コマ割りやトーンだけで笑わせる場面がある。作者は
コケティッシュな性格を、細部の積み重ねで読者に伝えていると感じる。
僕が特に注目するのは視線と間(ま)の使い方だ。わずかに伏せた目、ちらりと見せる白目、長めの読点で作られた間――それらがセリフの意味を二重化させる。例えば'かぐや様は告らせたい'のような作品では、表情の変化がセリフの裏の駆け引きを補完していて、計算された無邪気さが“こっけてぃしゅ”を生む。漫画的誇張(顔のアップ、背景のトーン、効果音のフォント)を用いて、照れや挑発の両方を同時に見せる手法が効いている。
次に動きの描写だ。髪を指でくるくるする、スカーフの端を引っ張る、といった小さな動作が繰り返されることでキャラクターの性格が立ち上がる。僕はそれを“仕草の語彙”と呼んでいて、作者は仕草をセリフ以上に語らせる。加えて、他キャラの反応カットを挿入することで、コケティッシュさは外部からの視点でも確認され、読者は自然にそれを受け取る。時には自己言及的な内心の独白が入り、あえて計算していることを示唆することで、好意的な揺らぎが生まれる。
最後にテンポと対比も重要だ。シリアスな展開の直後に軽い戯れを差し挟むことで、コケティッシュさがより際立つ。僕はこうした抑揚の付け方が上手い作者ほど、キャラクターの魅力が長く残ると感じている。絵の線、コマの余白、セリフの省略――どれも総合的に働いて初めて“ちょっと挑発的で守りたくなる”人物像が完成するのだ。