「まず啓介の会社の創立パーティーにしたことで、社員の士気も上がる。私の友人たちは、評判が良ければ次の仕事にも繋がる。そしてパーティーが上手くいくことで、お母様が私たちを見る目が変わるかもしれない。私たち二人の関係にとっても大きなメリットがあるのよ」佳奈の言葉を聞いてただただ感心した。単に母の要求に応じるだけでなくその状況を最大限に活用し関わる全ての人がメリットを得られるようなシナリオを描いていたのだ。「それって…win-win以上にいいことがあるってことか?」俺がポツリと呟くと佳奈はニコリと微笑んだ。「そうよ。win-winなんて生ぬるいものじゃないわ。三方良しよ」「三方良し、か…」佳奈のその言葉を反芻した。売り手よし、買い手よし、世間よし。近江商人の言葉だと聞いたことがある。自分だけでなく、相手も、そして社会全体も幸せになるという意味だ。佳奈は、まさにその「三方良し」の精神でこのパーティーを成功させようとしているのだ。ニコリと微笑む佳奈を見て俺は改めて感心した。(母の事だけでなく、周りのこと、そして俺の会社の社員のことまで考慮して提案していたとは……。)佳奈は、広い視野で多角的に物事を捉えることでこれほどまでに
実家を後にし、俺のマンションに着くと二人でソファに深々と身を沈めた。今日は本当に疲れた。父が間に入ってくれたことで、とんでもないパーティは中止となったが、まさか「創立パーティー」として開催されることになるとは思わなかった。「佳奈、今日のパーティーの件なんだけどさ…」俺は、横にいる佳奈の手を握りながら話しかけた。「パーティーの準備なんて佳奈も大変なんだし無理して引き受けずに断って良かったんだよ。まさか佳奈が創立パーティーを提案してくるなんて本当に驚いたよ」佳奈は俺の方を向き、先ほど実家で見せたような自信に満ちた笑顔で微笑んだ。「お母様のあの沈んだ顔を見たら、なんか気の毒になっちゃって」佳奈は少し眉を下げながら言った。母の頑なな態度に辟易していた俺としては、佳奈のその言葉に拍子抜けした。「それはそうかもしれないけれど……」俺は言葉を濁した。確かに母は意気消沈して父が来てから小さくなってその場にとどまっていた。しかし、これまで俺たちに散々嫌がらせをしてきたことを思えば自業自得だとも思ってしまう。「それにね、今回のことで招待状や料理、装飾など多くの人たちが快く協力するって言ってくれた
その日の夜、啓介たちが帰宅してから半ば放心状態でリビングのソファに横になっていた。(まさかお父さんが啓介と佳奈の味方をするなんて…。)頭の中が真っ白なまま、ぼんやりと天井を見上げているとポケットの中でスマホが震えた。画面には、「凛ちゃん」の文字。私は重い体を起こして通話ボタンを押した。「和美さん、啓介さんのことどうでした? 私が考えたサプライズ作戦は話せましたか?」(なにがサプライズ作戦よ……。)凛の弾んだ声が耳に痛い。母は重い口を開いた。「それがね、凛ちゃん…」私は、夫の介入によってパーティーの計画を反対されたこと。しかし、佳奈の提案で中止にはならなかったことを途切れ途切れに話した。電話口の凛ちゃんが息をのんだのが分かった。「え、お義父様が…? そんな…」凛ちゃんの声から動揺が伝わってくる。彼女が考えた「サプライズ作戦」が、始まる前に潰されてしまったのだから無理もない。私も同じくらい動揺している。いや、それ以上に屈辱的な思いでいっぱいだ。「そうなのよ。啓介ったら事前に夫に根回しして
「あの……確かに誕生日会や婚約発表などプライベートなことはない方がいいかと思います。ですが……お義母様の気持ちを無下にするのは私も心苦しいです」佳奈は母にそっと見てから再び父の方を見て話し始めた。母は、顔を上げて佳奈の言葉に耳を傾けている。「そこで提案なのですが、啓介さんの会社の創立パーティーとして開催するのはどうでしょうか? 啓介さんがここまで頑張ってこられたのは、社員の方々の協力あってこそでしょうし、社員やそのご家族を招いて盛大にお祝いするというのはどうでしょう?」創立パーティーなら、社員に日頃の感謝も伝えられるし士気を高めることにも繋がる。そして何より母の「盛大に祝う」という希望も叶えられる。俺と父は、佳奈の提案に感心したように頷いた。「それは良い考えだけど、佳奈の負担も大きいだろう? 無理する必要はないし、創立パーティーなら俺の会社のことだから、社内の総務の人に引き継ぐよ。」「啓介の言う通りだ。和美のことは気にせず中止にしても構わないんだよ。」俺と父は、佳奈の負担を心配して遠慮がちに言った。しかし、佳奈は、そんな俺たちの言葉に、にこりと微笑んだ。「大丈夫。急に仕事を増やされたら社員の人も困るだろうし、慰労にもならないわ。私に任せてください。皆
父の登場はその場の空気を一変させた。母は、父の厳しい視線と言葉に、普段の強気を潜めて沈黙し、すっかり意気消沈しているようだった。「もういいだろう。啓介たちの結婚は、啓介と佳奈さん二人の問題だ。親として意見を言うのは構わないが度を超えてはいけない」父の言葉は母の耳に深く響いたようだった。母は反論することなくただ顔を伏せている。「啓介、佳奈さん。改めて先ほどの和美の無礼を詫びる。パーティーの件も佳奈さんが考えてくれた通りで構わない。いや、むしろ、その方がずっと理にかなっている」父はもう一度俺たちに深々と頭を下げた。「お気になさらないでください、お義父様。では、この方向でパーティーの準備は進めさせていただきます」佳奈は穏やかな笑顔で父に言った。「あのさ……そもそもいい歳した大人が『誕生日会』って正直どうかと思うんだ。あと婚約の発表も。…できれば今回のパーティー自体、なしにしてもらえないかな?」俺はこれまで抱いていた率直な気持ちを伝えた。母の無茶な条件はなくなったとはいえ、やはり大々的に誕生日を祝われるのは気恥ずかしい。「啓介の言う通りだ。私もそう思っていた。佳奈さんも無理をする必要はない。この話はなかったことにしよう」
声の主は父だった。いつの間にかリビングの入り口に立っていた父はじっと母を見据えていた。母は、父の突然の登場に一瞬ひるんだように口を閉じた。「佳奈さんの言う通りだろう。いい歳した大人が誕生日会だと? しかも会社関係の人も呼ぶように言っていたなんて馬鹿なことを言うにもほどがある」父は、普段は温厚な人柄だが一度怒ると滅多に口を挟まない分、その言葉には重みがあった。母は、父の言葉に反論することなく黙っていた。「啓介、佳奈さん、申し訳ない」父は、俺と佳奈の方に体を向けると深々と頭を下げた。これまでの母の振る舞いを詫びているかのようで俺は思わず息をのんだ。実は、俺は実家に来る前にあらかじめ父に連絡を入れていたのだ。母がまた自分の立場が悪くなると『結婚を認めない』などの言葉で脅してくることを防ぐために事前に手を打っておいたのだ。父には、俺と佳奈と母さん三人の話を聞いたうえで判断してほしいとお願いしていた。上場企業の役員を務めており良識を重んじる父は、母の子供じみた発言を心底恥じたのだろう。その場で母に謝罪をさせたうえで改めるよう諭した。母は、父の威厳に押され何も反論できずにいた。こうして母の無理な条件は却下された。俺は、父の協力に安堵しながらも佳奈の周到な準備といざという時の冷静な判断力に改めて感銘を受けていた。