Chapter: プロローグ外では冬の花火が、美しく夜空に咲いていた。夜の帳が静かに部屋を包み込み、人には言えない関係にある私たちを、そっと隠してくれている。窓の外では、様々な色に彩られた花火が次々と打ち上がっていた。夜空に広がる光が、静かなホテルの部屋の窓ガラスにも淡く映り込んでいる。その光景を並んで見つめている私の手に、彼の大きな手がそっと重なった。お互いの薬指にはめられた、デザインの違うプラチナの指輪。私たちは無言のまま、それを外し合う。それが、私たちの決まり事だった。ベッドサイドのテーブルには、彼が外した私の指輪が、静かに重ねて置かれている。黙ったまま窓の外を見つめていた私の頬に、彼の温かく大きな手がそっと触れた。まるで外の景色を忘れさせるかのように、彼の手が私の顔をゆっくりと彼の方へ向ける。もう……今日が最後。そう思うと、胸の奥が静かに締め付けられた。零してはいけない涙を瞼の奥に押し込み、私はゆっくりと瞳を閉じる。閉じた瞼の向こうで、一際大きな打ち上げ花火が夜空を彩ったのだろう。窓の向こう側から差し込んだ光が、閉じた瞼の裏を淡く染めた。その瞬間、光を遮る影が落ちる。そして、彼の温かく柔らかな唇が触れた。次の瞬間、私は静かにベッドへと押し倒されていた──。
Last Updated: 2026-03-07
Chapter: 第五十二話:優しい手「ライト」「わん!」明るい笑い声が聞こえる。「来人、ライトのご飯早く」「分かってるよ。ほら、ライト、待て」ライトと名付けられた犬が、尻尾を振りながら大人しく待っている。「来人! 早く、良ししてあげなよ」「春馬、世の厳しさをライトにも教えないとな」「ライト、良し!」「あぁ! 春馬!」二人の楽しそうな声が響いた。ライトは勢いよくご飯に飛びつき、尻尾を大きく振っている。そんな様子を見て、春馬が嬉しそうに笑った。その笑顔を見つめながら、来人も穏やかに微笑んでいる。……幸せそうな笑顔。あそこは、ちょっと前まで僕の場所だった。胸の奥が、じくりと痛む。許さない。僕から居場所を奪った猫柳春馬も。僕を裏切った来人も。「きみ、大丈夫?」幼かったあの日。僕に差し出された、優しい手。泣いていた僕に、何の躊躇もなく差し伸べられた温かな手。それだけを支えに、僕はここまで生きてきた。……来人は、きっと覚えていないんだろう。ダークグレーのフードを目深に被る。あの日──呪詛を浄化された時、僕の右腕には火傷の跡のような痣が残った。その痣が、じくりと痛む。この傷が疼く度、僕の憎しみは蘇る。精々……今は幸せを噛み締めているがいい。その笑顔が、いつまで続くか。僕は気配を消すと、再び人混みの中へと姿を隠した。
Last Updated: 2026-03-07
Chapter: 第五十一話:竜ヶ峰祐希「春馬、これでも飲んで落ち着け」 来人はそう言って、はちみつホットミルクを差し出した。 僕はそれを受け取り、ゆっくりと口に含む。 少し甘いホットミルクに、ほっと息を吐いた。 「ありがとう」隣に座る来人に凭れると、肩を抱き寄せられる。 「何があった?」そう聞かれて、身体がびくりと震えた。正直、竜ヶ峰の話をするのは怖い。まだ来人の中に竜ヶ峰がいたら……そう思うと、身が縮む。それでも、安心させるように肩を抱いてくれる来人を──信じたい気持ちもあった。マグカップを包む手に、力がこもる。僕は意を決して来人を見上げた。 「来人……あの垣根の向こうに、竜ヶ峰がいた」その瞬間、来人の身体がビクリと強ばる。そして立ち上がると、そのまま外へ飛び出した。 「来人!」制止する間もなく、来人は外へ走り出し、辺りを見回していた。僕は急に消えた来人の温もりを求めるように手を宙へ伸ばす。制止しようと差し出した手を、ゆっくりと下ろした。俯いていると、玄関のドアが開閉し、施錠する音が響く。ぺたぺたと素足の足音が近づき、僕の隣で止まった。ギシッとソファーが沈む音と同時に、頭ごと抱き締められる。 (え……?)驚く僕に、来人が言った。 「なんつー顔してんだよ。俺が祐希のところに行くとでも思ってるのか?」少し呆れた声だった。 「さっき見に行ったのはな、春馬の呼吸が止まったのが祐希のせいなら捕まえなきゃと思っただけだ。他に理由なんてねぇよ」その言葉に、僕はゆっくりと顔を上げる。来人は僕の首に腕を回し、額をコツンと当てた。 「そんなに傷付けてたんだな。ごめん」そして静かに言った。 「でもな、春馬。俺が愛してるのは、お前だけだよ」真っ直ぐ見つめられて、そう言われる。もう一度抱き締
Last Updated: 2026-03-07
Chapter: 第五十話:不安の渦明け方、悪夢で目が覚めた。僕を抱き締めて眠る来人の腕からそっとすり抜け、ガウンを羽織ってリビングへ向かう。ライトはいつもの場所で、大人しく眠っている。冷蔵庫から水のペットボトルを取り出し、グラスに注いでソファーに腰掛けた。「はぁ……」あの日から、悪夢を見る回数が増えた。それはいつも、来人が竜ヶ峰の手を取り、僕から離れていく夢。走っても、走っても追いつかない。手を伸ばしても届かない。『来人、待って! 行かないで!』叫んでも……声は届かない。いつも、そこで目が覚める。ソファーの背もたれに身体を預け、手の甲で瞼を覆った。あの日、フードを被った男を見てから、もう半年が過ぎた。それでも……胸の奥で、不安が渦を巻いている。その時、腰のあたりに温かい感触が触れた。見下ろすと、ライトが僕の隣に来て座っている。「ごめん、ライト。起こしちゃった?」そっと頭を撫でると、ライトは幸せそうに目を細めた。薄暗い室内の窓の外には、月明かりに照らされた小さな庭。穏やかで、幸せな日々。来人が愛してくれている実感はある。それでも……。僕の中で、春菜だった頃に受けた傷は、まだ癒えていないのだと――思い知らされる。竜ヶ峰は、本当に綺麗な人だった。それに比べて……僕は、ちんちくりんだ。番だから――来人に選ばれただけ。ふと、そんな思いが頭をよぎり、僕は小さく首を振った。「くぅ~ん」ライトが心配そうに鼻を鳴らすと、僕の頬をぺろりと舐めた。「あはは、ライト。くすぐったいよ」その時、リビングの明かりが灯った。「春馬、どうした?」隣にいない僕を心配したのだろう。お揃いのガウンを羽織った来人が立っていた。「あ……ごめんね。ちょっと夢見が悪くて」苦笑いを浮かべると、来人はライトの反対側に腰掛け、僕を抱き寄せた。「大丈夫だ。俺が傍にいる」「来人……」見つめ合い、唇が重なる。それを見届けたライトは、静かに自分のクッションへ戻っていった。唇が首筋を辿り、ガウンの合わせから手が差し込まれる。「来人、ちょっと待って……」「待たない。安心しろ、悪夢なんか見せないようにしてやる」そう囁かれ、「待って……明るい部屋は、恥ずかしいよ……」頬を染めて呟くと、来人は天を仰いだ。リモコンを手に取り、部屋の明かりを落とす。そしてガウンの紐を解き、前を
Last Updated: 2026-03-06
Chapter: 第四十九話:幸せな日々「春馬、ちゃんとご飯食べてる?」「食べてるよ!」「まぁ、この態度! 来人君、甘やかしてない?」「春馬はよくしてくれていますよ、お義母さん」「まぁ、来人君って本当に良い子」和やかに話す二人。母さんと狗飼家のご当主が結婚してから、毎月一度、家族揃って食事をするようになった。最初こそ、ご当主は居心地が悪そうにしていたが、今ではこんなやり取りを穏やかに見守っている。「春馬君は、不便なことはないか?」ふいに話しかけられ、「はい、大丈夫です」思わず背筋を伸ばしてしまう。「春馬……まだ慣れないのかよ」呆れ顔の来人に、(お前が馴染みすぎなんだよ!)と、心の中で毒づきながら、必死に作り笑いを浮かべる。……ご当主には、春菜が僕だということを母さんから話してもらった。どう話したのかは知らないが、ご当主は安心した顔をして涙したらしい。そして、来人がかなり強引に話を進めたことも伝えたらしく、ご当主は頭を抱えていたという。でも母さんが、「今は春馬が一緒にいるから、大丈夫よ」と言い切ったらしい。(何が大丈夫なんだろう?)そんなこんなで、僕たちは穏やかな日常を過ごしていた。「ライトも、春馬をよろしくね」「ワン!」母さんの言葉に、ライトが尻尾を振りながら元気よく吠えた。猫柳家の当主だった母さんには、予知の能力がある。はっきり見える時もあれば、断片的に見えることもあるらしい。でも母さんは、そのことを本人に決して伝えない。母さん曰く、「未来は変えられるから、余計な不安を与えたくないの」らしい。……けれど、僕は多分、面倒くさいだけだと思っている。でもこの後、母さんのこの言葉の意味を知ることになるなんて――この時の僕は、まだ想像もしていなかった。
Last Updated: 2026-03-05
Chapter: 第四十八話:新しい人生の始まり「え? どういうこと?」事情が掴めず、来人と顔を見合わせたその時──インターフォンが鳴った。慌てて玄関へ向かうと、「はぁ~い、春馬」母さんが手を振って立っていた。その隣には、なぜか狗飼家のご当主様。「お、親父?」驚く来人に、ご当主様は気まずそうに頭をかきながら、「やぁ……げ、元気そうだな」と、どこか照れくさそうに言う。……なんだ、この甘酸っぱい空気は。「と、とりあえず中へ」二人を招き入れると、相変わらず自由な母さんと、落ち着かない様子のご当主様。お茶を用意しながら様子を窺っていると、来人が隣に来て小声で呟いた。「親父も、ようやく新しい幸せを手に入れたみたいだな」「え?」「え?って……」顔を見合わせる僕たち。すると、「あらあら。本当に仲良しなのね」ソファに座った母さんが、生暖かい視線を向けてきた。なんでそこで僕らを見るんだ。お茶と菓子を並べ、向かい合って座る。その時、母さんがご当主様を見上げた。優しく、自然に。……ああ。親の恋愛って、こんなにもむずがゆいものなのか。「あー、なんだ。その……実はな」ご当主様が咳払いをして、「咲月さんと再婚することになった」僕は思わず仰け反りそうになった。「さ、再婚!?」「そうなの。それでね、亮二さんの奥様と、春馬のパパのお墓参りに行ってきたの」自然に握り合う二人の手。それが、すべてを語っていた。「いつから?」来人が落ち着いた声で尋ねる。「来人君が病院に運ばれた日。本当に久しぶりに再会したの。不思議ね。止まっていた時間が、また動き出したみたいで」母さんの言葉に、来人が小さく微笑んだ。「そっか……。母さんは俺を産むために父さんと出会った。俺と春馬を出会わせるために」そう言って、僕の手を握る。僕も、その手を握り返した。温かい空気が流れる。……けど。僕は目を細めた。「で? だからって、みんなを心配させていい理由にはならないよね?」母さんを睨む。「あら? 春馬、怒ってる?」「当然だろ。今どれだけ大変な時か分かってる? ご当主様まで巻き込んで」「やだ~、怖い~」母さんがご当主様に抱きつく。ご当主様は困ったように笑う。息子の前でデレるわけにもいかないらしい。来人は無の顔で天井を見ていた。僕らは顔を見合わせ、同時にため息をつく。そして、それ
Last Updated: 2026-03-03
Chapter: 第四十二話:嫉妬え? 何がどうしたの? いきなり抱き締められて、私は混乱していた。 「れ、れ、麗さん?」驚く私に、麗さんは少し困ったように笑う。 「ごめん。誰にでも、触れられたくない事ってあるよね」その言葉に、私は小さく息を吐いた。 「心配させてごめんなさい。そんな大した事じゃないんです。ただ……麗さんも貴生さんも優しいから、つい……」言いながら、照れくさくなって笑った。 「自分が普通の女の子なんじゃないかって思っちゃうんです」えへへ、と笑うと、麗さんは突然真剣な顔になる。 「こずえちゃん!」私の肩を掴み、力強く言った。 「きみは普通の女の子……いや、普通より全然、可愛い女の子だよ」 「信じられないって言うなら、僕が何度だって言ってあげる」真剣な言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなる。 「麗さん、ありがとうございます」微笑んで言うと、麗さんがそっと私の頬に触れた。あ……これ、ヤバい空気だ。長いキス……来そう。私はとっさに自分の口を手で隠した。 「……何してるの?」 「え? 今、キスしようとしてますよね?」 麗さんは少し驚いた顔をする。 「こずえちゃん、嫌なの?」 「嫌とか嫌じゃないとか以前に……こういう事は恋人とするべきだと思うのです」私の言葉に、麗さんが「なるほど……」と呟く。 (よし……なんとか流されキスは回避できた)ほっとした、その瞬間。 「じゃあ、こずえちゃん」 麗さんがにっこり微笑んだ。 「僕の恋人になってよ」私は目が点になる。 「麗さん? 恋人いるんですよね?」 「…………はぁ?」 今度は麗さんが目を点にした。 「職場
Last Updated: 2026-03-07
Chapter: 第四十一話:抱擁気が付くと、私は鳩村課長と車の中だった。 「お、意識戻った?」 鳩村課長は運転しながら声を掛けてきた。 「え? 私……」 混乱していると、鳩村課長が苦笑する。 「あぁ……途中で目を開けたまま失神してるみたいだったから、麗子さんと別れて、そのまま目的地に向かってたんだ」 あははは、と笑う鳩村課長。 さすが鳩村ママ。 私の対処法をよく分かっていらっしゃる。 「ご迷惑をお掛けして、すみません」 小さくなって言うと、 「迷惑なんて思ってないよ。気にしないで」そう言われて「はぁ……」と返事をしたその時──私は視線の端に、後部座席の麗子様のお店のショップバッグを見つけてしまった。 (待って待って待って! なんであんな大きな紙袋が三つも後部座席に乗ってるの?)ぐりんっと顔を前に向け、冷や汗が流れる。いや、待って! 鳩村課長のお母さんとかお姉さんに渡すプレゼントかもしれないじゃない!ヤダ、私ったら!自意識過剰すぎ!ペチペチと軽く頬を叩く。 「どうしたの?」そんな私に鳩村課長が心配そうに声を掛けてきた。 「あはは……自意識過剰な己を律していました」そう答えると 「自意識過剰? こずえちゃんが?」鳩村課長は赤信号で止まり、私を見て首を傾げた。 「はい! 私ごとき腐った壁女が、恐れ多いことを考えてしまいまして」すると鳩村課長は少し考える顔をして 「ふぅん? でも、こずえちゃんは少しくらい自意識過剰でもいいんじゃない?」と言った。私は物凄い勢いで鳩村課長を見る。 「前から思っていたのですが……麗さんも貴生さんも、私を甘やかし過ぎです」そう答えると、信号が青になった。鳩村課長は視
Last Updated: 2026-03-07
Chapter: 第四十話:デート……ですと?「うん、よく似合うよ。こずえちゃん」ご機嫌な笑顔を浮かべる鳩村課長に、私は戸惑いながら自分の服を見下ろした。「これは……?」今の私は、全身“鳩村課長コーデ”。野宮部長のコーデは甘め。麗子様は、きちんとしていながら少し甘め。それに比べて鳩村課長のコーデは、シックで品のある大人の雰囲気。三者三様の好みなんだなぁ……と思いながら、「あの……今日の服装、気に入らなかったですか?」しょんぼりしながら尋ねると、鳩村課長は優しく首を振った。「今日の服装も素敵だったよ。でもね、僕がコーディネートした服も着てほしかったんだ。迷惑だった?」目をきゅるるんっと潤ませながら、私の手を取り、小首を傾げる。グッハ……。吐血案件です。鳩村課長、その可愛い顔は反則です。ドキドキする胸を押さえていると、「あら!麗じゃない?」奥の扉から、麗子様が現れた。「こんにちは、麗子さん。忙しいだろうから挨拶はいいって言ったのに」苦笑いする鳩村課長に、麗子様はふふっと笑う。「何言ってるのよ。たまには可愛い甥っ子の顔、見たいじゃない?」そう言って、鳩村課長の頭を優しく撫でた。そして、私を見ると、「あらあら……独占欲、丸出しね」小さく笑った。(……独占欲?)首を傾げる私をよそに、二人は普通に会話を続ける。「あぁ、そうだ。売上貢献ありがとうね」「いえ。女性の服のサイズは分からないので、行きつけの麗子さんのお店なら、デザインを選べばいいだけですから」「はぁ……。うちのバカ息子も、麗くらい賢いといいのに」「貴生は……天才肌ですからね。僕みたいな凡人は、貴生に追いつくだけで精一杯ですよ」二人の会話を聞いているうちに、私の腐女子スイッチが入った。(なんか今の会話……嫁姑っぽい!)
Last Updated: 2026-03-06
Chapter: 第三十九話:買い出し……じゃないだと?『コンコン』その日は、ノックの音から始まった。「はい?」部屋のドアを開けると、鳩村課長が立っていた。「こずえちゃん、この後時間ある?」そう聞かれ、私は(買い出しかな?)と思いながら、「はい、大丈夫ですよ」と微笑んだ。「良かった……。じゃあ、すぐ用意するから出掛けよう。リビングで待ってるね」そう言われ、私はドアを閉めた。クローゼットを開くと、麗子様のサロンに行くたびに新しく用意されている、お高いワンピースが並んでいる。(買い出しだしなぁ~)そう思いながらも、麗子様に似合うと褒められたワンピースを手にしている自分に苦笑いする。ふと、(このワンピースを着るのに、下着はいつもので良いのか?)と、自分に問いかけた。答えは――否!たとえ買い出しでも、白鳩様と並んで歩くなら、きちんとしなければ!そう思い、結局、麗子様のサロンで用意されたままの一式を身に付けた。髪を整え、軽くメイクをしてリビングへ向かう。すると――茶色のアウターにワインレッドのインナー。ベージュのボトム。眩しい。「わぁ、こずえちゃん。可愛いね」最近、一泊二日で自宅に帰っている鳩村課長は、直近の麗子様コーデを知らないのだ。「麗子様コーデですけど……」エヘへ、と笑うと、「麗子さんのセンスは良いからね」そう言って微笑んだ。「じゃあ、行こうか」そう言って歩き出す。並んで歩き、いつもの車に乗り込んだ。「今日は何の買い出しですか?」シートベルトを締めながら聞くと、「買い出し?」鳩村課長が首を傾げる。「え?……これから買い出しに行くんですよね?」「……」「え?違うんですか?」慌てる私に、「こずえちゃんは、貴生とはデートするのに、僕とは買い出しだけなの?」ぷくっと頬を膨らませた。ガハッ。何? その可愛いむくれ顔。今、私の全穴という穴から出血しましたが?「そ……そうじゃないですけど」「分かってて可愛い服装してくれたと思ってたのに」唇を尖らせる鳩村課長。……私を出血多量で殺す気ですか?そんなことを考えていると、車は麗子さんのサロンへ入っていった。「いらっしゃいませ、鳩村様。野宮は今接客中ですが……。ご予約ですか?」戸惑うスタッフの皆様に、鳩村課長は笑顔で答える。「あ、今日は洋服を見に来ただけなんだ」(洋服?麗子様のお店っ
Last Updated: 2026-03-05
Chapter: 第三十八話:悩みと憧れ今日は麗子様の施術日だ。「貴生、毎月第四日曜日はこずえちゃんを連れて来て」その一言で、私は月に一度、ピカピカに磨かれている。お陰様で身体は引き締まり、鳩村課長の料理で健康体。気付けば10kgも落ちていた。(ゴッドハンド&麗さんの健康食、恐るべし!)鳩村課長は「こずえちゃんのプニプニお腹が~」と嘆いていたけれど、「エアー脂肪で我慢する」と言っていた。(エアー脂肪って、何?)……でも。恋人が出来たのなら。私は、もうお役目御免なのではないだろうか。そう思うと、胸がチクリと痛む。あの夜に見た鳩村課長は、やっぱり夢だったのだと。ガッカリしている自分に、苦笑いしてしまう。すると、いつもは黙々と施術をしている麗子様が、ふと口を開いた。「こずえちゃん、何か悩み?」「え?……あ、いえ」「貴生の母親だと、話しづらい?」そう言われ、言葉を探していると、「大丈夫よ。ここで聞いた話は誰にも言わないから」その一言に背中を押され、私は慎重に言葉を選ぶ。「友達の話なんですけどね……」(バレバレの常套句だ)「なるほどね。実家に帰ると言っていた人が、綺麗な女性と歩いているところを見られた、と。で、その人が彼女ではないかと噂になっている、と」事情を知る麗子様には、当然お見通しだろう。「それで、こずえちゃんはどう思ってるの?」突然振られ、私は正直に答えた。「信じたい気持ちと……もしかしたら、の気持ちで複雑です」「その“複雑”って、何から来ていると思う?」問われ、私は首を傾げる。「ふふふ。まだまだね。その気持ちの意味は、自分で探しなさい」優しく頭を撫でられる。そして静かに言った。「不安なら、本人に聞くのも一つよ。答えを持っているのは、麗だけな
Last Updated: 2026-03-03
Chapter: 第三十七話:嫉妬「ねぇ、聞いた?」「聞いた聞いた! 白鳩様の恋人の話でしょう?」その日、野宮部長も鳩村課長も外回りで、私は久しぶりに食堂で昼食をとっていた。すると、あちこちのテーブルからヒソヒソとした声が聞こえてくる。なんの話だろう? と首を傾げていると、「こずえ、聞いた? 白鳩様の恋人の話」と声をかけられた。「え? 鳩村課長の恋人?」「あんた最近、こっちでご飯食べないから知らないのよ」そう言われ、苦笑いを返す。「この間の日曜日、総務の秋川さんが見たんだって」(この間の日曜日って……確か麗さんは実家に帰ってた日だよね)「誰を?」「白鳩様を」一瞬、ざわりと胸の奥が騒いだ。「めちゃくちゃ美人と腕組んで歩いてたらしいよ」「え……?」「白鳩様を“麗”って呼んでたんだってさ~。白鳩様の滑らかなエスコートで、二人、車に乗って夜の街に消えてったらしいよ」その瞬間、胸の奥がじわりと冷えた。「こずえ?」固まった私を、小川ちゃんが心配そうに覗き込む。「こずえ、黒鷹×白鳩信者だからショックよね」背中をぽんと叩かれ、私は慌てて笑った。「あ、いや……」すると別の声が飛ぶ。「ねぇ、こずえ。あんた、痩せた?」「え? ……痩せたかな?」エヘッと笑うと、黙っていた渡辺さんが突然叫んだ。「恋か!? 恋したのか!?」「えぇっ、そんなんじゃないよ! 知り合いのエステティシャンの方のモニターになっただけ!」「羨ましい~! 最近綺麗になったって噂だよ? どうやったらなれるの?」テーブルが一気に盛り上がる。「えっと……普段はモニターとかしてなくて。何故か私、気に入られちゃって……」アタフタしていると、「肌も髪も艶々だし、痩せて綺麗になってさ~
Last Updated: 2026-03-02