あのラストを観た後、頭の中で問いが鳴り続けている。終盤に差し出された“
請い”が後日談の伏線になっているかどうかは、語り手の意図と作品の構造次第だと考えている。
僕の経験では、'メメント'のように記憶と真実そのものがテーマになっている作品だと、ラストの請いはその後の展開を暗示するよりも、観客の解釈を揺さぶるための装置になっていることが多い。つまり請いそのものが「物語を続けさせる」ためのフックというより、主人公の心理や倫理の結末を読者に問い返す役割を果たす。
それでも、請いが実際に後日談へつながる伏線になる場合もある。シリーズ化や拡張媒体を前提にしているとき、脚本や演出はわざと断片を残し、続編で回収するための種を撒く。個人的には、ラストの請いが明確に答えを提示しないとき、その余白こそが続編の土壌になると感じる。だからこそ、観客としてはその一言が何を意味するかを想像する余地を楽しむことになる。