松本清張の作品における六本木の描写は、戦後日本の急激な都市化と社会の歪みを象徴する舞台として機能している。『ゼロの焦点』や『点と線』などに登場する六本木は、華やかなネオンに彩られた表の顔と、その陰に潜む闇が対照的に描かれている。ここでは、バーやクラブが欲望の交差点となり、登場人物たちの
堕落や孤独が浮き彫りにされる。
特に興味深いのは、清張が当時の六本木を『人工的な明るさ』で表現する手法だ。繁華街の喧騒を『蝋で固めたような不自然な輝き』と表現し、経済成長の裏で疲弊する人々の心理を建築物の描写に重ね合わせている。『黒い画集』では、米軍将校向けのナイトクラブが日本社会の米国依存を諷刺する装置として機能し、路地裏の雑居ビルが犯罪の温床となる構図が見事に再現されている。
地理的な正確さも清張文学の特徴で、昭和30年代の六本木交差点周辺の店舗配置や坂道の勾配まで緻密に描写されている。このリアリズムが、架空の殺人事件を現実味のあるものにしている。読者は、現在の六本木ヒルズ周辺の洗練されたイメージとは全く異なる、泥臭くも活気ある戦後復興期の街並みを追体験できる。
清張が六本木を選ぶ背景には、当時この地域が持つ二面性がある。昼間は外国公館が並ぶ国際色豊かなエリアが、夜は闇市の名残を留める無法地帯に変貌する。この転換が、表と裏の人格を使い分ける登場人物たちの心理描写と見事にシンクロしている。昭和の六本木が単なる舞台装置ではなく、社会
批評のメタファーとして機能している点が、他の推理作家との決定的な違いだ。
路地裏の焼き鳥屋の煙が高級ブティックの窓にまとわりつく描写や、米兵とホステスの会話が混ざり合う雑音の描写からは、文化の衝突と階層の混在が伝わってくる。清張作品を読むたびに、現代の六本木からは失われた『何か』を感じずにはいられない。