古文書や現地の記録を読み進めると、
簀巻きがしばしば生活の合理性と結びついて語られているのが見えてくる。養蚕や漁業が盛んな地域では簀(す)の素材が身近で、安価に大量に作れる点がまず大きな理由になる。火葬や棺を用いる余裕がない家や集落は、腐敗を遅らせて運搬しやすくするために簀で遺体を包んで移動させたことが多い。疫病や戦乱の際には急速に遺体処理を行う必要があり、簡便な簀巻きは現実的な選択肢だったと考えている。
記録に残る法令や寺社の指示を見ると、死は不浄とされる一方で共同体の秩序を守るために迅速な処理が求められた。そこで簀巻きは、宗教的な簡略化や地域ルールと折り合いをつけた「中間的解決」として機能していた。貧困層や身元不明者、犯罪被疑者の処遇に簀巻きが用いられた事例もあり、社会的な差別や監視の道具としての側面も無視できない。
実物資料や出土品を扱うたび、当時の人々が持っていた現実的な選択肢の幅を実感する。儀礼と実務、宗教観と衛生観が絡み合った中で、簀巻きは合理性と社会的意味を同時に帯びていたのだと思う。