研究対象として扱う際、私の観察では文化史的な層が重なっているのがまず目につく。江戸期の肉筆浮世絵や古い説話に見られる性別を曖昧にする表象が、現代の
futanari表現に連続性を与えると論じる研究は多い。そうした歴史的素材を踏まえつつ、20世紀後半のマンガ・同人文化における性表現の発展、そして成人向け市場での流通が現代の形を育んだとされることが定説化しつつある。
社会学的・文化人類学的手法を用いる研究者は、テキストと視覚表現の分析に加え、コミュニティの参与観察や制作者への聞き取りを組み合わせることが多い。そこからは、futanariが単なる性的嗜好の一形態に留まらず、性別カテゴリそのものを遊びや転覆の対象にするメディア的実験であるという見方が出てくる。表現は時に性役割の固定観念を強化するものとして批判され、時に既存の二元論を揺さぶる解放的要素として評価される。
最後に、比較文化の視点で見ると、日本国内での受容と海外での読み替えが乖離する点が重要だ。研究者たちは、翻訳・流通・ファンダム文化のメカニズムがどのように意味を変えるかを追跡し、表象の移動によって生まれる新たな解釈や倫理的問題に注目している。こうした多層的な分析が、futanariを理解する鍵になると私は考えている。