例えば、海での勢力争いの場面を思い浮かべてほしい。そこで誰かが『
清濁併せ呑む』性格だとすると、善悪や利害の区別を超えて状況全体を受け入れ、必要ならば汚れ仕事も引き受けて結果的に皆をまとめるタイプだと僕は考える。具体例として、ある船長が恩義ある敵を手放さず仲間に迎え入れるようなとき、それは清濁併せ呑むの精神に近い。単なる度量の大きさを超えて、秩序と混沌を同時に取り込む態度が肝だ。
寛仁大度という四字熟語を対比すると、こちらは人への寛大さや大らかな心を指す。私が見るところでは、寛仁大度は個人の許容力や
赦しに重きがあり、汚れ仕事を厭わず一度にすべてを飲み込むというよりは、人の過ちを大目に見る温かさが中心となる。たとえば、裏切り者を
咎めずに再起を促す描写は寛仁大度のほうがしっくり来る。
泰然自若という言葉はさらに性質が違う。これは外的混乱に動じず落ち着いていることを表すから、清濁併せ呑むが方向性や結果を含めて能動的に“受け入れる”のに対して、泰然自若はどんな混沌が来ても自分の平静を保つ、という受け止め方に近い。『ワンピース』のある場面を引けば、仲間の行動を丸ごと包み込み場を収める船長は清濁併せ呑む。対して重圧の中でも冷静な判断を崩さない古参の
参謀タイプは泰然自若、仲間に寛容で常に励ます親分肌は寛仁大度、と分類できる。僕にはこの使い分けが、場面ごとに人物像を鋭く描き分ける助けになっている。