社会的文脈を解きほぐす作業は、ディテールと制度の両方を見渡すことから始まる。
研究者はまず作品そのものをテクストとして精査し、その中に含まれる言語、描写、登場人物の身分や行動、空間の描き方に注目する。例えば、作品が描く労働の場面や屋台のやり取り、住居の密度感といった小さな符号は、当時の経済構造や日常生活のリアリティを示す重要な手がかりになる。こうした記述を、同時期の新聞、行政文書、戸籍や税関係の資料、さらには写真や絵葉書と突き合わせることで、どの程度が創作的誇張でどの程度が社会的実態に基づくものかを判断しやすくなる。
次に、作品の生産・流通・受容の軌跡をたどることが欠かせない。出版や上演の背景、検閲や検閲逃れの技術、版元や劇団が狙った想定読者層、販売ルートや興行成績といった“制度的条件”は、作品に刻印された社会的視点を明らかにしてくれる。『蟹工船』のような労働者小説を扱う場合、左派運動や労働組合の活動、当時の労働法や雇用慣行といった外部条件を同時に検討することで、テクストの政治性と現実の運動がどう連動したかを読み解ける。反対に、娯楽色の強い滑稽本や世話物(例として『東海道中膝栗毛』など)では、都市化や流通網の発達が笑いの対象や話芸の拡散にどう影響したかを見ることで、
市井描写が抱える階層的・地域的バイアスが浮かび上がる。
方法論的には、階級分析やジェンダー分析、空間論、レセプション研究、比較史的手法などを組み合わせるのが実務的だと感じる。地域史的なアプローチで細かな居住パターンを明らかにしたり、GISを使って舞台となる街の変遷を視覚化したり、口述史で当事者の記憶を補強したりすることもある。僕は、テクストの内側(言説)と外側(社会構造)を往復する作業が特に面白いと考えていて、その往還こそが「市井」を社会史として掘り下げる鍵になると思っている。