Se connecter居眠りの罰で、美術室の掃除を命じられた白浜は、そこで無口な美術部員の南条と出会う。 誰にも気を取られずに筆を走らせるその横顔に、なぜか胸がざわついた。 ——なんで、俺のこと見ないんだろう。 明るく振る舞い、誰とでも仲良くやれるはずの白浜は、南条にだけ通じない距離に戸惑っていく。 最初は「ちょっと気になる」だけだった。 けれどそれが、担任教師の言葉が引き金となり、その気持ちは〝ただの興味〟じゃないと気づいてしまう。 それでも、南条は相変わらずマイペースで……。 〝放課後の君〟に恋をした高校最後の1年間。 甘くて、眩しくて、一生忘れられない、恋と友情と青春の物語。
Voir plus「だああああああ、なんで俺だけぇ!?」
放課後の美術室に、俺の叫び声だけが虚しく響いた。 静寂を切り裂くような声だったのに、それを打ち消す反応すらない。 この部屋には誰もいない。それがますます虚しい。 ことの発端は、美術の授業中に俺がうっかり居眠りしてしまったことだった。いや、正確に言えば〝うっかり〟ではない。お経みたいな先生の声に、つい……というやつだ。 でもその一瞬の油断が、しっかりと罰として返ってくるあたり、教師という存在は容赦がない。 『授業態度が悪い生徒には、清掃奉仕が一番です』 なんて、美術の「なぁ、正式にモデルしようか?」 美術室の真ん中、いつもの定位置にいる南条の真正面に座りながら、思い切って口にした。 彼は明らかに顔をしかめた。わかりやすいほどの拒否反応。 でも俺は、ここで挫けない。 心を鬼にして、南条に言葉をかけ続けた。 「動くと、描くの大変だろ? 俺、ちゃんとじっとしてるよ!」 「……別に、君を描いているなんて言ってないけど」 相変わらずつれない返事。 でも、その言葉とは裏腹に、彼の表情はほんのすこしだけ緩んでいる気がする。 南条は手を止めると、ゆっくりと立ち上がった。 そして椅子を手に取り、キャンバスの前からすこし離れた位置にそれを置いた。 「……まぁ、動かないでいてくれるなら、助かる」 短く、静かな言葉だった。 でもその一言が、心にじんわりと染み込んでくる。 認められたような、受け入れられたような。 小さな〝許可〟が、こんなにも嬉しいなんて思わなかった。 俺は促されるままにその椅子に座り、姿勢を正す。 南条はため息をひとつ落とし、再びキャンバスの前に戻って筆を手に取った。 美術室の中に、静けさが戻る。 窓の外からは、夕方の光が柔らかく差し込んでいた。 その光の中で、紙の上をすべる鉛筆の音が、心地よく響いている。 まるで、ここだけ時間の流れが違うみたいだった。 「……なぁ。なんでいつもさ、最初はお前しかいないの?」 じっとしたまま、ふと疑問を口にする。 美術室に来るたびに、最初にいるのは決まって南条ひとりだけだった。 静かな部屋の中で、ひとりキャンバスに向かうその姿。 ずっと前から気になっていたけれど、聞くタイミングを完全に見失っていた。 「……みんな、部活を掛け持ちしてる。生粋の美術部員は僕だけ」 「え、そうなの?」 身体はそのままに、言葉だけをぽつぽつと繋いでいく。 南条もまた、視線をキャンバスから外さずに、同じよう
放課後になると、美術室へと足を運ぶ。 南条はすでにキャンバスに向かっていて、俺はそれを斜め後ろから黙って眺めていた。 部員たちが来る前に立ち去る。それももう、すっかり習慣になっていた。 絵を描く音、画材の匂い、淡い陽の光——ここにいると、時間がゆっくり流れている気がする。 今日もその時間を存分に堪能した俺。 居心地の良さすら覚えるその静けさを、すこし惜しむようにして、美術室を後にした。◇ 昇降口に向かって渡り廊下を歩く。 その途中だった。 見覚えのない女子生徒が、ふいに俺の前に立った。 サラサラと風に揺れるミディアムヘア。校則ぎりぎりの長さを超えたスカートの裾が、ふわりと揺れる。 その人は、当たり前のように俺の名前を呼んだ。 「白浜くん」 呼びかけられて、つい足が止まる。 「あ……うん」 なんとなく返事をするものの、女子生徒の名前がすぐには浮かばなかった。 顔も、声も、記憶に引っかからない。 彼女はこちらをまっすぐ見たまま、ぽつりと口を開いた。 「最近、南条陽生くんと仲いいんだね」 「……え?」 思いもよらない名前が出てきて、咄嗟に変な声が出る。 なんで、南条の名前がここで出てくるのか。 状況が読めない俺は、動揺を悟られないように、いつもの調子で軽く笑って答える。 「まぁ……うん? 変わってるなって思ってさ。なんか、面白いやつだなって。話したくなるっていうか?」 言葉を繋いでいるうちに、胸の奥がじんわりと締めつけられていく。 自分でも理由がよくわからなかった。 ただの言い訳みたいに聞こえていないか、それだけが気になってしょうがない。 彼女はしばらく何も言わず、俺の顔をじっと見つめていた。 やがて、視線をゆっくりと外して、小さく息を吐く。 「……そっか」 その一言に、なぜか胸の奥がざわついた。 何かを悟ったような空気をまとう、
「あれ……これって、もしかして……俺?」 放課後。 今日もいつものように、美術室に立ち寄った。 いつもと同じ時間だった。 でも部屋の中には、南条の姿がない。 すでに絵の前に座って鉛筆を走らせている時間のはず。そう思って部屋を見回すと、机の横に置かれた鞄を見つけた。 南条はどこかへ行っているのか。 不在の理由はわからない。けれど、俺はなぜか、部屋にひとりで立っていることに戸惑いを覚える。 それと同時に、その戸惑いよりも、もっと大きな感情が湧いていた。 これは、キャンバスを見るチャンスかもしれない。 昨日、すこし見えたあの〝人物〟が、どうしても気になっていた。 南条には「見るな」と言われ、その後は渋々視線を逸らした。だから、まともに見れていない。 「……」 俺は悪いことをしていると理解しつつ、ゆっくりと、彼のキャンバスに近づく。 見るつもりなんてなかった、という言い訳は、もうできない。キャンバスに掛けられた薄い布を、そっと取る。 ——描かれていたのは、空。 そしてその下に立つ、ひとりの人物。 濃淡を使いわけた鉛筆の線で描かれたそのシルエットは、今もまだ細かくは描き込まれていない。それなのに、不思議と〝生〟を強く感じさせた。 背中。髪のくせ。立ち方。肩の傾き。 どこか、見覚えがある。 いや——これは、きっと。 「……俺、じゃないか?」 小さく呟いたそのとき、不意に背後から声が飛んでくる。 低くて冷たい、聞き覚えのある声だった。 「……勝手に見んなって言ってるだろ」 「っ……あっ」 驚いて振り返ると、すぐ後ろに南条が立っていた。 いつ扉が開いたのかもわからなかった。 眉をひそめて、不機嫌そうにこっちを睨んでいる。 「わ、悪い……でも……」 言い訳の言葉が口の中で絡まる。 南条はゆっくりと歩み寄ると、無言でキャンバスの前に立ち、乱暴な動作で布を被せた。 まるで何か〝見られてはいけないもの〟でも隠すかのように。とにかく荒い。 「……見ないでって言ってるのに。何回言えばわかるの?」 低い声。怒っているというよりも、どこか困っているような声色に思えた。 普通ならここで引き下がるだろう。
「樹~。なんで最近、美術室に通ってんの?」 放課後、下駄箱の前で声をかけてきたのは、親友の富岡有理だ。 気さくで何でも話せる、昔からの友達。部活を引退してからも、ちょくちょく一緒に帰ったりしていた。 「え、なんとなく!」 俺は軽く肩をすくめて返事をする。 『絵が気になるから』なんて絶対に言えなかった。 だって、南条のあの絵のことを語る自信もないし、説明できるほど整理できていない。 それに——単なる興味だけで毎日足を運んでるなんて、どう考えてもおかしい。 有理がじっとこっちを見つめてくる。 その視線に焦って、俺はわざとらしく笑いながら有理の肩を軽く叩いた。 「ま、そういうことで。じゃあ、また明日なー!」 そう言って、その場を早々に離れる。 向かう先は、もう自分の中で決まっていた。 掃除当番はとっくに終わっている。先生に命じられていた罰も、もう済んでいる。 それでも俺の足は、勝手に美術室を目指していた。◇ 扉を開けると、やっぱり彼はそこにいた。 南条陽生——昨日、大澤先生からそう聞いた名前。 今日も変わらず、淡々と絵を描いている。 彼はちらっと俺の方を見て、すぐに視線をキャンバスに戻した。 「南条、お疲れ!」 明るく声をかけると、彼は勢いよく顔を動かした。 眉をひそめて、ものすごく怪訝そうな顔をする。 「……僕、君に名前を教えたっけ?」 あからさまに不機嫌な声色をしていて、すこし面白い。 顔はこちらを向いている。 でも、鉛筆を動かす手は止まらなかった。 その様子すらも、今の俺には〝見れてよかった〟と思えてしまう。 そんな自分が、不思議でしょうがない。 ふと、彼の描いているキャンバスが目に入った。 前に見たときは〝空〟だけだったはずなのに、そこには、新しく何かが描き込まれていた。 「……ん? なんか描き足してない?」 自然と覗き込む。 空の下には、小さく人物のようなシルエットがあった。 「……勝手に見んな」 「いいじゃん」 後ろ姿。背中。輪郭だけの線。 たぶん、男性。 細部は描かれていない。でも