は、歌の流布年代を押さえるうえで重要だ。柳田國男のような民俗学者や地域史家の調査記録を参照することも多いが、必ず一次資料にあたって裏を取るのが常だ。
ただし落とし穴も多い。複数の町が観光資源として発祥地を名乗るケースや、伝承が観光化によって後世に作られるケースは少なくない。歌詞や遊びの変種が地域ごとに強く異なり、どれを「原形」とするかで解釈も変わる。だから歴史家は最終的に「ここが発祥らしい」という最も説得力のある仮説を提示するに留めることが多い。私自身は、歌と場所が交差する瞬間に民衆の暮らしや宗教観が見えるところが面白いと感じている。地域史の調査はロマンと慎重さが同居する仕事で、それがまた魅力でもある。