城下町の形成とともに、臣下の居住環境も変化していった。初期の戦国時代は山城に詰めて暮らすのが普通だったが、後期になると城下に屋敷を構えるようになる。『洛中洛外図屏風』から
窺えるように、上級家臣の屋敷は庭園を備えた立派なもので、文化交流の場としても機能していた。
生活の糧としては知行地からの収入が基本だが、実際は戦費調達のため領主から借財を強いられるケースも多かったようだ。特に小大名の家臣は苦しい経済事情に喘いでおり、領主への忠誠心と生活苦の板挟みになることも。戦場以外でも、隣接勢力との外交交渉や間諜活動など、臣下の役割は多岐にわたっていた。