研究を続ける中で気づいたのは、
藁人形が単なる「おまじない道具」以上の多層的な意味を持っていることだ。私は民俗学や歴史の資料を読み比べるうちに、藁人形が時代や地域によって、祓い、護符、代償、
呪詛といった役割を柔軟に担ってきたことを強く感じた。まず基本概念として、多くの専門家はこれを「類感魔術(sympathetic magic)」の一形態と説明する。たとえば『The Golden Bough』で論じられるように、象徴的な類比によって人や事象に働きかけようとする思想は世界中で見られ、藁人形はその手近なメディウムになったのだ。
異なる文化での具体例を挙げると分かりやすい。日本では形代(かたしろ)や人形(ひとがた)という概念があり、紙や布、藁で作った人形に自身の穢れを移し、川や海へ流す、あるいは祓うことで清める儀礼が行われてきた。これは汚れや
災厄を「代わりに受ける」存在としての機能だ。一方、欧州やアフリカ系の民間信仰では、藁や布で作った人形が豊穣や季節の儀礼に使われることがある反面、個人に害を及ぼす呪詛の媒体として用いられることもある。ここで専門家は、同じ形の道具が社会的・宗教的コンテクストによって祝福にも呪いにもなり得る、と指摘する。
社会人類学や歴史学の観点からの重要な指摘は、藁人形がしばしば集団の不安を処理する仕組みだった点だ。疫病や欠乏、共同体内の緊張を解消するための象徴的代償や、外敵・悪運を封じるための道具という役割を果たし、儀礼が秩序の再生に寄与した。さらに近代以降、民間療法や迷信の枠を超えて文学や演劇、民俗復興運動の素材ともなり、イメージが固定化・変容してきた。私自身は、藁人形の持つ二面性——守りにも害しにも使えるという点——が民俗の深い部分を映していると感じる。最後に、こうした道具を学ぶことで文化ごとの世界観や不安の処理法が透けて見え、人間の信仰心や社会的想像力の豊かさに改めて驚かされるのだった。