Chapter: 52話 フィオナが来た日 フィオナがルシェムに来たのは、謁見から二週間後のことだった。 予告なしだった。 朝、市場から戻ったマリオが、息を切らして事務室に飛び込んできた。 「フィオナさんが来た」「どこに?」「市場の入り口。馬車で来てる。荷物が多い」「荷物が多い?」「トランクが二つある」 エリナは少しだけ止まった。 「泊まりではなく、しばらくいるつもりですか」「そういうことじゃないか? 迎えに行くか?」「行きます」 市場の入り口に着くと、フィオナが馬車の横に立っていた。 久しぶりに、ルシェムで見るフィオナだった。 王都で会った時とは少し違って見えた。服装は変わらないが、顔が少し違う。 疲れている、と手紙に書いていた。 確かに、少し疲れた顔をしていた。 でも、エリナを見た瞬間、目が変わった。 「来た」「来ましたね、予告なしで」「予告したら、準備されすぎると思って。あなたのことだから、部屋を完璧に整えて、食事まで用意して待っていそうだから」「そうしようとしていました」「でしょう。だから、言わなかった」「荷物が多いですね」「しばらくいようと思って」 フィオナが少しだけ声を落とした。「王都からの仕事は、手紙でできる部分も多い。しばらくルシェムで動きながら、こちらの空気も吸いたかった」「どのくらい?」「一週間か、二週間か。決めていない」「決めなくていいです。いたいだけいてください」 マリオが荷物を運んでくれた。 フィオナが見ると、少し驚いた顔をした。 「マリオ、大きくなった?」「なってないと思うけど、フィオナさんが久しぶりに会うから大きく見えるだけじゃないか?」「そうかもしれない。でも、なんか違う。顔が違う」「どう違う?」「前より、落ち着いた顔をしてる」「そうかな」
Last Updated: 2026-09-17
Chapter: 51話 動き始める、次の一手 翌日から、エリナは動き始めた。 といっても、急いでいるわけではなかった。 落ち着いて、一つずつ。 謁見の翌日以降に何をするかは、帰り道の馬車の中でゴードンと話し合っていた。 優先順位は決まっていた。 一つ目、商会の代表変更の正式書類を処理する。二つ目、各町の現場責任者に謁見の結果を報告する。三つ目、フィオナと連携して規制案の継続審議への対応を続ける。四つ目、学院の衛生教育の検討に、商会として協力できることを提示する。 どれも、急ぎではない。 でも、止まってもいない。 まず、商会の代表変更の書類が届いた。 アルバ殿下が約束した通り、一週間以内に書状が来た。 正式な書類に、エリナ・アッシュフォードの名前が入っていた。 アッシュフォード商会の代表者、エリナ・アッシュフォード。 ゴードンがその書類を机の上に置いた。 「これで、正式になりました」「そうですね」「どういう気持ちですか?」 エリナは少しだけ考えた。 「思っていたより、静かな気持ちです」「静か、とは」「もっと大きな感情が来ると思っていた。でも、静かだった。当たり前のことが、形になった、という感じです」「それが、正しい感覚だと思います」ゴードンが静かに言った。「当たり前のことを積み上げてきたから、当たり前に形になった」「ゴードンさん」「はい」「代表名義をずっと引き受けてくれていた。本当にありがとうございました」「礼はいりません。でも、受け取ります」 それだけだった。 それで十分だった。 次に、各町の現場責任者への報告をした。 マグダ、シェナ、ジルカに、それぞれ手紙を書いた。 謁見の結果。陛下が約束を守ってくれたこと。商会の活動が引き続き認められたこと。今後も続けることができること。 返事は、それぞれ三日以内に来た。 マグダから。 エリナちゃん
Last Updated: 2026-09-16
Chapter: 50話 翌朝と、これからのこと ルシェムに帰った翌朝、エリナはいつもより少しだけ遅く起きた。 目が覚めた時、空はすでに明るかった。 珍しいことだった。 いつもは夜明け前に目が覚める。でも今朝は、光が差し込んでから目が開いた。 しばらく、布団の中でそのままいた。 これも珍しいことだった。 起きたら、すぐに動く。それがいつものエリナだった。 でも今朝は、少しだけそのままいた。 窓の外から、ルシェムの朝の音が聞こえた。 市場へ向かう人の足音。遠くで犬が吠える声。風が木の葉を揺らす音。 帰ってきた、と思った。 昨日も思った。でも、今朝も思った。 ここが、自分の場所だ。 台所に行くと、セレーナが先にいた。 「おはよう」「おはようございます」「よく眠れた?」「はい。遅くまで眠っていました」「そう。今日くらいは、いいんじゃない?」「そうかもしれません」 薬草茶を作りながら、エリナは窓の外を見た。 冬の朝の空は、澄んでいた。 「お母さん」「うん」「昨日、ゴードンさんから聞いた話があります」「何?」「学院が、来年から衛生教育を取り入れることを検討しているそうです。石鹸の使い方、薬草薬の知識、傷の手当ての手順を、学院の教育に組み込む話が始まっている」 セレーナが少しだけ手を止めた。 「それって、どういうことになるの」「学院で教えれば、学院の生徒が卒業して各地に行く時に、その知識を持っていく。一人が届けられる場所より、ずっと広い範囲に届く」「あなたが一年でやったことが、もっと広がるということ?」「そうなるかもしれません」「お父さんが聞いたら、何と言うかしら」 エリナは少しだけ考えた。 「『私よりうまくやっている』と言うか、それとも『まだ足りない』と言うか」「この前も同じことを言ったわね」「同じこ
Last Updated: 2026-09-15
Chapter: 49話 帰る場所 翌朝、エリナは早く起きた。 今日、ルシェムに帰る。 荷物を確認した。報告書の写し。確認書の写し。殿下から預かったアッシュフォード商会の正式な代表変更に関する書状の下書き。そして、セレーナへの手紙。 全部、ある。 朝食を三人で食べた。 フィオナが、珍しく朝から饒舌だった。 「昨夜の話、全部聞かせてもらうって言ったけど」「聞きますか?」「聞く。でも、今は聞かない」「なぜですか?」「あなたの顔を見れば、大体わかるから。今日は、その顔で十分」「どんな顔をしていますか?」 ゴードンが静かに言った。 「昨日フィオナが見たかった顔」 出発前に、フィオナと二人になった。 宿の前の小さな通りで、少しだけ話した。 「フィオナ、これからどうするんですか?」「王都にいる。まだやることがある。規制案はまだ継続審議のままだ。陛下が認めたとはいえ、クロヴェルが諦めたわけじゃない」「そうですね」「でも、今日は違う話をしたい」「どんな話ですか?」「あなたが帰った後のことを、少し考えた。王都に来てからの一年間、私はずっとここで動いていた。でも、いつかルシェムに行ってみたいと思っている」「ルシェムに?」「マリオとルナに、会いたい。あなたが話してくれた人たちに。あなたが動いてきた場所を、見てみたい」「来てください、必ず」「いつ行けるかはわからない。でも、行く」「待っています」 フィオナが少しだけ笑った。 「その言葉、昨夜もレインに言ったでしょう」「言いました」「同じ言葉が、自然に出てくるようになったんだね」フィオナが穏やかに言った。「前のあなたには、なかった言葉だと思う」「そうかもしれません」「いい変化だと思う」 フィオナが手を差し出した。 エリナはその手を両手で握った。
Last Updated: 2026-09-14
Chapter: 48話 一年後の夜 謁見が終わって、王宮を出たのは昼過ぎだった。 アルバ殿下が廊下で待っていた。 「よくやりました、エリナ殿」「ありがとうございます。殿下の準備がなければ、今日はなかった」「王都のデータは、効きましたね」 殿下が少し笑った。「右側の列が、ざわついた」「見えていました」「父上は、満足そうでした。あの顔は、久しぶりに見た。一年前に、『わくわくしている』と言いましたが、今日はそれ以上でしたよ」 エリナは少しだけ、その言葉を受け取った。 「殿下、商会の代表についてお願いがあります」「ゴードンさんから聞きました。昨夜、連絡をいただいた」「はい。正式にエリナ・アッシュフォードの名で商会を持てるよう、陛下にご確認いただけますか?」「すでに父上に話しました。年齢の問題は、特例として認めていただける方向です。正式な書類は、来週中に届きます」「ありがとうございます」「アッシュフォード商会の代表が、アッシュフォードの名前になる。当然のことですから」 王宮の外で、師匠とレインが待っていた。 師匠がエリナに言った。 「一つだけ言っておく」「はい」「今日の発言で、一番良かった部分を教えてもいいか?」「ぜひ」「クロヴェルへの返答だ」 師匠が静かに言った。「感情で返さなかった。でも、感情がないふりもしなかった」 エリナはフィオナが昨日言っていた言葉を思い出した。 「感情がないふりもしなくていい、という言葉を、昨日フィオナからもらいました」「賢い子だ、フィオナ殿は。あの返答には、あなたがいた。数字だけではなかった」「届きましたか?」「届いた。俺には届いた。他の人間にも届いたと思う」 師匠が一歩退いた。 「俺はこれで失礼する。よくやった」「先生、ありがとうございました。一年間、本当に」「礼
Last Updated: 2026-09-13
Chapter: 47話 謁見の間、再び 謁見の日の朝、エリナは四時間ほど眠った。 眠れると思っていなかったが、眠れた。 目が覚めた時、空はまだ暗かった。でも、もう眠れなかった。 起きて、顔を洗って、薬草茶を作った。 ルナが持たせてくれた葉を使った。 温かい湯呑みを両手で持って、部屋の窓から外を見た。 王都の夜明け前。 ルシェムとは違う空の色だった。でも、夜明け前が静かなのは、どこでも同じだった。 今日、謁見の間に立つ。 もう一度、確認した。 怖い。でも、届けたい。 それだけでいい。 朝食を三人で食べた。 フィオナが、珍しく静かだった。 いつもは何か言う人だが、今朝は食べながらあまり口を開かなかった。 エリナが「どうかしましたか?」と聞くと、フィオナが少し笑った。 「緊張してる」「フィオナが?」「私も人間だから。あなたが緊張するより、私が緊張してる気がする」「なぜですか?」「あなたが上手くいくかどうかを、見ている立場だから。自分が話すより、大事な人が話すのを見ている方が、緊張する」 エリナは少しだけ、その言葉を受け取った。 大事な人が話すのを見ている方が、緊張する。 「フィオナ」「何?」「今日、謁見の間に入れますか?」「入れない。謁見の場に入れるのは、名前がある人間だけ。私には、今は資格がない」「そうでしたか」「廊下で待ってる。終わったら、すぐ出てくるでしょう。その顔を見る」「どんな顔をしていると思いますか?」「わからない。でも、見たい顔をしていると思う」 謁見の前の十分間は、王宮の廊下の一角で過ごした。 フィオナ、ゴードン、エリナの三人。 廊下は石造りで、冷たかった。外の空気が、石を通して伝わってくる。 エリナは上着の内ポケットに手を当てた。 手紙が、ある。 フィオナが言った。 「今日の目標を、一つだけ確
Last Updated: 2026-09-12
Chapter: 82話 小説「へー、そんな事になってるんだ」「ああ、だから俺はその二人の為に何かしたいと思ってる」 俺は今、南とデートの最中だ。 バイトの話や昨日の出来事を話している。 楓に言った様に、南にも事情を説明する。「でもさ、お姉さんの方はトモの事好きなんでしょ?」「その好意自体がボッチ特有の優しくされたら好きになるって事だとダメなんだよ」「どしてー? 好きには変わらないじゃん。トモだって最初はそうやって楓の事好きになったんでしょ?」 南に痛い所を突かれる。 確かに俺の初恋は優しく話しかけてくれた楓だった。 だけど、学校中探してもその子が見つからず諦めた。 その後に現れた楓を好きになり、偶然初恋の相手が楓だったのだ。 だから俺が楓の事を好きなのは優しくされたからとかでは決してない。 一人の女の子として好きになったのだ。 今思えば、優しくされたから好きになるというのは、お腹を空かせた子猫がエサを貰って懐くようなものだったと思う。 この人なら自分を傷つけないだろうという安心感だ。 そんな物は好きとは言えない。 沙月のお姉さんがまさにその状態なのだとしたら、早く目を覚まさせたい。 そして俺なんかじゃなく、ちゃんとした相手を好きになって貰いたい。 という事を南に説明する。 難しい顔をした南は「う~ん、細かい事は私には分からないけど、トモが何かしたいんなら応援する!」「ありがとう」「私もその人見てみたいなー。今からファミレスに行けば会えるかな?」「二日連続で休日出勤になるから勘弁してくれ」 その後、南の提案でカラオケに行ったりして南とのデートが終わった。 いつもの様に早めにバイト先に着く。 制服に着替えのんびりしていると、先輩が事務所に入って来た。 シフト表を確認して首を傾げている。 そして店長に確認するように「真弓さん、今日って桐谷って出勤ですか?」
Last Updated: 2026-09-17
Chapter: 81話 自分を重ねて 楓の発言により、沙月は楓の存在を思いだしたのか俺から距離を取る。「ご、ごめんなさい! デート中でしたよね」 と言って俺と楓に向かって頭を下げる。 よかった。これで何とかこの場は納まる。 と考えていたら楓が「どうして友也君を頼ったの? 貴女のお姉さんなんでしょ?」 と、沙月に質問する。 それに対して沙月は「姉とは相性が悪いと言いますか、苦手なので友也さんに頼ってました」 と、少し俯きがちになりながら言う。 それを聞いた楓は「友也君、その人に会ってみたいから助けに入ってあげて。私はそれとなく観察してるから」 と言い、沙月に「構わないでしょ?」と言って俺を制服に着替えさせる様に促す。 仕方がないので制服に着替え、ホールに出る。 すると「ホントにありがとうございます。いい彼女さんですね」 と言ってきたので「今回だけだからな。それに楓は彼女じゃない」「え? そうなんですか!」 とビックリしているが、俺達の関係を説明するのも面倒だったのでそのまま無視した。 そんな話をしているとピンポーン と呼び出し音が鳴る。 テーブルを確認すると、沙月のお姉さんの居る席だった。「んじゃ行ってくる」 と沙月に言い、呼び出されたテーブルに向かう。 そして、いつの間にか席を移動していた楓が沙月のお姉さんの真向かいの席に居た。「お待たせしました、ご注文はお決まりでしょうか?」 と声を掛けると、ゆっくりとこちらを見上げ「あ! えっと、今日もあなたなんですね」「ええ、桐谷は今他のお客様の接客中でして」「は、はい。いつもこの時間に働いてるんですか?」「今日はたまたまです。人手が足りないらしく急遽入りました」「そ、そうなんですね」 今日はよく喋るな。 まぁこの間ずっと俺が担当してたか
Last Updated: 2026-09-17
Chapter: 80話 ハプニング いつもの会議で今日の出来事を柚希に報告する。「へ~、その女の人にどんな印象を持った?」「細かい所は違うけど、去年までの俺を見ているようだった」 沙月の姉と言われた女の人の印象は昔の俺だった。 人と接点を持たず、一人の世界に没入する。 沙月の様なキャラからしたら苦手と思っても仕方ない。「そうだね。私も聞いた限りだとそんな印象かな~」 柚希は俺を利用して悲劇のヒロインを演じていた。 だけど普通の兄妹はそんな事はしない。 沙月達姉妹は普通の姉妹だ。 このまま沙月に嫌われ続けるお姉さんは見たくないな。「なぁ、どうすればいいと思う?」 柚希の計画とはいえ、俺は柚希のお蔭で今の俺が居る。 だから柚希なら何か良い案があるんじゃないかと思い質問したが「別にどうもしなくていいんじゃない?」 と言われた。「それはあの姉妹を見捨てろって事か?」「っていうか、他人だよ? お兄ちゃんはどうして助けたいの?」「柚希も言った通り、俺に似てるからだ!」「なら分かるんじゃない? 他人からあれこれ言われるのは嫌なはずだよ。昔のお兄ちゃんみたいにね」「それは……」 柚希の一言で言い返せなくなる。 図星だったからだ。 昔の俺は他人から色々言われるのが嫌だったから一人でいた。「分かったでしょ? 今は私達に出来る事はないよ」 その言葉で締めくくり、会議は終了となった。 沙月姉妹の事は気になるが、今日は楓とデートの約束をしてある。 なるべく考えない様にしてターミナル駅で楓を待っていると「だ~れだ?」 突然後ろから目を塞がれた。 背中に柔らかい感触を感じながら答える。「楓だ!」「せ~か~い♪」 と言って手を離し、正面に移動する。 キャンプ以来会っていなかったので久しぶりに楓の笑顔を見る
Last Updated: 2026-09-16
Chapter: 79話 桐谷沙月の事情 バイト初日の夜の会議。 偶然合コンで知り合った沙月と再開した事を伝える。「それはもう運命だね! ちゃんと仲良くしてその子を落としてね」「仲良くはするけど、落とすとかそんな事はしないから」「ホントかな~?」「大体、落とせる様なテクニックなんてないからな」 その後も沙月をハーレムに入れるだとか言われたが断固拒否した。 バイトを初めて一週間が過ぎた。 仕事の方は段々と慣れてきて、自分である程度動ける様になってきた。 そしてこの一週間で沙月の事も分かった。 職場の先輩から聞いた話によると沙月は結構な面食いで、男をとっかえひっかえしているらしい。 噂を鵜呑みにする事は出来ないし、そんな素振りも見られない。 俺が楓と付き合った時みたいに嫉妬や妬みで流れた噂かもしれないしな。 そしてバイト中は何かにつけて「ここでは私の方が先輩ですから!」 と言ってくる。<i660661|21416> 沙月は俺が入るまで一番の新人だったらしいので、俺が入って先輩面したいのだろう。 特にそれで困っている訳ではないので今では軽く流している。「おはようございます」 と言いながら事務所に入り、制服に着替える。 椅子に座り勤務開始まで目を瞑りリラックスするのが俺のお決まりになっていた。 目を瞑ったタイミングで女子更衣室のドアが開く。 どうやら俺が更衣室で着替えている間に出勤したようだ。 シフト表だと沙月が一緒に出勤になっている。「あ! おはようございます~」「おはよう、今日は早いね」「まあ、そんな気分だったので」 気分で出勤時間を変えちゃいかん。 俺みたいにいつでも早めに出勤しないと。 なんて事を考えていると「友也さんにとって私ってなんですか?」「バイトの先輩」「その通り! なので今日はお願いがあるんです」「
Last Updated: 2026-09-16
Chapter: 78話 初出勤 初めて合コンに行った事を柚希に伝えると、何故か凄い喜んだ。「これからもドンドン行こう! お兄ちゃんはもっと女に慣れないとダメだからね」 と言っていたが、正直合コンはもう行きたくない。 あのノリには着いていけない。 でも、沙月とアニメの話をしたのは楽しかったな。 テンション上がってLINE交換しちゃったけど、きっと向こうもノリで交換したに違いない。 合コンの最後に他の二人とも交換したけど、それが合コンのルール的な物なのかも。 社交辞令みたいな物だな。 今日はアルバイト初日だ。 30分前には来てくれと言われていたので、余裕を持って40分前に到着する。 昨日教えて貰った従業員専用出入り口から入り、事務所のドアをノックして中に入る。「友也君じゃないか、早いな」 と店長の|間嶋真弓《ましままゆみ》さんが言う。 店長の事は真弓と呼んでくれと言われてたっけ。「いつも10分前行動なんですよ」「そうか、若いのに偉いじゃないか。とりあえず座って待っててくれ」 と言って店長は事務所から出て行ってしまった。 言われた通り適当な席に座る。 事務所の中を見てみると、壁には色々な書類やホワイトボードがある。 キョロキョロと事務所を観察していると、店長が戻ってきた。「これが制服だ。更衣室はそこにあるから取りあえず着替えてくれ」 と言われ、更衣室で制服に着替えようとしたが、どのロッカーを使っていいか分からない。 事務所に戻り聞いてみる。「すみません店長、ロッカーはどれを使えばいいですか?」「名札を付けるのを忘れていた。空いてるロッカーを使ってくれ」「分かりました」 と言って更衣室に戻ろうとすると呼び止められ「私の事は名前で呼ぶように」 とだけ言われた。 店長と呼ばれるのがキライなのだろうか。 着替えを済ませ事務所に戻ると「似合ってるじゃないか」
Last Updated: 2026-09-15
Chapter: 77話 初めての合コン ターミナル駅に着いて、集合場所まで行くと水樹と田口が待っていた。 「来た来た、悪いな」 と謝って来る水樹に対して「俺は楓と南が好きだって言ったよな?」 と言うと「でも付き合ってる訳じゃないだろ? 居るだけでいいからさ、頼む!」「そりゃそうだけど……分かったよ、居るだけでいいんだな」「マジ助かる! 今度お礼するわ」 今まで水樹には助けられてきたし、こんなに必死に頼む水樹は見た事ないからな。 少しでも恩を返せたらいいんだけど。 「それよりも今日来る女の子って可愛いん?」 と田口が水樹に食い気味に質問する。「ああ、可愛いんじゃないか? 幹事の子しか知らないけどその子の周りはレベル高いからな」「よっしゃー! 誰かといい感じになって今年の夏はエンジョイするっしょー!」 相変わらずの田口だが、俺は水樹が気になった。「水樹も出会い求めてるのか?」「いや、特に。今日も幹事の子に無理やり男集めろって言われてさ」「幹事の子は狙ったりはしないのか? 可愛いんだろ?」「いやー、アイツは絶対に無いな」 水樹がここまでハッキリ無いなんて言うとは。 過去に何かあったのだろうか。 そんな事を考えていると、ウチの学校の制服ではない女子3人組が近づいてきて「やっほー孝弘、今日はありがとねー」 と声を掛けてきた。 どうやらこの子達が今日の相手らしい。「お前はいつも急過ぎんだよ。しかもイケメン用意しろとか無茶振りもいいとこだ」 水樹と女子のリーダーっぽい子が話している。 恐らくあの子がさっき言っていた幹事の子なのだろう。 髪は肩程で茶色、目はパッチリしていて大きい。 身長もそこそこ高く、スラッとした足がスカートから伸びる。 所謂モデル体型という奴だ。「でも~、ちゃんとイケメンいるじゃん」 と言いなが
Last Updated: 2026-09-15
Chapter: 第五十二話 忘却の海への扉「次の敵は、私たちの記憶を消しに来る」 王宮西棟の病室でセドリックがそう告げたのは、まだ夜が明ける前のことだった。 第一王子から緊急の知らせを受け、公爵邸にいたリリアとレオンが急ぎ王宮へ戻った頃には、東の空がようやく白み始めていたが、王都に広がっている異変は夜明けとは正反対の不気味さを帯びていた。 馬車が王宮へ向かう大通りへ差しかかった時、リリアは窓の外から聞こえてきた声に思わず顔を上げた。「……すまないが、名前をもう一度教えてくれないか」 道端の店先で、年配の男性が妻らしい女性を見つめていた。 彼はひどく困惑した表情を浮かべている。「顔は分かるんだ。大切な人だってことも分かっている。それなのに、名前だけがどうしても出てこない」 男性の唇が震えた。 女性は泣きそうな顔になりながらも、懸命に笑ってみせた。「マリアよ」「……そうだ、マリア」 名前を口にした瞬間、男性の目から涙が落ちた。「忘れたら、また言ってくれるか」「何度でも言うわ」「ああ」「何度忘れても、何度でも」 馬車はその二人の前をゆっくり通り過ぎていった。 リリアは胸元へ手を当てた。「もう始まっていますね」「ああ」 隣に座るレオンの声も硬い。 今朝だけで、同じような報告がすでに何件も上がっていた。 人の名前だけを忘れた者。 昨日の出来事だけが抜け落ちた者。 逆に、自分ではない誰かの記憶を夢として見た者。 まだ王都全域を覆うほど大規模ではない。 それでも、忘却の海が確実にこちら側の世界へ影響を及ぼし始めている。 レオンの足元で影が揺れ、小さな夜色の姿をしたノクスが顔を出した。『まだ浅い』「何がですか」『忘却との接続だ』 ノクスは黄金色の瞳で窓の外を見
Last Updated: 2026-09-17
Chapter: 第五十一話 許されない者の祈り 決戦から七日が過ぎた朝。 王宮西棟の一室では、一人の罪人が名前を読み続けていた。「エドガー・ハインツ」 掠れた声が、静かな部屋へ落ちる。「北方第三鉱山、運搬員」 紙をめくる。「妻と、二人の子供……」 セドリックはそこで言葉を止めた。 名簿には、亡くなった者の名前だけではなく。 年齢。 職業。 家族。 行方不明になった日。 遺体が発見された場所。 判明している限りの情報が記されている。 最初は、名前だけを覚えるつもりだった。 けれど、名前の横に記された短い一文を読むたび。 その者がただの数字ではなかったことを思い知らされる。 エドガー・ハインツ。 三十九歳。 妻と子供を養うため。 冬の間も鉱山へ入り続けていた男。 黒鴉会の者たちに拉致され。 術式の実験体として王都へ送られた。 帰りを待っていた家族へ。 遺体すら返らなかった。 セドリックは震える指で、紙の端を掴む。「……次を」 向かいに立つ記録官が戸惑う。「殿下」「次を読め」「しかし、すでに二刻以上」「読め!」 声を荒らげた瞬間。 胸に激痛が走った。「ぐっ……!」 セドリックは身体を折り曲げる。 包帯の下。 胸元に残る黒い亀裂が明滅する。 記録官が慌てて医師を呼ぼうとする。「呼ぶな」「ですが」「この程度で止めれば」 息を切らしながら。 セドリックは名簿を見る。「私はまた、逃げる」「殿下はまだ治療中です」「だから何だ」「倒れてしまえば、裁判へも」「倒れれば起こせ」
Last Updated: 2026-09-16
Chapter: 第五十話 罪人が目を覚ます朝 決戦から、三日が過ぎた。 王都はまだ、夜明けを取り戻したばかりのような顔をしていた。 王宮北部の一帯は封鎖され、崩落した地下区画の調査が続いている。 石畳には亀裂が残り。 一部の建物には黒霧が通り抜けた痕跡が、煤のように刻まれていた。 けれど、空は青い。 市場には少しずつ人が戻り。 パン屋からは焼きたての香りが漂い。 道端では、子供たちが藍色の狼を描いて遊んでいる。「夜の狼が、悪い霧を食べたんだって!」「違うよ。銀狼公爵が神様になったんだよ」「月華の聖女様と結婚して、王様になるんだって!」 公爵邸へ向かう馬車の中。 窓の外から聞こえた言葉に、リリアは咳き込んだ。「け、結婚して王様に?」 向かいに座るレオンは、眉間へ深い皺を寄せている。「訂正させる」「どの部分をですか?」「すべてだ」「結婚も?」「……そこは」 レオンは言葉を止めた。 リリアは首を傾げる。「そこは?」「今は噂の話をしている」「はい」「王になるつもりはない」「結婚は否定しないんですね」 馬車の中に沈黙が落ちた。 レオンは窓の外へ顔を向ける。 耳が少し赤い。 リリアはそれ以上追及せず。 小さく笑った。 すると、足元の影から夜色の頭が現れた。『人の噂とは奇妙だ』 ノクスである。 今は大型犬ほどの姿で、レオンの影を出入りしている。 決戦直後より力が戻ってきたらしく。 以前は輪郭が透けていた身体も、今では星空の毛並みがはっきり見える。「どのあたりがですか?」『我が霧を食べたという部分だ』「食べてはいませんね」『あれは痛みと記憶の残滓だ』 ノクスは不満そうに鼻を鳴らす。『食物と同列に扱うな』「子
Last Updated: 2026-09-15
Chapter: 第四十九話 夜明けの代償 夜が明けても、公爵邸に静けさは戻らなかった。 庭園には救出された人々が横たわり、芝生の上へ白い布と毛布が敷き詰められていた。 兵士。 研究者。 北方の村人。 黒鴉会に属していた者。 王宮の使用人。 敵も味方も関係なく、意識のある者から順に治療を受けている。 屋敷の使用人たちは湯を沸かし続け、騎士たちは負傷者を運び、ミアは泣きそうな顔をしながら薬品と包帯の間を走り回っていた。「こちらの方、脈が弱いです!」「温めてください!」「黒霧を吸い込んでいます!」「水を飲ませないで。先に呼吸を整えます!」 リリアは芝生へ膝をつき、一人の少女の胸へ手を当てていた。 北方で行方不明になっていた村人の一人だ。 まだ十歳にも満たない。 冷え切った手。 青ざめた唇。 呼吸は浅い。 だが、胸の奥には確かに命が残っている。「聞こえますか?」 少女の耳元で呼びかける。 反応はない。 リリアは指先へ月華を灯した。 淡い光が少女の胸へ沈んでいく。 以前のように、身体の中へ無理に入り込み、黒霧を自分へ引き受けることはしない。 黒い力がどこから入り。 どこへ帰ればいいのか。 ただ、その道を照らす。 少女の胸元から、細い黒霧が浮かび上がった。 それは空へ昇らず。 リリアの隣へ漂っていく。 そこに藍色の小さな光が現れた。 ノクスの力。 黒霧は夜色の光へ包まれ、静かに薄れていく。 消えたのではない。 痛みの形を失い。 夜の一部へ戻っていったのだ。 少女の身体が小さく震える。「……お母、さん」 掠れた声。 リリアは息を吐いた。「大丈夫です」 少女の手を握る。「もう帰れますよ」
Last Updated: 2026-09-14
Chapter: 第四十八話 夜明けを選ぶ者たち 爆発は、音より先に光として訪れた。 赤。 黒。 そして、深淵の底を思わせる藍色。 三つの光が月蝕の間を呑み込み、天井も、祭壇も、黒い水面も、一瞬で見えなくなる。「リリア!」 レオンの声。 次の瞬間、強い腕がリリアの身体を抱き寄せた。 背中へ回された腕。 胸元へ押しつけられる頬。 レオンの鼓動が、激しく響いている。 リリアは反射的に彼の軍服を掴んだ。「レオン様!」「俺から離れるな!」「はい!」 爆風が二人を襲う。 熱ではない。 凍えるほど冷たい衝撃だった。 黒霧と深淵の残滓が、無数の刃となって広間を駆け抜けていく。 レオンの背後に、巨大な銀狼の影が現れた。 その輪郭を縁取るのは、夜空のような藍色の光。 ノクスの力。 銀狼は二人を覆うように身を伏せ、黒い刃を受け止める。 だが衝撃はそれだけでは終わらなかった。 床に刻まれた赤い魔法陣が次々と砕け、割れ目から黒い炎が噴き上がる。 円形の祭壇が大きく傾いた。 水中へ沈められていた人々の身体が、崩壊する術式へ引き込まれていく。「人が沈んでいます!」 リリアが叫ぶ。「先に防壁を!」 レオンは銀狼を維持したまま、剣を床へ突き立てた。 藍色の光が波紋のように広がる。 傾いた祭壇の縁で踏みとどまっていた第一王子も、剣を掲げた。「全員、中央へ集まれ! 負傷者を優先しろ!」 直属騎士たちが黒い水へ飛び込み、意識を失った者を抱え上げる。 ユリウスは両手を床へ当て、崩落を防ぐ術式を展開していた。「長くは持ちません!」「地下全体の支柱が崩れています!」「出口は!」 第一王子が叫ぶ。「来た道は塞がれました!」「転移術式も黒霧に乱されています!」 マルタが黒い水の中
Last Updated: 2026-09-13
Chapter: 第四十七話 忘れられた神の名 黒い鎖が、闇を裂いた。 空気も大地も存在しない深淵の内側で、それは雷鳴のような音を立てながらレオンへ襲いかかる。「レオン様!」 リリアが叫ぶ。 レオンは一歩前へ出た。 銀色の剣を両手で握り、振り下ろされる鎖を正面から受け止める。 激しい衝撃。 銀と黒の火花が弾け、深淵そのものが大きく揺れた。「ぐっ……!」 レオンの腕へ黒い筋が走る。 鎖に触れた箇所から、深淵の力が身体へ流れ込んでいる。「無理をしないでください!」「これくらいで、無理とは言わない」 そう答える声は強い。 だが、リリアには分かった。 レオンの中で何かが崩れ始めている。 彼の胸に宿る銀狼の星印。 そこへ黒い亀裂が入り、少しずつ広がっていた。 セドリックは黒い鎖を引き戻し、冷たい笑みを浮かべる。「まだ抵抗するのか。君は深淵を受け入れようとしている。その身体は、すでに人間の限界を越えつつある。あと少しだ、あと少しで、君は自分が誰だったのかさえ分からなくなる」 レオンの銀色の瞳が、僅かに揺れた。 その一瞬を。 セドリックは見逃さなかった。 黒い鎖が再び放たれる。 今度はレオンではない。 リリアへ向かって。「っ!」 リリアが月華の光を展開する。 淡い銀色の膜が身体を包んだ。 鎖が光へ衝突する。 耳をつんざくような音。 防いだ。 しかし、鎖の先端から滲み出た黒い霧が、月華の膜を通り抜けた。 そして、リリアの額へ触れる。 ◇ 次の瞬間。 リリアは薬房に立っていた。 懐かしい香り。 乾燥させた薬草。 煮詰めた蜜。 少し焦げた鍋。 窓の外には、故郷の小さな町並みが見える。「リリア」 振り返る。 父がいた。
Last Updated: 2026-09-12