考えてみると、戦国時代の軍事史を追うたびに織田信長の名が必ず出てくる理由がよくわかる。自分は歴史書や戦術論を読み比べるのが好きで、信長のやったことを単純に“武力の強化”だけで片付けられないと感じる場面が何度もあった。彼が導入した革新的な点は数多いが、特に目立つのは鉄砲の組織的運用、陣地工事の活用、兵力の専門化と統制、そして戦場での柔軟な指揮系統だ。
まず鉄砲について触れると、信長は単に火器を使っただけではなく、それを大量に調達・配置し、訓練された集団(鉄砲隊)として運用した点が革新的だった。
長篠の戦いでの『馬防柵』と鉄砲隊の組み合わせは有名で、これにより騎馬突撃が決定的に抑えられた。よく言われる“三段撃ち(連続的な回転射撃)”については史学的に議論があり、実際のところ単純な三列運用だったかは明確でないが、一定のリズムで持続的に射撃を行うという概念を取り入れたこと自体が新しかったことは間違いない。さらに信長は鉄砲を単独の兵科としてではなく、槍や弓、騎馬と組み合わせることで総合的な戦闘力を高めた。いわば当時の「総合兵力運用」の先駆けだ。
次に陣地工事と防御工夫の利用。信長は場面ごとに柵や壕を使って前線を構築し、敵の攻勢を局所的に封じる技術を嫌というほど使った。これに加えて、城の改築や石垣の導入を通じて後方支援や補給の拠点を強化し、戦闘を単発の勝負にしない戦略を構築していた。また兵科の分化(足軽や鉄砲足軽の編成)や軍規の徹底、功績に基づく抜擢など、人材の流動性を高める組織運営も重要な革新だった。これは単に武器の新しさだけでなく、軍制そのものを更新した点に価値がある。
個人的には、信長の真価は“変化を恐れずに既存の枠組みを壊し、使えるものは何でも取り入れた”点にあると思う。火器を中心に据えた戦術はその後の豊臣・徳川の時代へと受け継がれ、騎馬中心の古い戦法が衰えたのも彼の影響が大きい。軍事的には近代化の萌芽とも言えるし、政治的には中央集権化の土台を作った面もある。戦術の細部にはまだ議論が残るけれど、戦国の常識を覆した大胆さと実行力こそが織田信長の最大の武器だったと感じる。