放課後の君は、まだ遠い。

放課後の君は、まだ遠い。

last updateDernière mise à jour : 2026-03-03
Par:  海月いおりMis à jour à l'instant
Langue: Japanese
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居眠りの罰で、美術室の掃除を命じられた白浜は、そこで無口な美術部員の南条と出会う。 誰にも気を取られずに筆を走らせるその横顔に、なぜか胸がざわついた。 ——なんで、俺のこと見ないんだろう。 明るく振る舞い、誰とでも仲良くやれるはずの白浜は、南条にだけ通じない距離に戸惑っていく。 最初は「ちょっと気になる」だけだった。 けれどそれが、担任教師の言葉が引き金となり、その気持ちは〝ただの興味〟じゃないと気づいてしまう。 それでも、南条は相変わらずマイペースで……。 〝放課後の君〟に恋をした高校最後の1年間。 甘くて、眩しくて、一生忘れられない、恋と友情と青春の物語。

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Chapitre 1

第1章 放課後の美術室 ①罰の掃除

「だああああああ、なんで俺だけぇ!?」

 放課後の美術室に、俺の叫び声だけが虚しく響いた。

 静寂を切り裂くような声だったのに、それを打ち消す反応すらない。

 この部屋には誰もいない。それがますます虚しい。

 ことの発端は、美術の授業中に俺がうっかり居眠りしてしまったことだった。いや、正確に言えば〝うっかり〟ではない。お経みたいな先生の声に、つい……というやつだ。

 でもその一瞬の油断が、しっかりと罰として返ってくるあたり、教師という存在は容赦がない。

『授業態度が悪い生徒には、清掃奉仕が一番です』

 なんて、美術の木本きもと先生は言っていた。まるで俺を見せしめにでもするかのように、ひとりでこの広い美術室を掃除しろと命じたのだ。

 拒否する勇気なんてなかった。

 『評価を下げる』と言われれば、素直に従うしかないのが、俺たち生徒の立場。

 生徒とはなんて悲しくて、弱い生き物なのか……なんて、つまらないことを思う。

「だってさ~、いつ誰がどんな絵を描いたかとか、興味なくね? ゴッホ? ピカソ? それが今の俺にどう関係あるんだって話でさ~……!!」

 ひとり叫んだところで、もちろん誰にも届かない。

 思いつく画家の名前を挙げようとしても、すぐにネタ切れになる。自分の教養のなさが悲しくなっただけだった。

 俺が寝たのが悪い?

 それはわかってる。確かに俺が悪い。

 でも、そんなに退屈な授業をする先生も悪いと思う。

 もっと明るくて、楽しくて、テンション高めで話してくれたらいいのに。

 そうしたらすくなくとも、俺の意識がブラックホールみたいに吸い込まれることはなかったはずだ。

「……わかってるんだってっ!!」

 勢いよく持っていたほうきを床に叩きつけ、ぐいっと息を吸い込んでから、大きな溜息を吐いた。

 とはいえ……何を思ってもやるしかない。

 仕方なく箒を握り直して、美術室の床をひたすら掃き始める。

 机の下、棚の隙間、落ちている鉛筆の芯。無言で黙々と掃除をする。

 掃除自体は嫌いじゃない。だから、やり出すと意外と楽しい。それがまた癪だが。

 目線を窓の外に向けると、空がすこしずつ赤く染まっていくのが見えた。夕方の空気が、ガラス越しにじんわり染み込んでくる。

 そんな頃、廊下の方からパタパタと乾いた足音が聞こえてきた。

 パソコン室や家庭科室が近いこのエリアは、放課後になると部活の生徒が集まってくる。

 やがて美術室の扉が、ゆっくりと音を立てて開いた。

「……あっ」

 思わず声が漏れる。

 入ってきたのは、ひょろっとした背の高い男子だった。

 黒縁の眼鏡をかけていて、制服の着方はきっちりしている。どこか冷たそうな目とは裏腹に、透明感のある雰囲気をまとっていた。

 俺の存在に気づいたはずなのに、彼は何も言わず、ただ静かに鞄を置く。

 そして画材を取り出して、キャンバスをイーゼルに乗せる。こちらをいっさい見ないまま、無言で準備を始めたのだ。

 まさか、俺のことが見えてないのか。

 それとも掃除してる俺のことを、完全スルーでもしているのか。

「……」

 俺は何も言わないし、彼も何も言わない。

 なんだか気まずさを通り越して、ちょっと面白くなってきた。

 彼は席に座ると、さらさらと大きなキャンバスに鉛筆を走らせはじめる。

 その横顔は、まるで〝静寂〟をそのまま具現化したようで、不思議と目を引いた。

 でも。なにこの無言っぷり。

 ちょっとは反応してくれてもいいのに。

 むずむずしてきた俺は、思いきって話しかけてみた。

「……君、美術部?」

 返事はない。

 数秒の沈黙が落ちたあと、ようやく小さな声が落ちてきた。

「……そうだけど」

 あまりにもそっけなかった。

 思ってた10倍はそっけない。予想外すぎて、今度は逆にムカついてきた。

 誰とでも気さくに話せるタイプだと自負している俺だが、こんなあからさまに壁を作られると、さすがにすこし引っかかる。

「俺がここで何してたか、興味ないの?」

 すこし意地悪な言い方になった。

 けれど、彼は眉ひとつ動かさずに淡々と言う。

「……ない。木本先生が授業中に寝た生徒に掃除させるのは、いつものことだから。僕からすれば、珍しくもないよ」

「……」

 ……完全にバレていたようだ。

 俺に向けた目を、すっと鋭く細める。

 心の中を覗くかのような目つきに、心臓が掴まれたかのような感覚がする。

 俺は思わず、一歩後ろに下がった。

「……帰らないの?」

 また、刺すような一言が飛んできた。けれど今度は、視線すらこちらに向けない。

「え?」

「部活、始まるから。他の部員も来るし」

 つまり、もう出てってくれってことだろう。

 冷たすぎる態度に、すこしだけ苛立ちを覚えた。こんな態度を取る人、これまでに出会ったことがない。

「……帰るしっ」

 俺はそれだけ言って、そっと扉の取っ手に手をかけた。

 扉を開け、最後に一度だけ振り返る。

 美術室の中には、淡い夕陽が差し込んでいた。

 スケッチブックに向き合う彼の輪郭を、その光がやさしく包んでいる。

 その一瞬の光景が、なぜか頭から離れなかった。

 まるで——1枚の〝絵〟みたいだと思った。

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第1章 放課後の美術室 ①罰の掃除
「だああああああ、なんで俺だけぇ!?」  放課後の美術室に、俺の叫び声だけが虚しく響いた。  静寂を切り裂くような声だったのに、それを打ち消す反応すらない。  この部屋には誰もいない。それがますます虚しい。  ことの発端は、美術の授業中に俺がうっかり居眠りしてしまったことだった。いや、正確に言えば〝うっかり〟ではない。お経みたいな先生の声に、つい……というやつだ。  でもその一瞬の油断が、しっかりと罰として返ってくるあたり、教師という存在は容赦がない。 『授業態度が悪い生徒には、清掃奉仕が一番です』  なんて、美術の木本先生は言っていた。まるで俺を見せしめにでもするかのように、ひとりでこの広い美術室を掃除しろと命じたのだ。  拒否する勇気なんてなかった。  『評価を下げる』と言われれば、素直に従うしかないのが、俺たち生徒の立場。  生徒とはなんて悲しくて、弱い生き物なのか……なんて、つまらないことを思う。 「だってさ~、いつ誰がどんな絵を描いたかとか、興味なくね? ゴッホ? ピカソ? それが今の俺にどう関係あるんだって話でさ~……!!」  ひとり叫んだところで、もちろん誰にも届かない。  思いつく画家の名前を挙げようとしても、すぐにネタ切れになる。自分の教養のなさが悲しくなっただけだった。  俺が寝たのが悪い?  それはわかってる。確かに俺が悪い。  でも、そんなに退屈な授業をする先生も悪いと思う。  もっと明るくて、楽しくて、テンション高めで話してくれたらいいのに。  そうしたらすくなくとも、俺の意識がブラックホールみたいに吸い込まれることはなかったはずだ。 「……わかってるんだってっ!!」  勢いよく持っていた箒を床に叩きつけ、ぐいっと息を吸い込んでから、大きな溜息を吐いた。  とはいえ……何を思ってもやるしかない。  仕方なく箒を握り直して、美術室の床をひたすら掃き始める。  机の下、棚の隙間、落ちている鉛筆の芯。無言で黙々と掃除をする。  掃除自体は嫌いじゃない。だから、やり出すと意外と楽しい。それがまた癪だが。  目線を窓の外に向けると、空がすこしずつ赤く染まっていくのが見えた。夕方の空気が、ガラス越しにじんわり染み込んでくる。
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第1章 放課後の美術室 ④眼鏡の正体
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第2章 キャンバスの中 ②自分の姿
「あれ……これって、もしかして……俺?」  放課後。  今日もいつものように、美術室に立ち寄った。  いつもと同じ時間だった。  でも部屋の中には、南条の姿がない。  すでに絵の前に座って鉛筆を走らせている時間のはず。そう思って部屋を見回すと、机の横に置かれた鞄を見つけた。  南条はどこかへ行っているのか。  不在の理由はわからない。けれど、俺はなぜか、部屋にひとりで立っていることに戸惑いを覚える。  それと同時に、その戸惑いよりも、もっと大きな感情が湧いていた。  これは、キャンバスを見るチャンスかもしれない。  昨日、すこし見えたあの〝人物〟が、どうしても気になっていた。  南条には「見るな」と言われ、その後は渋々視線を逸らした。だから、まともに見れていない。 「……」  俺は悪いことをしていると理解しつつ、ゆっくりと、彼のキャンバスに近づく。  見るつもりなんてなかった、という言い訳は、もうできない。キャンバスに掛けられた薄い布を、そっと取る。  ——描かれていたのは、空。  そしてその下に立つ、ひとりの人物。  濃淡を使いわけた鉛筆の線で描かれたそのシルエットは、今もまだ細かくは描き込まれていない。それなのに、不思議と〝生〟を強く感じさせた。  背中。髪のくせ。立ち方。肩の傾き。  どこか、見覚えがある。  いや——これは、きっと。 「……俺、じゃないか?」  小さく呟いたそのとき、不意に背後から声が飛んでくる。  低くて冷たい、聞き覚えのある声だった。 「……勝手に見んなって言ってるだろ」 「っ……あっ」  驚いて振り返ると、すぐ後ろに南条が立っていた。  いつ扉が開いたのかもわからなかった。  眉をひそめて、不機嫌そうにこっちを睨んでいる。 「わ、悪い……でも……」  言い訳の言葉が口の中で絡まる。  南条はゆっくりと歩み寄ると、無言でキャンバスの前に立ち、乱暴な動作で布を被せた。  まるで何か〝見られてはいけないもの〟でも隠すかのように。とにかく荒い。 「……見ないでって言ってるのに。何回言えばわかるの?」  低い声。怒っているというよりも、どこか困っているような声色に思えた。  普通ならここで引き下がるだろう。
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第2章 キャンバスの中 ③知らない人
 放課後になると、美術室へと足を運ぶ。  南条はすでにキャンバスに向かっていて、俺はそれを斜め後ろから黙って眺めていた。  部員たちが来る前に立ち去る。それももう、すっかり習慣になっていた。  絵を描く音、画材の匂い、淡い陽の光——ここにいると、時間がゆっくり流れている気がする。    今日もその時間を存分に堪能した俺。  居心地の良さすら覚えるその静けさを、すこし惜しむようにして、美術室を後にした。◇ 昇降口に向かって渡り廊下を歩く。  その途中だった。  見覚えのない女子生徒が、ふいに俺の前に立った。  サラサラと風に揺れるミディアムヘア。校則ぎりぎりの長さを超えたスカートの裾が、ふわりと揺れる。  その人は、当たり前のように俺の名前を呼んだ。 「白浜くん」  呼びかけられて、つい足が止まる。 「あ……うん」  なんとなく返事をするものの、女子生徒の名前がすぐには浮かばなかった。  顔も、声も、記憶に引っかからない。  彼女はこちらをまっすぐ見たまま、ぽつりと口を開いた。 「最近、南条陽生くんと仲いいんだね」 「……え?」  思いもよらない名前が出てきて、咄嗟に変な声が出る。  なんで、南条の名前がここで出てくるのか。  状況が読めない俺は、動揺を悟られないように、いつもの調子で軽く笑って答える。 「まぁ……うん? 変わってるなって思ってさ。なんか、面白いやつだなって。話したくなるっていうか?」  言葉を繋いでいるうちに、胸の奥がじんわりと締めつけられていく。  自分でも理由がよくわからなかった。  ただの言い訳みたいに聞こえていないか、それだけが気になってしょうがない。  彼女はしばらく何も言わず、俺の顔をじっと見つめていた。  やがて、視線をゆっくりと外して、小さく息を吐く。 「……そっか」  その一言に、なぜか胸の奥がざわついた。  何かを悟ったような空気をまとう、
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第2章 キャンバスの中 ④正式なモデル
「なぁ、正式にモデルしようか?」  美術室の真ん中、いつもの定位置にいる南条の真正面に座りながら、思い切って口にした。  彼は明らかに顔をしかめた。わかりやすいほどの拒否反応。  でも俺は、ここで挫けない。  心を鬼にして、南条に言葉をかけ続けた。 「動くと、描くの大変だろ? 俺、ちゃんとじっとしてるよ!」 「……別に、君を描いているなんて言ってないけど」  相変わらずつれない返事。  でも、その言葉とは裏腹に、彼の表情はほんのすこしだけ緩んでいる気がする。  南条は手を止めると、ゆっくりと立ち上がった。  そして椅子を手に取り、キャンバスの前からすこし離れた位置にそれを置いた。 「……まぁ、動かないでいてくれるなら、助かる」  短く、静かな言葉だった。  でもその一言が、心にじんわりと染み込んでくる。  認められたような、受け入れられたような。  小さな〝許可〟が、こんなにも嬉しいなんて思わなかった。    俺は促されるままにその椅子に座り、姿勢を正す。  南条はため息をひとつ落とし、再びキャンバスの前に戻って筆を手に取った。  美術室の中に、静けさが戻る。  窓の外からは、夕方の光が柔らかく差し込んでいた。  その光の中で、紙の上をすべる鉛筆の音が、心地よく響いている。  まるで、ここだけ時間の流れが違うみたいだった。 「……なぁ。なんでいつもさ、最初はお前しかいないの?」  じっとしたまま、ふと疑問を口にする。  美術室に来るたびに、最初にいるのは決まって南条ひとりだけだった。  静かな部屋の中で、ひとりキャンバスに向かうその姿。  ずっと前から気になっていたけれど、聞くタイミングを完全に見失っていた。 「……みんな、部活を掛け持ちしてる。生粋の美術部員は僕だけ」 「え、そうなの?」  身体はそのままに、言葉だけをぽつぽつと繋いでいく。  南条もまた、視線をキャンバスから外さずに、同じよう
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