言葉の選択で一番気をつかうのは、物の実体と物語上の役割の両方をどう英語に写すかという点だ。和語の『
葛籠』は単に編んだ箱という物理的な説明だけでなく、蓋をして中に何かをしまい込むという行為、時には秘密や思い出を封じ込める象徴性を伴うことが多い。仕事で古典や古い文体に触れる機会が多い私は、文脈を読み取って機能(収納具としての大きさや材質)と象徴(秘密、宝物、女性的な手仕事のイメージ)を分けて考える癖がついている。
具体的な訳語の選択肢としては、まず直訳的なもの――"lidded woven chest" や "lidded basket" といった表現――がある。これらは読者に形を想像させやすく、非日本語話者にも即座にイメージを伝えられる利点がある。一方で "wicker box" や "wicker chest" は素材感を強調するが、サイズ感が曖昧になりやすい。もっと口語的にするなら "keepsake box" や "trinket box" とすると中身の性質(小物や思い出)が強く出るが、原語が持つ歴史性や手仕事のニュアンスは薄れる。誤解を招く代表例は "treasure chest":冒険譚的な響きを帯び過ぎるので慎重に使うべきだ。
私なら原作の雰囲気と読者層に応じて使い分ける。歴史小説や詩的な描写が重要な場面ではローマ字で"tsuzura"と置き、初出に簡単な説明をつけたうえで本文中はそのまま使う(注や語注を目立たせたくないときは括弧内で短く説明)。一般読者向けの平易な小説や児童書では "lidded woven chest" や "lidded basket" と訳して読みやすさを優先する。タイトルにする場合は、独自性や検索性を考えて 'Tsuzura' のまま用いる手もあるし、意味重視で 'The Wicker Chest' や 'The Lidded Woven Chest' のように英語化する選択肢もある。たとえば『源氏物語』のような作品の訳注を作る過程で学んだことは、原語の響きを残すか訳語で親しみやすくするかは、その作品が読者に何を伝えたいかによって決めるべき、という点だった。