芸術史のなかで『三美神』のような三人組の美や、各文化で語られる“三大美女”的な存在がどう象徴化されるかについては、複数の分野の研究者が繰り返し論じてきました。私はそれを読むのが好きで、視点ごとの違いにしばしばワクワクします。まず押さえておきたいのは、このテーマが西洋と東洋で出発点も扱い方も違う点です。西洋では古典神話のチャリテス(Three Graces=三美神)がよく取り上げられ、その解釈を通じて「美」「調和」「愛」の概念が検討されてきました。一方で東アジアでは、人物伝説や詩歌に登場する名高い美女たち(例:中国の四大美人など)が、政治的寓意や文化観の投影先として研究されます。
歴史的に名のある論者を挙げると、西洋美術史ではアビ・ヴァールブルク(Aby Warburg)が重要です。彼は古典イメージの連続性と再解釈を追った『Mnemosyne Atlas』で、古代モチーフの再生産と象徴性に光を当てました。同様に図像学の方法を確立した
エルヴィン・パノフスキー(Erwin Panofsky)は、主題と象徴の読み解き方を示し、ルネサンス絵画における三美神的表現の意味を深めました。さらに美の概念そのものに光を当てたケネス・クラーク(Kenneth Clark)や、神話・宗教的な背景を解釈したジェーン・エレン・ハリソン(Jane Ellen Harrison)も、この種の象徴性を論じる際によく参照されます。ボッティチェリの『Primavera』や『The Birth of Venus』のような作品は、こうした論者による読み替えの格好の素材でした。
東洋に関しては、分野が美術史、文学、民俗学にまたがるため論者が多彩です。唐詩や古典文学を専門とするスティーヴン・オーウェン(Stephen Owen)のような学者は、詩文に描かれる女性像の象徴性を丁寧に読み解きますし、中国文学や民俗に詳しいビクター・H・マイア(Victor H. Mair)らも古典物語と文化的意義に触れています。日本や中国の美術史家・文学研究者は、肖像や物語表現を通じて美女像が権力、道徳、性愛、美学のどれを担っているかを示すことが多く、それぞれの地域の歴史脈絡を重視します。
結局のところ、誰が論じているかを一言で示すのは難しいですが、図像学・美学・文学研究・民俗学といった複数の学問領域にまたがる研究者群が、このテーマを扱っています。私は、ヴァールブルクやパノフスキーの視点で古典モチーフの系譜を追いつつ、東洋の研究者たちが地域ごとの象徴性をどう編み直しているかを比較する読み方が特に面白いと感じています。