街の古い話を辿ると、座敷牢が町人社会でも使われていた痕跡にぶつかる。僕が見た史料には、商家で家業を揺るがす行為をした女性や、借金問題で問題視された親族が一時的に家の中に閉じ込められたという簡潔な記述がある。外からは“牢”と呼ばれても、実際には厳格な監視と最低限の生活支援がセットになっていたことが多い。
江戸の町では住み込みの
奉公人や使用人が多く、家内の秩序を乱す問題が起きると、当事者を外の牢に出す前に家の内部で処理することが一般に行われていた。浮世絵や草双紙にも、
幽閉や軟禁を題材にした挿話が散見され、そうした図像表現が当時の人々の理解や受け止め方を伝えてくれる。僕はこれらの図像と史料を照らし合わせることで、座敷牢が単なる暴力装置ではなく、社会的制裁や家族内の
調停手段として機能していた側面を強く意識するようになった。