Short
ライトの下の光と影

ライトの下の光と影

By:  ムショCompleted
Language: Japanese
goodnovel4goodnovel
21Chapters
35views
Read
Add to library

Share:  

Report
Overview
Catalog
SCAN CODE TO READ ON APP

「今年の最優秀主演女優賞は誰の手に渡るのでしょうか?さあ、発表します……」 客席の最前列に座る時野星璃(ときの せいり) はドレスの裾を整え、立ち上がる準備をしていた。隣に座る人々も、すでに先走って彼女に祝福の言葉をかけ始めている。 「――春川美々(はるかわ みみ)さんです!おめでとうございます!」 司会者の声が響いた。 半ば立ち上がったところで、星璃の顔色は一瞬にして真っ白になった。 割れんばかりの拍手とざわめきの中、彼女はぎこちなく、気まずそうに席に着いた。爪先は深く掌に食い込み、痛みを覚えるほどだった。 ゆっくりと振り返った彼女の視線は、観客席の奥へと向かう。 一番隅の暗がりに、ひときわ存在感のある男が身を潜めていた。星璃には、その姿が一目で分かった。 彼女の婚約者――篠宮承司(しのみや しょうじ)。 しかし、彼がここにいるのは彼女のためではなく、舞台の上の美々のためだった。

View More

Chapter 1

第1話

「今年の最優秀主演女優賞は誰の手に渡るのでしょうか?さあ、発表します……」

客席の最前列に座る時野星璃(ときの せいり) はドレスの裾を整え、立ち上がる準備をしていた。隣に座る人々も、すでに先走って彼女に祝福の言葉をかけ始めている。

「――春川美々(はるかわ みみ)さんです!おめでとうございます!」

司会者の声が響いた。

半ば立ち上がったところで、星璃の顔色は一瞬にして真っ白になった。

割れんばかりの拍手とざわめきの中、彼女はぎこちなく、気まずそうに席に着いた。爪先は深く掌に食い込み、痛みを覚えるほどだった。

ゆっくりと振り返った彼女の視線は、観客席の奥へと向かう。

一番隅の暗がりに、ひときわ存在感のある男が身を潜めていた。星璃には、その姿が一目で分かった。

彼女の婚約者――篠宮承司(しのみや しょうじ)。

しかし、彼がここにいるのは彼女のためではなく、舞台の上の美々のためだった。

耳元には、あちこちから不満げな声が飛び込んでくる。

「ちょっと待って、この春川美々ってどこの無名新人?なんで最優秀賞なんか取れるの?」

「本来なら時野星璃さんに決まってただろ!今回の受賞は誰もが納得するはずだったのに!」

「一体どうなってんの?」

……理由を知らない者も多い。

だが星璃には分かっていた。これは承司の仕業だ。

なぜなら、彼は授賞式の最大スポンサーであり、そして美々は、彼の義姉であり、かつての初恋相手だったからだ。

昔、誤解がもとで二人は別れ、再会した時には彼女はすでに彼の兄と結婚していた。

その兄が三か月前に病で亡くなり、承司は義姉を守ることを当然の責務のように引き受けていた。

昨日、美々は彼に何気なく言った。

「この賞が取れたらいいなあ。なんかすごそうじゃない?」

そして今日、承司は彼女の願いを叶えた。

星璃が七年間も努力して手にできなかった賞を、デビューしたばかりの美々があっさりと持ち去ったのだ。

これほど皮肉なことがあろうか。

授賞式が終わり、星璃は魂の抜けたように控え室へ戻った。しばらく立ち直ることもできなかった。

そんな彼女に、すらりとした長身の男が近づいてくる。

星璃は顔を上げ、承司を見つめ、理解できない気持ちをぶつけた。

「どうしてこんなことをしたの?」

だが承司は平然と、罪悪感など微塵もなく答えた。

「君はもう散々賞を取ってきただろ。ひとつくらい譲っても問題ない。美々に渡したっていいじゃないか?

兄は生前、彼女に申し訳ないことをたくさんした。もう、埋め合わせをする時間も残されていない。だから、弟である俺が、代わりにやってあげるのは当然だ」

その口ぶりはあくまで淡々とし、当然の理屈のように聞こえた。

しかし、星璃の心は真逆だった。彼女の瞳は一瞬で潤み、ほとんど叫び声のような声で問い詰めた。

「お兄さんが彼女に負い目があるからって、どうして私のものを犠牲にして償うのよ!

この賞が私にとってどれほど大事か分かってる?どれだけ努力してきたか知ってるの? どうして……どうして勝手に……」

どうして、他人のために勝手に内定するなんてことができるの?

星璃は嗚咽で、言葉を紡ぐことができない。

承司は、彼女が本気でここまでこだわっていると気づいたとき、珍しく表情をわずかに変えた。

数秒のためらいの後、手を伸ばして涙を拭い取り、声を少し柔らかくした。

「もういい。たかがトロフィーひとつで泣くなんて。来年は、必ず君の手に渡るようにしてやるから。それでいいだろ?」

だが星璃は「パチン」と彼の手をはねのけた。

「私を侮辱しないで!」

ここまで上り詰めた彼女が持っている全ての賞は、男の施しではなく、自分の実力で勝ち取ったものだ。

そのとき承司の顔に険しさが浮かんだ。だがその直後、別の影が勢いよく彼の胸に飛び込んできた。

「承司!私、本当に賞を取っちゃったよ!」

美々がトロフィーを掲げ、彼の前で嬉しそうに振ってみせた。

「デビューして間もないのに最優秀賞だなんて、私ってすごくない?ね、そうでしょ?」

承司は思わず笑い、惜しみない賛辞を口にした。

「すごいよ。努力が報われたんだ。これは、君がもらうべき賞だよ」

もらうべき賞……?

なんて馬鹿げているのだろう。

美々はほんの数か月前に業界に入ったばかり。出演作はマイナーな文芸映画一本だけで、公開後もほとんど話題にならなかった。それが「もらうべき賞」だと言うのか?

それでは、星璃のように何年も全身全霊で努力してきた俳優はどこに置けばいいのだ。

もう聞いていられず、星璃は背を向けてその場を後にした。

Expand
Next Chapter
Download

Latest chapter

More Chapters

Comments

No Comments
21 Chapters
第1話
「今年の最優秀主演女優賞は誰の手に渡るのでしょうか?さあ、発表します……」客席の最前列に座る時野星璃(ときの せいり) はドレスの裾を整え、立ち上がる準備をしていた。隣に座る人々も、すでに先走って彼女に祝福の言葉をかけ始めている。「――春川美々(はるかわ みみ)さんです!おめでとうございます!」司会者の声が響いた。半ば立ち上がったところで、星璃の顔色は一瞬にして真っ白になった。割れんばかりの拍手とざわめきの中、彼女はぎこちなく、気まずそうに席に着いた。爪先は深く掌に食い込み、痛みを覚えるほどだった。ゆっくりと振り返った彼女の視線は、観客席の奥へと向かう。一番隅の暗がりに、ひときわ存在感のある男が身を潜めていた。星璃には、その姿が一目で分かった。彼女の婚約者――篠宮承司(しのみや しょうじ)。しかし、彼がここにいるのは彼女のためではなく、舞台の上の美々のためだった。耳元には、あちこちから不満げな声が飛び込んでくる。「ちょっと待って、この春川美々ってどこの無名新人?なんで最優秀賞なんか取れるの?」「本来なら時野星璃さんに決まってただろ!今回の受賞は誰もが納得するはずだったのに!」「一体どうなってんの?」……理由を知らない者も多い。だが星璃には分かっていた。これは承司の仕業だ。なぜなら、彼は授賞式の最大スポンサーであり、そして美々は、彼の義姉であり、かつての初恋相手だったからだ。昔、誤解がもとで二人は別れ、再会した時には彼女はすでに彼の兄と結婚していた。その兄が三か月前に病で亡くなり、承司は義姉を守ることを当然の責務のように引き受けていた。昨日、美々は彼に何気なく言った。「この賞が取れたらいいなあ。なんかすごそうじゃない?」そして今日、承司は彼女の願いを叶えた。星璃が七年間も努力して手にできなかった賞を、デビューしたばかりの美々があっさりと持ち去ったのだ。これほど皮肉なことがあろうか。授賞式が終わり、星璃は魂の抜けたように控え室へ戻った。しばらく立ち直ることもできなかった。そんな彼女に、すらりとした長身の男が近づいてくる。星璃は顔を上げ、承司を見つめ、理解できない気持ちをぶつけた。「どうしてこんなことをしたの?」だが承司は平然と、罪悪感など微塵もなく答えた。
Read more
第2話
星璃が家に戻ったときには、すでに全身が疲労に覆われていた。玄関を開けると、家の中の至るところに美々の物が置かれているのが目に入り、胸の奥が言いようのない重苦しさで塞がれる。美々が住み始めてから、すべてが変わってしまった。美々が欲しいと言えば、承司はすぐに何でも与えた。女優になりたいと言えば、脚本を買ってあげる。歌いたいと言えば、曲を用意する。美々に対する承司の甘やかしは、もはや底なしだった。今日の主演女優賞が美々に渡ったことを思うと、星璃の胸には言葉にできない苦しさが込み上げてくる。気を紛らわせようと、無理にでも意識をそらした。スマホを手に取り、SNSを開いた瞬間、美々の新しい投稿が目に飛び込んできた。【やったね!新しい家と車ゲット!彼がサプライズでプレゼントしてくれたの。今日は本当に幸せ。彼のこと、大好き!ずっとこのままでいられたらいいな!】美々が投稿に添えた画像は三枚。一枚は豪邸、もう一枚は高級スポーツカー。どちらも目のくらむような値段の品だ。そして最後の一枚には、承司の背中。半分しか写っていないが、星璃にとって見間違えるはずもない。彼と三年も一緒にいて、誕生日にはただ口座に金を振り込まれるだけ。プレゼントを用意することすらなく、「女の子が何を欲しがるのか分からない」――それが彼の口癖だった。なのにどうして美々に贈るものは、こんなにも的確に分かるのか。胸の奥が鋭く刺されるように痛んだ。さらにスクロールすると、承司の会社の幹部社員の投稿が目に入った。【やばい!今日、社長に何があったの?いきなり全社員にボーナス大放出!もしかして、奥さんとの間に何かいいことがあったのか?】その投稿には、承司の「いいね」がついていた。星璃の指先は強ばり、画面を閉じた。一粒の涙がスマホの端に落ちた。――奥さん。承司と美々は、深夜になってようやく帰宅した。二人とも酒に酔っていて、体からはアルコールの匂いが漂っていた。承司はソファに身を投げ出し、気怠げに言い放った。「星璃、水を。俺と美々に一杯ずつ持ってきて」星璃は動かなかった。美々が指を差し、声を荒げる。「ねえ、聞こえないの?人の言葉が分からないわけ?」酔っ払うと、本性がむき出しになる。酔っ払い相手に口論する気
Read more
第3話
本来星璃が手にするはずだった最優秀賞を、無名の新人女優が受賞したという出来事は、ネット上で大騒ぎとなった。罵倒にせよ称賛にせよ、あるいはその背後にいる大物を詮索するにせよ――春川美々の名は一夜にして大ブレイクを果たした。翌朝、星璃が目を覚ますと、スマホのニュースアプリは美々の記事で埋め尽くされていた。星璃はちらりと見ただけで、荷造りを始めた。その時、ドアがノックされ、そこに立っていたのは承司だった。「何を片づけてる?」と彼は眉をひそめて尋ねた。星璃は表情を動かさずに答えた。「何って、仕事に行くに決まってるでしょ」その答えを聞いた承司は、どこか安堵したように息を吐いた。「ちょうどいい。美々はいま注目を浴びてるが、この業界にはまだ慣れてない。君が一緒に連れて行け」星璃の手が止まった。「どうして私が?」問いかけた途端、承司の表情は険しくなった。「君はどうしてそんなに心が狭いんだ。彼女は俺の義姉だ。君にとってもそうだろう。気を配るのは当然じゃない」「義姉?」星璃は冷ややかに鼻で笑った。「義姉を抱きしめてキスする人なんて、私は見たことないけど」承司の顔が暗くなった。「もう説明したはずだ。酔って君と勘違いしたんだ。これ以上くだらないことを言うな。美々を見習って、少しは素直になれないのか?」その言葉に続くように、美々が眠そうな目をこすりながら現れ、当然のように承司の傍へ寄り添った。「星璃、バラエティ番組に出るんだって?私にもさっきマネージャーから連絡があって、同じ番組に出ることになったの。すごく緊張するの。一緒に行って教えてね」星璃は視線を上げ、美々を一瞥した。認めざるを得ない。演技には向いている。表裏の顔をこれほど使い分けられるのだから。承司がいない時の彼女は、決してこんな殊勝な態度ではなかった。星璃は相手にせず、無言で歩き出した。美々は厚かましくも当然のように同行した。番組の控室に二人が並んで入ってくると、周囲のスタッフや共演者はざわつき、さまざまな憶測が飛び交った。美々は殊更に芝居がかった仕草で星璃の腕を取り、仲睦まじいふりをした。星璃はいくら振り払おうとしても逃れられなかった。やがて収録が始まった。企画の一つに「二人一組でのロープブリッジ渡り」があり
Read more
第4話
【#篠宮承司と春川美々、なんて尊いの】このハッシュタグがトレンドを独占した。承司が美々を救った場面が動画でネットに投稿され、ようやく人々は美々の背後にどれほどの存在がいるのかを知ったのだ。【うそ、篠宮承司ってあの超大物!?こんなの小説の展開じゃん!】【他のことは置いといて、この二人、本当に最高!推しカップルだわ!】【でも春川さんって、なんで落ちちゃったの?】【どうやら、あの時野星璃がずっと急かしたから、彼女がプレッシャーに耐えきれなくなったみたい。マジありえない。時野星璃って、どれだけ負けず嫌いなのよ。こういう人って、実力と人気が伴ってないってことよね】……そのコメントが投稿されるやいなや、一斉に星璃への非難が始まった。「権力を笠に着る」「性格が悪すぎる」と罵声が飛び交い、ネット中が彼女を叩き始めた。一方で美々には一つの悪評すら見当たらない。仮にあっても、すぐに削除されてしまう。星璃は病院のベッドに横たわり、それを見つめていた。胸の奥には苦さが広がる。だが、口元には笑みが浮かぶ。篠宮承司、あなたという人は、美々を売り出すために、私を踏み台にし、私を犠牲にしなければならないの?あなたの心は、一体何でできているの?入院して五日。承司は一度も顔を見せなかった。代わりに美々と共に恋愛バラエティへ出演、ゲストとして仲睦まじい姿を披露していた。番組内で誰かが訊いた。「お二人はいつからお付き合いを?」美々は恥じらいを滲ませ、熱っぽい眼差しで承司を見つめた。彼はその視線に応え、堂々と答えた。「俺たちは何年も前から知り合いで、今日まで一度も忘れたことはない」――星璃と三年間付き合っても、彼は関係を公表しようとはしなかった。カメラの前に立つことも拒んだ。彼女が「年寄りの愛人だ」と中傷され、ネット中から叩かれた時も、彼は決して庇わなかった。ただ冷酷に突き放すだけだった。「この業界にいる以上、世論や重圧は自分で背負うしかない。誰もずっと君の盾にはなれない」けれど今はどうだ。美々が芸能界に入ったばかりだというのに、彼はすぐに彼女を守ろうと、急いで前に出てきた。まるで小さな傷さえつけさせまいとするかのように。まったく気にしていないと言えば嘘になる。星璃は病院を出る決心をした。まも
Read more
第5話
美々は本格的に芸能界へと進出し始めた。星璃がいる場所には、必ず彼女がいた。星璃が出演中の映画の最後のシーンを撮影している時、美々も突然、途中から強引に出演をねじ込んできた。その結果、一晩のうちに星璃の出演シーンは半分以上削られ、見せ場となる場面はすべて美々に割り振られてしまった。「監督、このシーン、私ちょっと上手くできなくて……教えていただけますか?」撮影前、美々は台本を手に監督に近づいた。「この場面か……これは簡単だよ。彼女を平手で叩けばいい。感情を強めに出して、できれば少し強めにね」監督はそう指導した。遠くで聞いていた星璃は思わず固まった。台本に平手打ちの場面など、あっただろうか?脚本家を問い詰めると、彼は歯切れが悪く、曖昧な返事をした。「それは……要望があって書き直しただけで、僕のせいじゃないんだ……」誰の要望かなんて、考えるまでもない。美々が戻ってくると、星璃に向かって楽しそうに笑った。「星璃、観客が感情移入しやすいように、本気で叩いても大丈夫よね?あなたならきっと承諾してくれると思ってた。ね?」挑発するように眉を上げた。星璃が横目で見ると、少し離れたところに帽子をかぶった承司の姿があった。美々の撮影に、彼はわざわざ付き添っているのか。他の選択肢はなく、星璃はすべての不満を飲み込み、小さく頷いた。「ええ」それから、彼女の予想通り、何十回にもわたる「叩くシーン」のNGが繰り返された。美々は他のシーンでは問題なく演じられるのに、顔を叩く場面だけは、何度も失敗を繰り返す。セリフを忘れたり、感情が込められていなかったり。三十分も経たないうちに、星璃の両頬は赤く腫れ上がった。見かねた監督が声をかけた。「一旦休憩にしよう」顔に焼けつくような痛みが広がる。彼女のアシスタントは泣きながら訴えた。「あの春川美々って、絶対わざとです!本当にひどい!」星璃も苦しかったが、アシスタントの涙を拭い取り、かすかに笑んだ。「大丈夫よ」そのとき、承司が氷嚢を持って近づいてきた。「顔、まだ痛むか?」と珍しく声をかけた。星璃は問い返した。「どう思うの?」しかし承司は気にする様子もなく言った。「美々は新人だから、演技がうまくいかないこともある。君が少しは
Read more
第6話
美々は、涙をポロポロとこぼしながら言った。「承司、顔がすごく痛いの。このまま跡が残ったらどうしよう……うう、ごめんなさい。台本通りとはいえ、星璃を叩くべきじゃなかったわ。彼女が怒るのも当然よね。でも、やっぱり痛いのよ、承司……」承司は彼女を抱きしめた。彼の表情は、かつてないほど険しいものだった。本当に怒ると、彼は感情を爆発させることはない。ただ、顔色が極限まで暗くなるだけだ。承司は顔を上げ、星璃を睨みつけた。「もしこれ以上、俺の限界に挑むつもりなら、後悔がどういうものか教えてやる」その眼差しは、背筋を凍らせるほどだった。しかし、星璃は微塵も怯えなかった。そして、承司の言葉が何を意味するのかを、すぐに思い知ることになった。星璃は出演予定だった映画のキャストから外され、さらに、承司は業界内で手段を講じ、彼女の一切の活動を禁止したのだ。禁止期間は五年間。まさに絶頂期にいた星璃にとって、五年間の活動停止は、キャリアを完全に断つことを意味していた。元々引退するつもりだったとはいえ、この非情な仕打ちに、彼女は心が冷えていくのを感じた。長年積み重ねてきた二人の絆は、本当に何の意味もなかったというのだろうか?星璃は、すべてが虚しくて馬鹿らしいと思った。その日の夜、彼女は家に戻り、荷物をまとめ始めた。持っていけるものは持ち出し、そうでないものはすべて捨てる。あっという間に、承司と三年も暮らした家は、半分が空っぽになった。がらんとした部屋に立ち、ふと、二人がこの家に引っ越してきた日のことを思い出した。 あの頃の承司は、彼女のことを気にかけてくれていた。疲れている時は足をマッサージしてくれ、不機嫌な時はご馳走に連れ出してくれた。何でもない平凡な日でも、出勤前に彼女の唇にキスしてくれた。それは、星璃にとって最も幸せな時間だった。美々が彼の人生に戻ってくるまでは。すべてが、もう元には戻らない。思い出から覚めた星璃は、家を出ようとした。だが、ドアにたどり着いた時、突然めまいがして、下腹部に激しい痛みが走る。気を失う直前、彼女は最後の力を振り絞り、一本の電話をかけた。不意に承司に繋がってしまった。しかし、呼び出し音が一度鳴っただけで、向こうから切られてしまった。星璃は、冷たい床に長い間横た
Read more
第7話
星璃のお腹にいた赤ちゃんは、無事だった。まだ三ヶ月の小さな命は、彼女の想像以上に強かった。だから、彼女は産むことを決意した。だが、入院して安静している間にも、彼女に対する世間の評価は、ネット上で大きく覆されていた。原因は、あの時、美々を叩いた瞬間を誰かに撮影され、動画がネットにアップされたからだ。彼女は、大物ぶっているだとか、新人いじめをしているだとかと非難された。さらに、不倫相手だと汚名を着せられた。ある情報提供者が、彼女と承司が写った「決定的証拠」と称する十数枚の写真を公開した。 【私は時野星璃を一年か二年ほど撮り続けていますが、この期間、彼女がある男と親密にしているのをよく見かけました。そして今日、その男が篠宮承司さんだと確信できました。時野星璃って、本当に見かけによらないわ。他人の彼氏を誘惑するなんて、もう不倫相手以外の何者でもないでしょ?】この投稿が公開されると、ネット上では星璃に対する「討伐」が相次いだ。【本当に吐き気がする。何年も好きだった女優が、まさか不倫相手だったなんて】【この前、彼女の雑誌を買ったばかりなのに。マジありえない。今から燃やしてやる。本当に縁起でもない】……一部には、少数ながらも疑う人もいた。彼らは、二人が付き合っているのではないかと推測したが、彼らが彼女を擁護しようとすれば、一緒になって非難された。【不倫女の味方する奴は消えろ】【篠宮さんが春川さんをどれだけ溺愛してるか、誰もが知ってることだろ。それに、二人が何年も前から知ってたって、本人が言ってたじゃないか。まだ時野星璃を擁護する気?】ネットでの非難が最も激しい時、美々は承司とネット上でやりとりをしていた。 彼女が、指を絡ませて握手している写真を投稿すると、承司が「いいね」を押した。これは、いわば「返答」だった。人々は、星璃こそが承司を誘惑し、二人の関係を壊そうとしている者だと、さらに確信するようになった。退院する日、星璃は記者たちに取り囲まれた。無数のカメラが彼女に向けられ、なぜ他人の関係を壊すような者になったのかと問った。 星璃はただ一言だけ言った。「私は、不倫相手ではありません」だが次の瞬間、腐った生卵が彼女の額に投げつけられた。彼女のアンチファンだった。彼らは、ようやく見つけ
Read more
第8話
翌朝、目が覚めた承司は、なぜだかひどい頭痛に襲われた。何か大切なことを忘れているような気がするが、それが何なのか思い出せない。その時、スマホが激しく震え始めた。彼は頭を押さえながらスマホを手に取り、画面をスワイプした。そして、一つのニュースの見出しが目に飛び込んできた。大きな文字で、「時野星璃引退」と書かれていた。承司は完全に目が覚めた。彼は星璃のSNSページを開く。最新の投稿の閲覧数と「いいね」の数は、尋常ではないほど多かった。コメント欄は、誰が本当の「不倫相手」なのかを巡って大荒れしている。彼はいくつかコメントをスクロールし、美々を罵倒するものが目に入ると、眉間の皺が深くなった。彼は電話をかけ、こう告げた。「今すぐ星璃に連絡して、この投稿を削除させろ!」電話を切った後も、彼の胸はざわついていた。考えた末、星璃に直接電話をかけたが、何度かけても繋がらない。やがてアシスタントから折り返し電話がかかってきた。「社長、調べましたところ、時野さんは昨夜……出国されたようです」承司は呆然とした。「何だと?」相手は再び繰り返す。「時野さんは、すでに国内を離れています」その言葉をはっきりと聞いた瞬間、承司の顔は凍りついたように醜く歪んだ。彼はスマホを握りしめ、血管が浮き上がるほどに力を込める。今にも爆発しそうな怒りを必死に抑え、歯を食いしばった。「調べろ。どこに逃げたか、探し出せ!」通話が終わると、承司はもう我慢できなかった。手元にあったガラスのコップを、勢いよく床に叩きつけて割った。「星璃、よくもやってくれたな。俺に隠れて勝手にいなくなるとは」その時、彼を探しに来た美々が、うっかりガラスの破片を踏んでしまい、叫び声を上げた。「ああ!痛い!」彼女の足の裏からは血が出ていた。承司は眉をひそめた。「どうして靴を履かないんだ」口調には少し非難の色があったが、彼は彼女を抱き上げ、脇に座らせた。使用人に掃除を命じ、彼女の傷口を処置させた。美々は彼を掴み、甘えるように囁いた。「承司、他の人に足を触られるのは嫌なの。あなたが手当てしてくれない?」これまでの彼は、彼女の頼みは何でも聞いてきた。しかし今回は、彼の頭の中には、星璃が投稿した「釈明」の文章が、ひたすら再生されていた
Read more
第9話
その可能性は、承司にとって受け入れがたいものだった。彼は激しい頭痛に襲われ、再び電話をかけた。「星璃の七年前の最初の広告の撮影場所を調べてくれ」待っている間、彼はたくさんのことを思い出していた。三年前、星璃が彼に情熱的にアプローチしてきた時のこと。彼女は大胆で、明るく、告白する時も「好きだ、一緒にいたい」と迷いなく言った。承司の人生に、彼女のような人は現れたことがなかった。率直で、純粋で、真実のまま。彼は、星璃に近づきたいという本能を抑えることができなかった。彼女と一緒にいると、彼は不思議と心が落ち着き、苛立ちも、不安も消えた。星璃は、彼のすべてを癒してくれる澄んだ水のような存在だった。だが、その後、美々が戻ってきた。承司は、星璃が美々を「いじめている」場面に何度も出くわし、反射的に美々を守り、無意識のうちに星璃を遠ざけていった。この時になってようやく、承司は気づいた。最近の自分は、確かに美々を星璃よりも大切に扱っていた。だが、そうではない。美々と過去に何があろうとも。美々は今、兄の未亡人なのだ。星璃こそが、彼の婚約者だ。それに気づいた承司は、ひどく後悔した。まるで何かに取り憑かれたように、星璃を傷つけるようなことを、この間、どれだけしてしまったのか、考えるのが怖かった。その時、書斎のドアがノックされ、彼の思考が中断された。「承司、なんだか体調が悪そうだったから、スープを煮てみたの。温かいうちに飲んで」美々は、足を引きずりながら、器を持って入ってきた。しかし、承司は座ったまま動かない。スープの器が目の前のテーブルに置かれ、美々が彼に近づき、抱きしめようと腕を伸ばした。承司は、彼女の腕を掴み、後ろに押し返す。声は冷たい。「近づかないでくれ」美々は言葉に詰まった。「承司……」言い終わらないうちに、また承司に遮られた。彼は単刀直入に尋ねた。「七年前、俺を助けてくれたのは、本当に君だったのか?」美々の表情はすぐに変わり、何事もなかったかのように振る舞った。「どうして急にそんなことを?あの時、あなたが血だらけだったこと、今でも覚えてるわ。私が救急車を呼んで、病院に連れて行ったのよ」その表情は、嘘をついているようには見えない。承司は、再び葛藤に陥った。
Read more
第10話
五年後。星璃はまた引っ越しの最中だった。この五年で六カ国目だ。彼女がこうして引っ越しを繰り返すのは、他でもない。自分と娘が安心して暮らせる場所を見つけるためだった。「愛夢、こっちに来てママの荷物を持ってちょうだい」星璃は階下に向かって呼びかけた。 数秒待ったが、返事がない。「愛夢?愛夢!」星璃は慌てて階段を駆け下りる。急ぎすぎたせいで、リビングに山積みになった荷物につまずいて転んだ。痛みも気にせず、すぐに立ち上がって娘を探し回る。しかし、どこにもその小さな姿はない。ふと顔を上げると、ドアが半開きになっているのが見えた。「愛夢、時野愛夢(ときの あいむ)!もうかくれんぼは終わりよ。ママの負けだから、早くママのところに戻ってきて!」星璃は庭に飛び出し、胸が張り裂けそうだった。娘がいなくなったかもしれない、誰かに連れ去られたかもしれない。そう考えただけで、息が詰まりそうになる。「この子をお探しですか?」その時、隣の家から低い声が聞こえた。星璃が横を向くと、背の高い東洋人の男性が、階段の踊り場で愛夢を抱きかかえて立っていた。四歳の幼い女の子は、まるで陶器の人形のように愛らしく、彼の腕の中でぐっすりと眠っていた。「愛夢!」星璃は駆け寄って娘を抱きしめ、涙がとめどなく溢れた。男性はティッシュを差し出し、説明した。「ドアが開いていて、階段を降りた時に、この子がカーペットの上で眠っているのを見つけました。たぶん、子犬に惹かれてこちらに来たんでしょう。遊んで疲れて、眠ってしまったようです」男の言葉が終わると同時に、小さなマルチーズ犬が家の中から顔を出した。星璃は涙を拭い、言った。「本当に申し訳ありません。今日引っ越してきたばかりで、バタバタしていて。まさか、自分でドアを開けて出ていくとは思っていなくて」男性は母娘を見下ろし、優しく言った。「お気になさらないで。これから俺たちは隣人です。何か困ったことがあれば、いつでも俺を頼ってください」そう言うと、男性は自己紹介をした。「高橋寧樹(たかはし しずき)です」高橋寧樹……?星璃はどこかで聞いたことのある名前だと感じたが、深く考える暇はなく、すぐに返事をした。「今日は本当にありがとうございました。この子を連れて、もう帰りま
Read more
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status