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彼の義理の妹に土下座?この結婚、やめとこう

彼の義理の妹に土下座?この結婚、やめとこう

By:  もなかCompleted
Language: Japanese
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ウェディングドレスの試着の日。長谷川慶(はせがわ けい)はまた、結婚式を延期した。 理由は、彼の義理の妹・長谷川杏奈(はせがわ あんな)が彼氏と別れたから。 「杏奈は別れたばっかりで、一番なぐさめが必要なときなんだ。俺たちが結婚したら、あの子をもっと悲しませることになる」 私はうなずいて、だまってウェディングドレスを脱いだ。 あの女のため、慶は、これまでも何度も結婚を先延ばしにしてきた。 1度目は、杏奈が目に涙をいっぱいためてこう聞いた。「お兄ちゃん、あの人と結婚したら、私のこと、もういらないの?」 慶はそれにほだされて、彼女が大学を卒業するまで結婚は待つと誓った。 2度目は、杏奈が大学を卒業したとき。家出をする前に【お兄ちゃん、離れたくないよ】と手紙を残していった。 そして慶は、彼女にちゃんとした相手が見つかるまで、自分は結婚しないと約束した。 待ち続けて、年が経つうちに、私はすっかり周りの笑いものになっていた。 でも今回はもう待ちたくない。私は慶にメッセージを送った。【別れよう。あなたは杏奈と、お幸せにね】

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Chapter 1

第1話

「杏奈が失恋したばかりでさ。今がいちばん、そばにいてあげなきゃいけない時なんだよ。

だから結婚式は……もう少し延期しないか?」

試着室のカーテンの向こうから聞こえる長谷川慶(はせがわ けい)の声は、どこか申し訳なさそうだった。

彼が結婚式を延期するのは、これで3度目だった。

慶が大切に育ててきた義理の妹・長谷川杏奈(はせがわ あんな)は、またしても肝心な時に、そのか弱さを見せつけてきた。

私はカーテンを開けて、落ち着いた気持ちで彼を見つめた。

「杏奈が失恋したからって、どうして私たちの結婚式を延期しなきゃいけないの?」

慶は唇を結んで言った。「結衣(ゆい)、誤解しないで。杏奈は別れたばっかりで、一番なぐさめてほしいときなんだ。俺たちが結婚したら、あの子をもっと悲しませることになる」

喉の奥がツンとして、今までずっと溜め込んできた悔しさが一気にこみ上げてきた。

「じゃあ、私たちは一体いつになったら結婚できるの?杏奈に次の恋人ができるまで?それとも、彼女が結婚して子どもを産むまで待てってこと?」

慶の顔つきが険しくなり、声も冷たくなった。「どうしていつも杏奈のこと、そんなに悪く言うんだ?あの子には両親がいなくて、頼れるのは俺だけなんだよ!もう少し待ってくれてもいいじゃないか!」

待つ?

まだ、待てっていうの?

杏奈のせいで、私はもう7年も待たされてるのよ。

7年前の1回目の結婚式。大学に入ったばかりの杏奈が、慶にしがみついて泣きじゃくった。「お兄ちゃん、あの人と結婚したら、私のこと、もういらないの?」って。

それにほだされた慶は、招待客全員の前で、結婚式の延期を宣言した。

3年前の2回目の結婚式では、大学を卒業していた杏奈が、置き手紙一つを結婚式場に届けて家出をした。

慶は式を中断して、私や招待客を置き去りにして空港に走って行った。

慶は、杏奈に彼氏ができたら結婚するから、って言った。

彼らが本当の兄妹みたいに仲がいいから、私は我慢した。

この3年で、私が杏奈にどれだけ男の子を紹介したことか。でも彼女はいつも乗り気じゃなくて、ああでもない、こうでもないって文句ばっかり。

やっとのことで彼氏ができたと思ったら、私と慶の結婚式の直前になって、あっさり別れちゃう。

何年経っても、慶にとって、杏奈はいつまでも自分が守ってあげなきゃいけない、小さな女の子のままなんだ。

そして私は、いつだって譲ってあげなきゃいけない立場。

「慶、私の気持ち、考えたことある?

もう7年も待ってるのよ。周りからはとっくに笑いものにされてるわ」

「他人の目なんて関係あるか?」慶はイライラしたように私の言葉をさえぎった。「俺たちの気持ちを、他人に決めつけられる必要なんてないだろ?」

ばかげてる。おかしくて笑えてくる。

7年前に顔を見合わせて帰っていく招待客たち。3年前、迷いなく空港へ走り去った慶の背中。

いつだって私たちの関係は、みんなの前で好奇の目にさらされて、噂されてきた。

私は「結婚できない子」なんて言われて、飲み会での笑いのタネになってる。

それなのに慶は、あっさりと「他人の目なんて関係あるか?」なんて言うんだから。

何か言い返そうとしたとき、慶のスマホが鳴った。

「もしもし、杏奈か?

どうした?泣かないで、ゆっくり話してごらん」

私はその場に立ち尽くした。さっきまで自分にイライラした口調だった婚約者が、別の女の人には甘くささやいている。

「わかった、そこにいて。すぐ行くから」

電話を切ると、慶は私に一瞥もくれず、上着をつかんで部屋を飛び出していった。

私は試着室に戻って、鏡を見ながら、ウェディングドレスの背中のリボンを一つ一つほどいていった。

大学を卒業したばかりの頃を思い出す。慶は私の手を握って、キラキラした目で言った。

「世界で一番素敵な結婚式をしよう。お前が俺の妻だって、みんなに自慢したいんだ」って。

あの頃、私たちが世界で一番幸せになれるって、本気で信じてた。

このウェディングドレスは、デザインから全部、そこに飾られたパールの一粒一粒、レースの一枚一枚まで、全部私が選んだもの。

このウェディングドレスを着て、慶の隣に立つ日を、何度も何度も夢見てた。

私がどれだけ待ってきたか、彼が知らないはずはない。ただ、私がいつまでも待ち続けると、そう思ってただけ。

私のつらさも、惨めな気持ちも、慶は決して見てくれない。私がただ、わがままを言っているとしか思ってないんだ。

私はウェディングドレスを丁寧にたたんで、箱に戻した。

そしてブライダルショップを出て、慶にメッセージを送った。

【別れよう。あなたは杏奈と、お幸せにね】
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第1話
「杏奈が失恋したばかりでさ。今がいちばん、そばにいてあげなきゃいけない時なんだよ。だから結婚式は……もう少し延期しないか?」試着室のカーテンの向こうから聞こえる長谷川慶(はせがわ けい)の声は、どこか申し訳なさそうだった。彼が結婚式を延期するのは、これで3度目だった。慶が大切に育ててきた義理の妹・長谷川杏奈(はせがわ あんな)は、またしても肝心な時に、そのか弱さを見せつけてきた。私はカーテンを開けて、落ち着いた気持ちで彼を見つめた。「杏奈が失恋したからって、どうして私たちの結婚式を延期しなきゃいけないの?」慶は唇を結んで言った。「結衣(ゆい)、誤解しないで。杏奈は別れたばっかりで、一番なぐさめてほしいときなんだ。俺たちが結婚したら、あの子をもっと悲しませることになる」喉の奥がツンとして、今までずっと溜め込んできた悔しさが一気にこみ上げてきた。「じゃあ、私たちは一体いつになったら結婚できるの?杏奈に次の恋人ができるまで?それとも、彼女が結婚して子どもを産むまで待てってこと?」慶の顔つきが険しくなり、声も冷たくなった。「どうしていつも杏奈のこと、そんなに悪く言うんだ?あの子には両親がいなくて、頼れるのは俺だけなんだよ!もう少し待ってくれてもいいじゃないか!」待つ?まだ、待てっていうの?杏奈のせいで、私はもう7年も待たされてるのよ。7年前の1回目の結婚式。大学に入ったばかりの杏奈が、慶にしがみついて泣きじゃくった。「お兄ちゃん、あの人と結婚したら、私のこと、もういらないの?」って。それにほだされた慶は、招待客全員の前で、結婚式の延期を宣言した。3年前の2回目の結婚式では、大学を卒業していた杏奈が、置き手紙一つを結婚式場に届けて家出をした。慶は式を中断して、私や招待客を置き去りにして空港に走って行った。慶は、杏奈に彼氏ができたら結婚するから、って言った。彼らが本当の兄妹みたいに仲がいいから、私は我慢した。この3年で、私が杏奈にどれだけ男の子を紹介したことか。でも彼女はいつも乗り気じゃなくて、ああでもない、こうでもないって文句ばっかり。やっとのことで彼氏ができたと思ったら、私と慶の結婚式の直前になって、あっさり別れちゃう。何年経っても、慶にとって、杏奈はいつまでも自分が守ってあげなきゃいけ
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第2話
家に帰ると、両親がリビングで私を待っていた。ドアが開く音を聞いて、母がすぐに駆け寄ってきた。その笑顔には期待がこもっている。「ウェディングドレス、どうだった?」父は何も言わなかったけど、読んでいた新聞から目を離した。私は無理に笑って、二人に告げた。「結婚式、またなくなったの」少し間を置いて、付け加えた。「私、慶と別れたから」「バカなこと言わないで!」母がいきなり声を荒げた。「結衣、あなたもういくつなの?意地を張らないで。慶さんは彼の妹さんの面倒を見て大変なんだから、わかってあげなきゃ。延期になっただけで、中止じゃないでしょ。数ヶ月遅れるだけじゃないの?7年も待ったんだから、あと数ヶ月くらい平気でしょ?」母を見ていると、自然と涙がこぼれてきた。みんな私に慶をわかってあげろって言うけど、じゃあ私のことは誰がわかってくれるの?「お母さん、私、今年でもう29歳だよ。それに、あの兄妹の関係は、どう考えても普通じゃない」父は眉をひそめて、勢いよく立ち上がった。「どこが普通じゃないんだ?二人は兄妹なんだから、仲がいいのは当たり前だろう。明日は山本家と長谷川家の合同記者会見なんだぞ。招待状も送ったし、マスコミへの手配も済んでる。このタイミングで別れるなんて、山本家を潰す気か?」私は口を開いたけど、喉がからからで声が出なかった。この人たちは本当に私の家族なの?慰めの言葉は一つもなくて、冷たい非難ばかり。二人にとって、私の幸せはたかが記者会見ひとつにも及ばないんだ。長い沈黙の後、父は少し表情を和らげた。「結衣、お父さんも年だ。体も弱くなる一方で、あと何年もつかわからない。弟の勇太(ゆうた)はまだ小さいし、この大きな会社を誰が継ぐんだ?長谷川家はここ数年、勢いがある。うちには慶さんが必要なんだ」私は父を見て、訳がわからないという顔で聞いた。「お父さん、うちの会社は、私じゃだめなの?」海外で経営学も学んだし、今まで私が担当したプロジェクトは全部うまくいってるのに。「お前が?」父は鼻で笑って、手を振った。「お前はいずれ嫁に行く身だ。山本家の会社は、勇太に残すものなんだから」信じられない思いで父を見た。「お父さん、忘れたの?大学を卒業して、良い就職先を断って、傾きかけてた山本家の会社を立て直した
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第3話
次の日、長谷川家と山本家の合同記者会見があった。このプロジェクトには、丸一年分の私の想いがつまってる。二日酔いの頭痛をおさえながら、痛み止めをのんで、赤いセットアップの服を選んだ。会見の会場は招待客でいっぱいで、マスコミのフラッシュがまぶしくて目がくらみそう。杏奈が来ていないのを見て、私は少しほっとした。記者会見は順調に進んで、最後に新作が発表されると、会場からはわあっと感嘆の声があがった。マスコミからの質疑応答の時間になって、ある記者が質問してきた。「山本さん、長谷川さんとはもう7年のお付き合いだそうですが、どうしてまだご結婚されないんですか?」その言葉に、胸がちくっと痛んだ。私はその場で固まってしまって、なんて答えたらいいか分からなくなった。今の私と慶の関係って、まだ恋人って言えるのかな……会場が、ひそひそとざわつきはじめた。「7年も付き合って結婚しないなんてね。やっぱりお金持ちの家に入るのは大変なんだよ」「ずっと彼女の方から追いかけてるって話だよ。長谷川社長は、本当は結婚する気ないんじゃないの」「ほんとそれ。彼女の実家の会社が長谷川社長のとこと取引がなかったら、とっくに捨てられてるでしょ」私はマイクをぎゅっと握りしめた。張りついた笑顔が、今にも引きつりそうだった。そのとき、慶が一歩前に出て、私の手からマイクを取った。「俺と山本さんとの仲は順調です。年内に結婚する予定でいます」私は何も言えないまま、彼の腕の中に引きよせられた。心の中は、嬉しいのか悲しいのか、ぐちゃぐちゃだった。会場は一瞬静まったかと思うと、羨望の嘆声が沸き起こった。私の両親は、もう満面の笑みで、まわりの人たちににこやかに会釈していた。ガシャーンッ――シャンパンタワーが崩れて、ガラスの割れる音がした。会場にいた全員が、そっちに目を向けた。入り口には、いつのまにか杏奈が立っていた。彼女は真っ青な顔で、くるっと向きを変えると、会場を飛び出していった。たぶん、慶の「年内に結婚する」っていう言葉を聞いちゃったんだ。慶は、考えるよりも先に彼女を追いかけようとした。私は彼の腕をつかんだ。「今日はマスコミが多すぎるわ。変な記事が出たら、杏奈のためにならない」それから秘書に目くばせした。「彼女の様子を見てき
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第4話
そう言うと、慶は人ごみをかき分け、狂ったように会場を飛び出していった。あそこは屋上じゃなくて、ホテルのスカイテラスなのって言いたかった。地面からの高さも2メートルちょっとしかないのに。とっくに警備員も手配して、万全の態勢だった。でも、慶は説明するチャンスをくれなかった。さっきまで羨ましそうに見ていた招待客たちが、ひそひそと噂話を始めた。「さっきの長谷川社長の目つき、まるで彼女を食い殺しそうな勢いだったじゃない!二人の仲が順調?よく言うわ!」「自業自得よ!どう見ても腹黒い女じゃない。長谷川社長の妹さんを追い出して自分がのし上がろうなんて、玉の輿に目がくらんだのね?」「兄妹?長年一緒に暮らして、情が移っちゃったんじゃないの?山本さんが可哀想ね」その一言一言が胸に突き刺さり、私は深い奈落の底に落ちていくようだった。記者会見の総責任者として、私も人々の後を追ってスカイテラスへ向かった。スカイテラスにはすでに大勢の人が集まっていて、みんな同じ方向に向けてスマホを構えていた。慶が、杏奈の前にひざまずいて、少しずつにじり寄っていた。「杏奈、下りてきてくれ。お願いだ」彼の声は震えていて、今までにないほどの恐怖がこもっていた。「お兄ちゃん、私があなたにとって一番大事な人?」「そうだ!もちろんだよ!」慶は必死に答えた。その声はうわずっていた。「杏奈、俺が一番大切に思っているのはずっと君だ。君を超える人なんてどこにもいない。今までも、これからも!」杏奈はようやく慶に視線を戻した。彼女は無邪気な子供のように、こてんと首をかしげた。「じゃあ……あの女は?」そう問いかけながら、杏奈はまた少し身を乗り出した。慶は恐怖で顔面蒼白になった。「結衣は……ただの仕事のパートナーだ!杏奈、君こそが俺の命なんだ!」その言葉を聞いて、私の心臓をえぐられたようだった。苦しくて、息もできない。もう手放そうと決めていたけど、それでも7年間も付き合ってきたんだ。さっきは二人の仲は順調だって言ったのに。ふん、順調なパートナー関係ってわけね。杏奈はついに泣き止んで笑顔を見せると、慶に両腕を広げた。慶は駆け寄って彼女を抱きしめ、長いため息をついた。杏奈は慶の首筋に顔をうずめ、ほっとしたように、でも辛さをこらえ
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第5話
旅立ちの前に身辺整理をしたけど、慶との間で清算すべきなのは、彼の会社の私の株だけだった。会社は大学のときに二人で立ち上げた。私は情熱も貯金も、すべてを注ぎ込んでいた。スカイテラスでのあの出来事以来、慶から連絡はなかった。出発の前日、私は彼のオフィスへ向かった。私を見た慶は、ほんのわずかに笑みを浮かべた。「やっとわかったか?この数日、お前を放っておいたのは、よく反省させるためだからな」彼は、この数日私を無視すれば、私が根を上げるとでも思ったんだろう。「反省することなんて何もないわ。それに、今日は仲直りに来たんじゃない。けじめをつけに来たの」私は前もって準備していた株式譲渡の契約書を机に置くと、慶の前にそっと押し出した。慶はいら立った様子で言った。「杏奈はお前の責任を追及する気なんてないんだ。この数日、お前の悪口ひとつ言わなかった。なのに、お前はまだ何が不満なんだ?」私は静かに彼に言った。「杏奈はあなたの大切な女でしょ。私のじゃない。だから、彼女のことなんてどうでもいいの。それに、私たちもう別れたんだから」「別れた?」慶はとんでもない冗談でも聞いたかのように言った。「俺が同意したか?」私はため息をついた。もうこれ以上、彼とごたつきたくなかった。「慶、私、しばらくF国へ行くの。この株を、現金にしたいの」それこそが、今日ここに来た私の目的だった。「外で気分転換するのもいいだろう。ちょうど頭を冷やして、よく考えるいい機会だ」慶はまだ怒っているのか、そっけない口調で窓の外に目を向けた。「株を売る必要はない。いくら必要か言え。俺がやる」彼はスマホをいじり終えると、机にぽいと投げ返した。数分後、私のスマホに送金通知が届いた。画面に並ぶゼロの数を見て、私はもう一度、株の話を切り出そうとした。口を開こうとしたそのとき、慶のスマホが鳴った。電話の向こうからは、杏奈の泣きそうな声が聞こえてきた。「お兄ちゃん、事故を見ちゃったの。道路の向かい側で、車が二台、ぶつかって……お兄ちゃん、こわいよ」慶の顔色はさっと変わった。電話の向こうの杏奈をなだめながら、ジャケットをつかんで外へ向かう。ドアのところまで来ると、彼は一度だけ私を振り返った。「杏奈の両親は、交通事故で亡くなっているんだ。
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第6話
それから、1ヶ月が過ぎた。慶は書類を片付けながらも、ついスマホの画面に目をやってしまう。でも、通知が光るたび、そこに表示されるのは自分が見たい名前ではなかった。彼はイライラして、ペンを机に投げ出した。あいつも、よく平気でいられるもんだ。スカイテラスでのあの日のこと。たしかに、みんなの前でとった自分の態度は、ひどすぎた。結衣には、悪いことをした。でも、あのときの杏奈の様子を見たら、どうしようもなかったんだ。慶は、結衣がF国で気が済んだら、きっと帰ってくるだろうと考えていた。そのときが来たら、ちゃんと話し合って、何か埋め合わせをしてやればいい、と。自分たちの長年の付き合いだ。そんなに簡単に切れるはずがない。また、さらに1週間が経った。オフィスで、慶はスマホの画面をにらみつけ、もうじっとしていられなかった。まったく連絡がとれないこの感じ。心にぽっかり穴が空いたようで、知らないうちに不安がどんどん大きくなっていく。慶は結衣とのトーク画面を開いた。やりとりは、記者会見の日のままで止まっている。彼は何気ないふりをしながら、メッセージを打ち込んだ。【F国は楽しい?いつ帰ってくる?迎えに行くよ】しばらくしても、メッセージに既読がつかない。慶の指が止まった。一瞬、頭が真っ白になる。結衣にブロックされた?ありえない。今までで一番ひどい喧嘩をしたときでさえ、彼女は電話に出ないだけだったのに。慶は、すぐさま結衣に電話をかけた。「おかけになった電話番号は、現在使われておりません」スマホを握ったまま、慶の腕が宙で固まった。今まで感じたことのない恐怖が、彼の心臓をわしづかみにした。オフィスのドアがノックされた。秘書が書類の束を抱えて入ってきて、そっと机の上に置いた。「社長、こちら山本さんが残された株式譲渡の契約書です。法務での手続きが完了しましたので、ご確認の上サインをお願いします」慶がそれを手に取ると、指先がかすかに震えていた。これはつまり、法律上、二人で立ち上げたこの会社が、もう結衣とは何の関係もなくなったことを意味していた。彼女はすべてをきれいに清算して、すっぱりと消えてしまったんだ。慶の頭の中は、ぐちゃぐちゃだった。この会社は、二人の血と汗の結晶だ。特に、結衣に
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第7話
その頃、杏奈の体の傷について、世間のうわさはどんどん広がっていた。正人は、しかたなく声明を発表した。声明では、彼と杏奈は友人以上の関係ではないこと、そして暴力も一切なかったことがはっきりと書かれていた。慶は杏奈にたずねた。「その傷、いったいどうしたんだ?」杏奈の体がびくっと震えた。「自分でやったの」「どうしてだ?」慶は怒りを必死におさえていた。「だって、つらいんだもん!」杏奈は自分の傷を指さした。「ここが痛くたって、心の痛みの百分の一にもならない!あなたが私を捨てて、他の女の人といるって考えただけで、心がナイフで切り裂かれるみたい!もう耐えられないの!」彼女はヒステリックに叫んだ。ほとんど狂ったような杏奈の姿を見て、慶は呆然と立ちつくした。「スカイテラスの日、どうして結衣を陥れようとしたんだ?」「してないよ。私、そんなこと一言も言ってないもん」慶の頭にガンと衝撃が走った。彼はあの日のことを思い出す。杏奈の傷を見て、自分は無意識に結衣のしわざだと決めつけてしまった。結衣に弁解のチャンスさえ、与えなかった。心臓を見えない手でわしづかみにされたみたいだった。慶は、苦しくて息もできない。「でも、お兄ちゃん、あなたは間違ってないよ。この傷は、彼女が直接つけたわけじゃない。でも、彼女のせいなのは確かなんだから」杏奈の声に、慶ははっと我に返った。「もしあの女があなたを奪おうとしなければ、私もこんなに苦しまなかった。だから、彼女を罰するのは当然だよ」慶は思わず一歩あとずさった。冷たいものが頭のてっぺんまで駆けのぼる。今まで、杏奈はただ自分に依存しているだけだと思っていた。それは妹として、兄を独り占めしたいだけなんだと。でも今は、長年目をそむけてきた事実と向き合わなければならない。この感情は、とっくにゆがんでしまっていたのだ。慶は、どうやってあの家を出たのか覚えていない。彼はまるで幽霊のように、深夜の街をあてもなくさまよった。薄っぺらい服のえり元から冷たい風が吹きこむ。でも、慶は寒さを感じなかった。ふと我に返ると、いつの間にか、あの記者会見があったホテルの前に立っていた。この角度から見上げると、いわゆる「屋上のヘリ」は、ただの広いスカイテラスだった。もし杏奈が本当に落ち
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第8話
慎也は、私の部屋の真下を借りてくれた。彼は大きな犬みたいに、毎日私の後をついてきて、講義にも一緒に出た。アトリエでうとうとしたり、制作中には絵の具を手渡してくれたりした。慎也は昔のことを話さなかったし、私もこれからのことは聞かなかった。ある日の午後、私がデザイン画を描いていると、慶がドアをノックした。彼はなんだか痩せて、やつれていた。目の下には、ひどいクマができていた。「結衣、あの日は俺がカッとなったんだ。ずっと後悔してる」私は首を横に振った。「もう気にしてないから」慶は一歩近づいて、言葉を続けた。「杏奈が俺に、兄妹以上の気持ちを抱いてるって、やっと気づいたんだ。結婚を先延ばしにしてたのは、俺がどうかしてたんだ。俺と国内に帰ってほしい。すぐにでも、最高の結婚式をしよう。結婚したら、二人だけで暮らすんだ。ねぇ、いいだろ?」私は小さく笑った。「もういいの。私たち、別れたでしょ?」ドアを閉めようとすると、慶がぐっとドアノブを押さえてきた。ちょうどそのとき、廊下に慎也が現れて、私をかばうように前に立った。慶の表情が、苦しげなものから驚きへと変わった。「結衣、気持ちは遊びじゃないんだぞ。俺への当てつけで、適当に他の男と付き合うな」慎也が慶を突き放した。「お前は、ちょっとおかしいんじゃないか?結衣さんの7年間を無駄にしたくせに、今さら何がしたいんだ?彼女を守れないなら、もう二度と関わらないでくれ」「慶」私はやっと口を開いた。声は、自分でも驚くほど落ち着いていた。「私が誰と付き合おうと、あなたには関係ない。私の人生は、私自身のものだから」慶は、がっくりと肩を落として帰国した。まるで魂が抜けてしまったみたいだった。会社には書類が山積みになっていたけど、彼は仕事にまったく手がつかなかった。杏奈は、前にも増して慶にまとわりついた。昔みたいに甘やかしてほしかったんだ。でも慶は、何度も彼女を突き放すだけだった。そして長谷川家から出ていくように言った。一生お金に困らないよう、面倒は見ると約束した。杏奈の心は、だんだんと壊れていった。ある日、彼女は果物ナイフを自分の首に突きつけて、慶を脅した。「お兄ちゃん。もし私のことがいらないなら、ここで死んであげる」慶は、首筋ににじむ血を見ても、まっ
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