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第8話

Author: 白団子
「9995、9996、9997......」

男の低く掠れた声が響き、ほぼ三時間にわたって数え続け、ついに終わりが来た。

「10000!」

白夜は目を開け、眉間に珍しく疲労の色を滲ませた。

まるでイタズラのような任務、本当にもうたくさんだと思った。

「お嬢様、数え終わりました。まだ何か?」

しかし部屋は静まり返っており、誰ひとり応答しない。

白夜は眉をひそめ、ようやく気づいた。

侑里の寝室が、以前とは違っていることに。

毎晩抱いて寝ていたベッドのぬいぐるみのウサギも、化粧台の口紅30本を含む化粧品も、全部なくなっていた。

ベッドシーツやカーテンといった配置はそのままだが、侑里の大切にしていたものはすべて消えていた。

まるで、彼女が自ら不要なものを捨てて、一人で去っていったかのようだった。

そして白夜だけが、取り残されたように。

「お嬢様?」

白夜は胸の奥に芽生える違和感を押し殺し、再び声をかけたが、返事はない。

苛立ちにも似た感覚が心にのぼり、彼は顔を曇らせて寝室を出た。

その廊下も、また邸の外も人影はなく、しんと静まり返っていた。

侑里が住んでいたのは碓氷家の最も奥まった西邸、荒れ果てた場所だった。

以前から西邸は陽が当たらず、住み込みの召使いも敬遠し、結局執事の白夜だけが一緒に住んでいた。

以前の西邸は、侑里の騒がしさと笑い声に満ちていたため、白夜は騒がしい場所であることに慣れていた。

だが今、侑里がいなくなり、庭も部屋も余計に静かになった。

普段は静けさを好む彼でも、これほどまでに音がないのは不安を招いた。

「これは何の冗談ですか」

白夜は氷のような声で問い詰めた。

「出てきてください。そんな遊びに付き合っている暇はないんですよ!」

応答はないが、そのとき庭の方から風鈴の澄んだ音が聞こえてきた。

彼は急ぎ扉を開け、見上げると、前庭の桃の木の下に、かつて侑里が大切にしていた宝物たちがぶら下げられていた。

映画のチケット、二人で撮った写真、新聞紙で折られた紙のバラ、すべてが質素で些細なものだ。

折り紙のバラは当初、凪に贈るつもりだったが失敗作で、白夜自身がその場に捨てていたものだった。

だが侑里はそのバラを宝物のように拾い上げ、大切に箱に収めていたのだ。

その箱の中にはすべて、白夜との思い出が詰まっていた
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