ふと頭に浮かんだのは、感情の“足りなさ”がそのまま物語の推進力になっている場面だ。
僕が思い出す最初の例は『新世紀エヴァンゲリオン』の人物たちだ。シンジの孤独やアスカの強がり、レイの無垢さ──いずれも自分に欠けているものを他者に見てしまい、その結果すれ違いが生まれる。シンジが他人の絆や安心感を羨むたびに、画面の空気は重くなり、“
無い物ねだり”がキャラクターの選択を歪めていく様子が痛烈に伝わってくる。
次に心に残るのは『ハイキュー!!』のチーム内のやり取りだ。背の低さやスピード、ジャンプ力、冷静さ――選手たちは互いに持っていない長所を認め、同時にそれを羨む。特に若い世代の描写では、欠落感が努力の原動力にもなり得ることが生き生きと描かれていて、単なる嫉妬以上の深みを与えている。
最後に挙げたいのは『鋼の錬金術師』の兄弟の物語で、失ったものを取り戻したいという切実さが“無い物ねだり”を文字通り体現している。欠けた身体や失った時間に対する欲求が倫理や選択を制約し、物語の重さを支えている。こうした場面を見ると、何が足りないかを描くことでキャラクターが立体的になるのだと改めて感じるよ。