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宿痾」という言葉を初めて意識したのは、夏目漱石の『こころ』を読んだ時でした。長年患っている心の病のように、先生の過去が作中でじわじわと表面化していく様子が、まさにこの言葉の持つ重みを体現していると感じたんです。
文学作品では、物理的な病気というより、消えないトラウマや社会的な矛盾といった形で描かれることが多いですね。例えば
太宰治の『人間失格』では、主人公の葉蔵が幼少期から抱える人間不信が、生涯を通じて彼を蝕んでいく様子が「宿痾」的です。こうしたテーマを扱う時、作家たちはしばしば季節の移り変わりや風景描写を巧みに使って、目に見えない病の進行を表現します。
面白いのは、現代文学ではこの概念がより抽象化されていること。村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』では、主人公の心にぽっかり空いた穴のような喪失感が、具体的な原因が明かされるまで読者にも「宿痾」として感じさせる構成になっています。