時代の規範や交通手段、法のあり方が当人の決断に重くのしかかる――そんな見方をいつもしている。例えば『Les Misérables』のような十九世紀初頭のフランスを思い浮かべると、
逃避行は単なる物理的移動ではなく、身分や前科という烙印を背負い続けることを意味していた。身分証明や職を失えば生計が立たない。私自身の感覚では、その時代は「行けるかどうか」より「行ったあとに誰が助けてくれるか」が重要だった。
街道の治安や情報伝達の遅さ、そして地方ごとの差異も見逃せない要素だ。列車網が未発達だと
逃げ場は限られ、声が早く広まる今日とは違って一瞬の隙が命運を分ける。性別による制約も大きく、女性が単身で動くことは社会的に許されない場合が多かった。私はこの背景を知ると、単なる「逃げたい」という衝動がどれほど計算された決断だったかを理解できる。
最後に、同時代の社会運動や革命の気配も決断を左右する。希望や追手の脅威が交錯する中で、逃避は自己保存だけでなく未来への賭けにもなる。そう考えると、主人公の
高飛びは個人的な反発だけでは説明しきれない、時代全体の反映として読み解けるのだと感じる。