批評は刃にもなるし航路標にもなる。創作の外側から放たれた言葉は、受け手の心身と仕事の在り方を本当に変えてしまうと何度も見てきた。僕は制作に没頭する側の視点で話すと、
侮蔑的な批評が最初に与えるのは自己効力感の崩壊だ。冷たい言葉は脳裏に残り、次の構想を打ち消す雑音になる。場面やセリフを考えるたびに「あれはダメだった」と繰り返し再生されるような感覚が生まれ、創作の自由が徐々に狭まっていく。
さらに現実的な影響も無視できない。SNSでの集団的な非難は制作チームの動揺を招き、プロジェクトの進行や契約の継続に影を落とす。実際に'『The Last of Us Part II』'が受けた激しい反応は、作り手への脅迫や精神的な負担を生み、それが次作の方針や広報戦略にまで影響した例として記憶に残っている。僕自身、過去に一度、酷評が原因で外部からの仕事が減り、生活設計を見直さざるを得なかった。経済的プレッシャーは創作者を安全圏に押し込み、冒険的な表現を避ける方向に導く。
だが一方で、正しく届いた批評は作品を磨く研磨剤にもなる。僕が学んだのは、言葉の受け止め方次第で同じ批評が破壊にも成長にも転じるということだ。建設的な指摘からは具体的な改善点が見え、人間関係を保てれば協働の質も上がる。だからこそ、創作者側には精神的な防御策とコミュニケーションの技術が求められる。批評の矢面に立たされても、自分が守るべき核を見失わず、取捨選択して糧にする術を持つことが重要だと僕は今も信じている。