Masukツアー公演を目前に控えたその時、ダンスグループは突然、私のヒロイン資格を取り下げた。 納得なんてできるはずもない。私は真相を聞くために劇場へ向かおうとしたが、焦りと混乱で足を踏み外し、階段から転げ落ちた。 全身が痛みに悲鳴を上げる中、必死でスマホを取り出し、119番をダイヤルしようとしたその瞬間――通知が一件、目に飛び込んできた。 【紅原ダンスグループ::新ヒロイン@成瀬奈緒(なりせ なお)、そしてパトロン@北条和真(ほくじょう かずま)様、ようこそ♡】 そこに並ぶのは、満面の笑みを浮かべた二人の写真。 写っていたのは、七年間、誰にも明かさずに結婚していた私の夫、そして、その腕に大事そうに抱かれているのは、彼が甘やかしている愛人――成瀬奈緒の姿だった。 和真は奈緒の腰を引き寄せ、彼女の頬に軽くキスを落としていた。 奈緒は和真の首に腕を絡めて、頬を赤らめながら、まるで「勝者」のような笑顔を浮かべていた。
Lihat lebih banyak私の目的は、最初からはっきりしていた。両親を死に追いやった連中に、世間から唾棄される痛みを味あわせること。稲葉グループの事件からこれだけ時間が経った今、覚えている人なんてほんの一握り。いきなり証拠映像を出しても、話題になる前に潰される可能性が高い。でも、和真は私を屈服させようとして、わざと世論を操って事件を再燃させた。私の希望を根こそぎ叩き潰すために、あらかじめ世論操作の準備までしていたのだ。だから私は、その力を逆手に取った。注目が最高潮に達したその瞬間に、最大の一撃を加えた。隼人の素早い判断と実行力のおかげで、結婚式はあの小さなハプニングに邪魔されることなく、無事に続行された。一方、和真と奈緒は警備員に退場を促され、その後押し寄せた記者たちに完全に囲まれていた。和真は呆然とマイクの前に立ち、しばらくしてから震える声でつぶやいた。「もう……後戻りはできないのか……」世論の力は想像以上に強かった。怒りに燃える大衆の声、私の手元にある証拠、そして隼人の力が合わさり、ついに真実が世に明らかになった。それからわずか一ヶ月足らずで、関係者たちは次々に逮捕され、責任を追及された。北条家は真っ先に破産宣告を受け、和真の両親も刑務所送りに。残りの人生を塀の中で過ごすことになる。ネットでは、私の両親のことを悼む声があふれ、過去の善行が次々と掘り起こされた。人々が自発的に追悼集会を開いてくれる中、ようやく私と隼人は両親の遺骨をきちんと改葬することができた。墓地を後にしようとしたその時、突然、人影が車の前に飛び出してきた。……和真だった。たった一ヶ月会わなかっただけなのに、もはや別人のように変わり果てていた。どう表現すればいいのだろう。伸び放題の髭、目の下の濃いクマ、青白くやつれた顔、ボサボサの髪、しわだらけの服。和真は、常に身なりに気を使う男だった。あの頃、私と「駆け落ち」して生活が苦しかった時ですら、こんなに落ちぶれた姿は一度も見せなかった。彼はボンネットを叩きながら懇願した。「千夏、頼む。降りてくれ。話があるんだ」隼人が真剣な表情で聞いた。「降りるか?」私は首を横に振り、窓を開けた。「ここで話して」和真は一瞬も迷わず私のそばに回ってきた。「千夏、俺が間違ってた。本当に、全部間違っ
その後の数日間、私は静かにネットの動きを見守っていた。予想どおり、いくつかのメディアが稲葉グループの汚職事件を取り上げ始めた。インフルエンサーの後押しもあって、この古い事件が突如表舞台に引っ張り出され、しばらくのあいだ各プラットフォームのトップニュースを独占することになった。和真から脅しのメッセージは来なかった。たぶん、私が彼の意図をちゃんとわかっていると思ってるんだろう。きっとあいかわらず、上から目線で私が屈して謝罪するのを待っているつもりなんだ。でも今回は、あえてその期待を裏切って、結婚式当日まで一切連絡を取らないことにした。もちろん、和真が諦めるはずがなかった。なんと奈緒を連れて、堂々と私たちの結婚式に姿を現したのだ。隼人が険しい表情で言った。「北条さん、僕の招待リストにあなたの名前はなかったはずですが?」和真は薄く笑って答えた。「元妻の結婚式に、元夫として祝福を届けに来ただけだ。なにか問題でも?」口では隼人に話しかけながらも、目は一瞬たりとも私から離さなかった。その視線の意味は、私にはよくわかっていた。驚き、強い執着、そしてほんのわずかな後悔。私たちは事実婚だった。式も挙げていなければ、ウェディングドレスも着ていない。だから、私がウェディングドレスを着るのを目にするのは、彼にとって今日が初めてなのだ。私は頬にかかった髪を耳にかけて言った。「せっかくいらしてくださったのですから、お客様です。北条さん、どうぞお入りください」和真は私をじっと見つめたまま、なかなか動こうとしなかった。奈緒が青ざめた顔で彼の腕をぐいっと引っ張って、ようやく渋々席についた。隼人がその背中を睨みつけ、目には鋭い光が宿っていた。私は慌てて手を振ってその視線を遮った。「そんな顔しないで。子どもが怖がるよ」隼人は一瞬で表情を切り替えた。「アイツの目玉、くり抜いてやりたい」私は腕を組んだまま賓客たちに微笑みつつ、小声で言った。「我慢して。台無しにしないでね」和真がなにか仕掛けてくることは、最初からわかっていた。ちょうどいい、こっちもそれに見合う一撃を用意していたところ。だからこそ、あえて彼らを最前列に座らせたし、奈緒がライブ配信するのも止めなかった。ただ、まさか和真が奈緒を囮に使う
隼人はそっと私の額に触れながら、静かに語り始めた。「稲葉グループの事件は、本当に突然だった。おじさんも、ほとんど対応する間もなかったんだ。彼が最後に送ってきたメールは、亡くなる30分前のものだったよ。その知らせを受けて、急いで帰国の準備を始めたんだけど……運悪く、当時の稲葉家の後継者が偶然にも僕の存在を突き止めてね。自分の地位が危うくなるのを恐れて、僕を妨害するよう人を差し向けてきたんだ。そのせいで、僕は重傷を負ったんだ……」隼人の目に一瞬、暗い影が差した。言葉を詰まらせ、沈黙が落ちた。私は恐る恐る尋ねた。「……怪我、ひどかったの?」「頭をやられてね。目が覚めた時には、知能が5歳児並みにまで落ちてたんだ」隼人は苦笑いを浮かべた。「信じられないよね。バカみたいだろ?」私は彼の目をじっと見つめた。その深く漆黒の瞳の奥には、揺るぎない真剣さがはっきりと宿っていた。その瞬間、少年時代の背中と、あの日の約束が鮮明によみがえる。数秒間の沈黙のあと、私はそっと彼の手を取った。「隼人お兄ちゃん……戻ってきてくれて、本当にありがとう」隼人は驚いたように目を見開き、黒い瞳に複雑な感情が浮かんだ。「咲良ちゃん……」言葉にしなくても、想いはちゃんと伝わっていた。そのあと、隼人は父が彼に送った最後のメールの中で、「咲良ちゃんの秘密の花園」について触れていたことを話してくれた。「最後の果実は、花園の隅の秘密に育っている。長い時間をかけて調査して、おじさんが当時、重要な証拠を一部持っていたことはほぼ確実だとわかった。でも、その状況では公表なんてできなかった。だから、安全な場所に隠す必要があったんだ。咲良ちゃん、花園の隅って、どこか心当たりはある?」もちろんある。父と一緒に一から作り上げた、あの場所。知らないはずがない。私は隼人を連れて急いで実家に向かい、荒れ果てた庭の隅を掘り返して、USBメモリを見つけ出した。その中に記録されていたのは、信じられないような内容だった。名を連ねていたのは、当時の政財界の重鎮ばかり。だからこそ、父があの不正の全責任を背負った理由が、ようやく明らかになった。そして、北条家の名前が、堂々とそこに記されていた。怒りで体が震えた。涙と同時に、笑いすらこみ上げてきた。「やっ
過去は、心に刺さった刃みたいなもので、触れるたびに、鋭く痛む。父と母は、生物医薬の分野で知られた専門家だった。当時の稲葉グループは業界のトップ企業で、両親の名前はニュースで何度も取り上げられていた。今でも覚えている。あの頃、世間から贈られていた称号――「生物医薬の光」。私が17歳のとき、両親は遺伝子疾患向けの新薬を開発した。最初の段階では順調で、業界中の注目を集めていた。でも、第三相試験を終えて臨床使用が始まった途端、最初に治療を受けた患者たちが、全員薬物中毒で命を落とした。そのあと、次々と両親に不利な証拠が出てきた。巨額の金に目がくらんで薬をすり替えただの、狂気じみた人体実験をしただの、果ては外国勢力に買収されていたとか──両親は罪を恐れて自殺した。その訃報が届いたとき、私は学校の運動会に参加していた。だから、最期を見送ることもできなかった。世間の噂なんて、一つも信じてなかった。ただ医療ミスがあって、それを悔やみきれず、自ら命を絶ったんだと……ずっと、そう思っていた。でも、隼人は教えてくれた。両親の死は、最初から仕組まれていた陰謀だったって。両親は研究に没頭していて、会社の経営にはあまり関わっていなかった。ビジネスの多くは、当時の隣人だった和真のお父さんに任せていた。私の記憶の中の北条おじさんは、いつも優しくて穏やかだった。おばさんも、よく美味しいごはんを作ってくれてた。ある時期なんて、一日三食を北条家で食べて、何キロも太ったくらい。和真はそんな私を「ぽちゃ咲良」なんて、親しげに呼んでくれてた。あの日々は、思い出の中で甘く光ってる。たとえ、あとでうちが没落して、北条夫婦の態度が一変して、和真にまで私と縁を切るように迫ったとしても──恨む気にはなれなかった。あのとき、北条家と稲葉家はビジネスパートナーだった。あの状況なら、自己保身に走るのも仕方ないって、思えた。今では和真とすれ違う関係になってしまったけど、それでもどこかで、いずれ北条夫婦の老後を支えたいって……そう思っていた。だから、隼人からあの事件に北条家が関わっていたと聞かされたとき、まず頭に浮かんだのは、否定だった。「そんなはずない……おじさんたちがそんなことするわけない。あの人たち、父さんと母さんと本当に仲良しだったんだ
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