「け、消すって……」「萌々との記憶を消すだけじゃ足りないな。やっぱり存在そのものを……」「怖いのでやめてください!」 飲み物でも飲めば皇羽さんの気が紛れるだろうかと、一足先に寝室を抜ける。去り際に「何を飲みますか?」と聞くと、皇羽さんはやや照れた顔を見せた。「そういう会話してると、まるで新婚みたいだな」「っ!」 さっきまで怒った顔をしていたのに、綾辻さんのことはいったん忘れたのか、今は目じりの下がった優しい笑みだ。彼の漆黒の瞳の中に、同じく顔を赤くした私が写っている。「何を言っているんですか。リビングへ皇羽さんも来てくださいね、今後のことについて作戦会議しましょう。綾辻さんに私たちの関係がバレないようにするためには、どうしたらいいか」「なんで寝室で話し合ったらダメなんだよ?」 キョトンとした顔をする皇羽さんだけど、忘れてもらっちゃ困る。さっき何度も際どい箇所にキスマークをつけようとした人を相手に、寝室で真剣な話し合いができるわけがない。「ちゃんと話し合いたいんです。寝室だと……ほら、あなたが」 ぷくっと頬を膨らませると、再び皇羽さんはキョトンとした顔。だけど「そんな顔もかわいいな」と、ファンが見たら卒倒するであろう極上の笑みを見せる。「ま、さすが萌々ってところか。ちょっとは甘い余韻に浸ればいいものを、話し合いの方を選ぶんだもんな」「……私だって、浸りたいですよ」「ん?」 ボソリと呟いた声は、皇羽さんには届かなかったみたい。いつの間にか脱いだか分からないシャツを、パサッと被っている。 前の私なら「何でもないです」とか言って、恥ずかしさから逃げていた。だけど今は、離れている時間が多い分、ちゃんと自分の気持ちを伝えるべきだと、ついさっき知った。 もう二度と、綾辻さんと浮気しているなんて。そんな嘘八百が生まれないようにするためにも。 私はリビングへ突き出した足を、寝室へ戻す。そしてまだベッドへ座る皇羽さんの鼻と、私の鼻がぶつかるくらい距離をつめた。「も、萌々?」「私は、さっきみたいな……新婚みたいな会話を、将来つつがなく皇羽さんと交わしたいんです。あなたと結婚したい。裏麗萌々になりたいんです」「え」「ファンのことも記者のことも、色々と問題は山積みですが……」 段々と不安になっていき、後半はごにょごにょと濁す。すると皇羽さんが、
「はぁ、はぁ……なんとか、30分以内に着いた……」 マンションのエントランス前で、膝に手をついて息を切らせる。今日がスニーカーで良かった。これでヒールを履いていたら、確実に間に合わなかったよ……!「いや、それ以前に。皇羽さんの脅し文句に問題がある!」――逃げたらどうなるか分かっているよな。30分だけ待つ これはある意味、死刑宣告のような言葉だ。 綾辻さんを降ろした後。タクシーでマンションとは逆方向に走っていたけど、すぐ運転手に「戻ってください!」と懇願した。30分までに間に合わなかったら、どうしよう! だけど、そこはやはりタクシーの運転手。「近道なら知っているよ」と、道ならぬ道を通って(ちょっとタクシーに傷を入れながら)、なんとか制限時間内にマンションへ帰ることができた。 運転手さんから名刺をもらったし、焦らしちゃったお詫びに、また差し入れを持って行こう。「だけど、問題はここからだよね」 フーと、自分の部屋番号のインターホンを押す。すると「おう」と皇羽さんの声。びっくりした、鬼の声かと思った。絶対に怒っている。だって、いつもより声が低すぎるもん!!「こ、皇羽さん。ただいま帰りました……」『開けたから上がってこい』「あはは……はい」 なんともいえぬ緊張感。モデルのオーディションを受けた時よりも百倍、いや一億倍緊張する……! バクバクと口から飛び出しそうなほど唸る心臓に喝を入れ、何とか部屋までたどり着く。するとドアノブに触ってもいないのに、勝手にドアが開いた。「よー、萌々」「こ、こんにちは……」 皇羽さんの刺すような視線に耐えられなくて、慌てて視線を逸らす。すると「へぇ、そらすんだ」と、更に声が低くなる。「俺と目を合わせられない〝やましいこと〟をしたって、そういう解釈でいいんだな?」「へ?」 違います、あまりにも怖くて凍っちゃうかと思ったんです。やましいことなんて一つもありません―― と私が言い訳を述べる前に、皇羽さんの口づけが降って来た。 「んっ⁉」「三分、頭の中で数えろ」「はぁ、はぁ……さ、三分?」 急に唇を塞がれ、既に酸欠状態。しかしここから三分とは、これいかに。まさかカップ麺でも作るの?なんて、そんな甘い考えは彼の頭にはなくて。「三分。それは俺からのキスを受け続ける時間だ」「へ?」「せいぜい窒息しないよ
こうなったら、厄介者……じゃなくて綾辻さんを蚊帳の外へ出すしかない! 急いでタクシーを呼び止め、記者を中へ押し込む。「え?え?」と混乱する綾辻さんをスルーして、私も後へ続いた。 もちろん皇羽さんは「は⁉」と怒った。むしろ叫んでいた。だけど、ここで私と皇羽さんが残ってもよくないことになりそうで……それならいっそ綾辻さんを遠くへ離した方がいい。その方が皇羽さんを守れるはず!「適当に走ってください!」 私の声に反応した運転手が「はいよ!」と、いきなりアクセルを全開にした。車は、まるで生き物みたいにガコンと前後に大きく揺れた後、エンジンをふかしながら群衆を置いて道路を走る。「はぁ、はぁ……!」 ど、どうなることかと思った! ちらりと後ろを見ると、皇羽さんが般若の顔で叫んでいる。ひい! あれは、そうとうに怒っているよ! いや、怒って当たり前なんだけどね! もしも私が皇羽さんと久しぶりに再会して、女の人とこんなことをされたら黙っていられない。靴を脱いででもタクシーを追いかけるよ……!(ん? まさか……!) まさか皇羽さんも裸足で追いかけてきているんじゃ⁉と思ったけど、群衆が味方してくれた。女性から逃げるのに必死になった皇羽さんが、すぐに回れ右して駅へ走っていく姿が見える。よかった、群衆から無事に逃げられたみたい。「ね、ねぇ萌ちゃん」「はい」「すごい数の不在着信が入っているよ」「……」 スマホを見ると、鬼の形相だった皇羽さんから鬼電がかかっていた。まさに鬼からの電話! 名前は「皇羽さん」ではなく「こっこ」とぼやかして登録しているため、バレてはいない。もちろん通話をするとバレてしまうので、通話するわけにはいかない。 早く綾辻さんを降ろさなきゃ……!「綾辻さん、どこで降りますか? そこまでお送りしますよ」「いや、僕が送る側でしょ。どこに行きたいの?」「自分の家に帰りたいので、綾辻さんに先に降りていただかないと」「はは、ガードが固いなぁ」 そう言いながら、綾辻さんは運転手に住所を伝えていた。どうやら素直に降りてくれるらしい。「それにしても、どうして私をかばったんですか? 萌ちゃん、なんて言って」 ここまで事態が深刻したのは、ほぼ綾辻さんのせいだと言って良い。皇羽さんの存在を隠すだけなら、これほど大事にしなくて良かったのだ。皇羽さんと綾
タイミングが悪いことに、皇羽さんが帰ってきてしまった。記者を侍らせている、私の元へ……! しかも皇羽さんからは記者の姿が見えていない。きっと、今ごろシャッターを百枚ほど切られているはずだ。私は皇羽さんへ飛びつきたいのを我慢して、横を素通りする。「は?」 もちろん皇羽さんは不機嫌になる。「なんでムシするんだよ」と、大胆にも私の腕を掴んで来た。 な、何をやっているんですか皇羽さん! そんなことをしたらバレるじゃないですか!「は、離してください。警察を呼びますよ……!」「はぁ? お前どうした、頭でも打ったかよ」 皇羽さんの眉が、上がったり下がったりしている。かなり混乱しているみたい。そりゃそうだよね、久しぶりに彼女の前へ現れたのに、変質者扱いされているんだもん。いや、中身はまごうことなき変態だけど。(それより記者の目をはぐらかさないと!) 怪しまれたらそこで終わり。夢乃萌とコウが交際していると世界中にバレてしまう。 私の失態で、たくさんの人が悲しむなんてダメだ。だから何が何でも誤魔化さないといけない。例え、皇羽さんをちょびっとだけ傷つけたとしても……!「だ、誰かと勘違いしていませんか? 私は一般人です」「俺がお前を間違うはずないだろ。でもシャンプー変えたか? 前と匂いが違う、今回もいい香りだ」「!」 くんくんと、私に近づき匂いをかぐ皇羽さん。もう他人ではない距離感になっちゃってるよ! 私の心臓がバクバクと鳴り、混乱は極限状態にまで上がっていく。「さ、さようなら。では!」「おい、だから何の冗談だって、萌々!」 皇羽さんが私の名前を呼んだ時、腕を掴まれる。あぁ、だから、そういう行動も全部写真に撮られているんですって! どうしたらいいか分からない。パニックで、泣きそうになってしまう。視界が潤んでいく。 いつもは第六感が働いて、私の言いたいことを理解する皇羽さんが今日に限って機能不全。どうやら久しぶりに会えた喜びで、それどころじゃないらしい。 皇羽さん、私だって近づきたいよ。ハグしたいよ、皇羽さんの名前を呼びたいよ!(だけど出来ないの! 記者に見られているから!) 断腸の思いで、掴んだ手をふりほどこうとした。だけど皇羽さんを見ると、両腕が空っぽ。あれ? 私の腕を掴んでいるんじゃないの? 皇羽さんじゃないなら、誰が私の手を? 見ると
【 短編*萌々と皇羽、交際バレのピンチ⁉ 】 モデル事務所の中を歩いていた時、いきなり声をかけられた。「君がモモちゃん? いまこの会社が押しているっていう」「……どなたですか?」 首から下げているネームを見ると「記者」と書かれてあった。記者が、なぜモデル事務所に? 不思議に思っていると、目の前の短髪男性が「そう警戒しないで」とニタリと笑う。「俺たちの会社って、いわゆる今バズってる子を追っているんだよね! それで夢乃萌って子が有名って聞いてさ。雑誌見てもキレイだと思ったけど、いま実際に会ったら本当にキレイでビックリしちゃったよ! 君、モテるでしょー?」「……ありがとうございます。だけどごめんなさい、急いでいるので」「そう言わないで」 記者は妖しい笑みを浮かべながら私へ近づく。適当に褒めて近づくという、よくある手口かと思えば……どうやら違うみたい。なんだか今までの人とは違う。なんとなく直感だけど……近づかない方がいい、ということは分かる。 「仕事のことなら、マネージャーを通してください。私から直接お受けすることは出来ません」「立ち話でいいんだよー? 例えば……」 ズイッと体を近づけられ、思わず退いた。これほど強引な人、今まで見たことない。マネージャーに助けを呼ぼうにも、ここは少し入り組んだ場所で、他の人の目に入らないエリアだ。「お、大声を出します」「じゃあ俺も大声を出しちゃお。大人気モデルの夢乃萌が、首筋にキスマークをつけているだなんて。絶対にスクープだよねぇ?」「!」 見られないよう、咄嗟に自分の首をガードする。すると吹き出して高笑いする記者と目が合った。 「その反応、本当に誰かと内緒で付き合っているんだねぇ?」「まさか……カマをかけたんですか?」「そういうのも仕事の内でね」 悔しそうな顔をする私に、記者はニタニタと笑みが止まらないらしい。「へぇ~」と、私の顔をジロジロと眺める。「そっかそっかぁ、彼氏がいるんだぁ」「……何のことでしょう」 今さら、苦しい言い訳かもしれない。だけど私と付き合っている……いや、婚約している皇羽さんのことがバレてしまったら! 私だけじゃなく、Ign:sの皆にも迷惑をかけてしまう。 玲央さんだって、せっかく新しいレオとして活動しているのだから。私なんかのスクープで潰しちゃダメだ
「萌々、お前。俺を――俺たち Ign:s を、追いかけてくれてんだな」 「う~っ。でも一生つかまえられませんよ。カッコよすぎですもん……っ」 「ぶは、なんだそれ」 次から次に零れる萌々の涙を、丁寧にふき取っていく。チョコも何もかもが混じって、萌々の顔はぐちゃぐちゃだ。 だけど、それがまた堪らなく愛おしくなってしまうのだから……俺も、このチョコみたいに溶かされているんだろうな。萌々を愛する熱量が多すぎるんだ。まさに溺愛。 いつまでもしゃくりあげるものだから、「萌々」と名前を呼ぶ。少し赤くなった目が、いつもより更に潤みを増して俺を見つめた。 「俺が言った事を覚えてるか?」 「俺への当てつけでモデルになったのか、ですか?」 「……違う」 ちゃっかり根に持ってやがる……。 「悪かったよ」と頭を撫でながら抱きしめる。 「お前の魅力はスゴイんだって、いつか言ったろ。俺が知らない短期間の内にモデルになれるほど、編集者の目にとまるほど。萌々は魅力で溢れてるんだよ」 俺はスマホで検索して、とある物を見せる。 それは―― 「これ……私のこと?」 「そーだよ。夢乃萌の名前で検索かけると、皆の反応がこれほど返ってくるんだよ。すごいだろ?」 「……びっくり、しすぎてっ」 本当にビックリしたらしい。涙がピタリと止まっている。萌々の目はキラキラと輝き、画面に釘付けだ。良かった、すごく嬉しそうだ。 だけど……いつまでも画面を見て、俺のことを見やしない。主人にかまってもらえない犬みたいに、「時間切れ」と唇を奪う。ついでにほっぺたも伸ばしておいた。 「いひゃいれすよ、こうしゃん!」 「はは、すごい顔。でも……そんな顔が見れるのは、俺だけなんだぞ」 「皇羽さん……?」 急に真顔になった俺を見て、萌々は固まる。 同時に、顔を少しずつ赤く染めていった。 「いくら皆がお前の魅力に気づこうが、本当の萌々を知っているのは俺だけだ」 「そ、それは私だって同じです……っ」「ふぅん? じゃあ俺の何を知ってるんだよ?」 「……独占欲が強い所」「ふっ、あたり」 その時、萌々は自分の手についたチョコの塊に気づいてティッシュでふき取ろうとする。だけど俺がその指を舐め取って、パクリと食べた。