夏目漱石の『それから』を読んだ後に『
蝉時雨』に触れると、日本の文学が時間を超えて描く「待つ」という行為の普遍性に驚かされる。原作小説では、主人公の少年が体験する戦後の地方都市の空気が、蝉の声と共に五感に訴えるように描写されている。特に印象的なのは、主人公が暗渠で出会う少女との会話で、小説ならではの心理描写の深さが際立つ。一方、映画ではこのシーンが視覚的な美しさで再現され、水溜りに映る二人の影が時間の流れを象徴する演出になっている。
映画化にあたって削除されたエピソードの一つに、主人公の父親が戦時中に経験したエピソードがある。小説ではこの背景が主人公の行動原理に深く関わっているが、映画では現代の視聴者にもわかりやすくするためか、この部分は暗示的に扱われている。音楽の使い方も特徴的で、小説では「セミの声」が時間の経過を示すが、映画ではピアノの旋律がその役割を果たし、より情感的な仕上がりになっている。
ラストシーンの解釈の違いも興味深い。原作では開放感のある終わり方なのに対し、映画はどことなく切ない余韻を残す演出を選択している。この違いから、同じ素材でもメディアの特性によって伝わり方が変わる好例と言えるだろう。