ラブパッション

ラブパッション

last updateLast Updated : 2025-07-02
By:  水守恵蓮Ongoing
Language: Japanese
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慣れない都会で夜を越え 目覚めると見知らぬ人とベッドにいた―― 突然の本社転勤が心細く憂鬱なOL ・夏帆 初出社の朝 本社のオフィスで『再会』したのは 泥酔して記憶のないまま 一夜を共にしてしまった男 女性社員から理想の結婚相手と 絶賛されるイケメン上司―― 彼は既婚者だった

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Chapter 1

第1話 Urban Night

ズキズキズキズキ――。

目が覚めるより先に、地の底で沸くマグマみたいなジワジワくる痛みを、頭の芯で感じた。

「い、たた……」

無意識に眉間に皺を寄せ、側頭部を手で押さえながら、重い目蓋を持ち上げる。

視界に映ったのは、見慣れない天井だった。

――ここ、どこ?

絶え間ない頭痛が、私の意識をじんわりと蝕んでいて、目に映るものすべてがぼんやりしている。

おかげで、なかなか焦点が合わない。

それでも私は、今、自分が置かれている状況を把握しようとした。

確か昨夜は、高校時代の親友、葉子とキョウちゃんに会って、女子会だった。

私は、つい三週間前、東京本社に転勤の人事発令を受けたばかり。

それを受けてすぐ、高校卒業後、大学進学で上京して、そのまま東京で就職した二人に連絡を取った。

四月。新年度を迎えた今、私は赴任休暇中。

つい昨日、東京に引っ越してきたばかりだ。

狭いワンルームの部屋には、まだほとんど手つかずの段ボールが、山のように積んである。

それなのに、呑気に女子会をしたのは、久しぶりで懐かしい……!と、浮かれたからじゃない。

大学も家から通えるところを選んで進学して、地元にある大手総合商社の地方倉庫に勤務していた私にとって、初めての都会、東京一人暮らし。

寝耳に水で、ワクワク……なんてできない。

せいぜい、地元の田舎町の五分の一ほどの面積しかない土地に、いったい何十倍の人が溢れているんだろう?

昨日、東京駅のホームに降り立ってから新居のマンションに着くまでの間、私は何度も竦み上がった。

みんな歩くスピードが速いし、ちょっとでも立ち止まろうものなら、後ろからドンとぶつかられ、追い抜いていかれる。

わざわざ振り返って、『邪魔だ』と言わんばかりに、濁った目で睨まれる……。

東京での生活には、激しい不安しかない。

『都会暮らしの先輩』である親友二人に話を聞いて、新しい生活に少しでも前向きにならなきゃ、と思っていた。

高校卒業以来だったからか、女子会も結構盛り上がったな。

うん。二人のおかげで、少し気持ちが晴れた気がする。

でも、ちょっと飲みすぎた。

頭ガンガンするし、昨夜どうやって帰ってきたのか、記憶がない……。

「……あれ?」

私はそこで、なにかおかしい、と異変に気付いた。

必死に視界の焦点を合わせようとして、目を細める。

そこまでしなくても、天井にぶら下がっている安っぽいシャンデリアが確認できた。

私の新居は、八畳ワンルーム。

狭い部屋に、あまりにそぐわない照明。

そもそも私の趣味じゃないし、あんなの買うわけがない。

もしかして、ここ、私の部屋じゃない……?

思考がそこまで働いて、私は急いで身体を起こした。途端に。

「うっ……」

動いたせいで、一瞬頭痛が強まった。

反射的に頭を抱えて、顔をしかめる。

目を伏せ、その時初めて、自分が素っ裸なのに気付いた。

「な、な、な……!?」

声にならない悲鳴をあげ、慌てて毛布を抱きしめる。

気が動転して、お尻を浮かせて飛びのいた。

一緒に毛布を引っ張ったせいで、今までそこに隠れていたものが露わになり……。

「ひ、ひえええ……」

引き締まった胸板を、惜しみなく晒して眠る男の人を見つけて、私は情けなく縮み上がった。

自分が置かれた状況があまりに衝撃的で、思考が完全にショートする。

心臓の音だけが、バクバクとうるさい。

頭の中、真っ白になった。

だって、なにもない、なんて誤魔化しようがない。

ベッドの下に脱ぎ散らかされた服。

ベッドサイドの屑籠には、生々しい情事の痕跡が残されている。

言い逃れできないほど、なにがあったかは明白。

意味がわからなくて、泣きそうだった。

だって……誰? この人。

ここは東京。

もちろん私に恋人はいないし、男の人は知り合いすらいない。

なのにどうして、こんなことに……。

胸にギュッと毛布を抱きしめ、私はゴクッと唾を飲んだ。

そして、すやすやと穏やかな寝息を立てている男の人を、恐る恐る見下ろす。

薄く開いた形のいい唇が、なんだかセクシーだ。

寝乱れたサラサラの前髪はちょっと長めで、固く閉じた目元にかかっている。私はおずおずと手を伸ばし、彼の前髪をそっとどけた。

「ん……」

そのせいか、彼がわずかに眉根を寄せて、色っぽい声を漏らした。

反射的に手を引っ込め、彼が起きたわけじゃないのを確認して、ホッと息をつく。

そうして、少し落ち着きを取り戻してから、改めて彼を観察した。

なんだかすごく綺麗な顔の男の人だ。

眉尻が上がった形のいい眉。

涼やかで切れ長の目の奥の瞳には、どんな力がこもってるんだろう。

端整な顔立ちだけど、寝顔はとてもあどけない。

私より年上なのは明らかだけど、何歳くらいかも判断が難しい。

でも、こんな人、私は知らない……。

「あっ……!」

記憶を必死に手繰り、私は彼を『知っている』ことに気付いた。

昨夜の女子会。

途中で隣のテーブルに座った二人組の男性。その一人だ。

東京の生活に慣らすために、私の背を押そうとしたのか。

それとも、単に酔っていたのか。

葉子とキョウちゃんが、『よかったらご一緒しませんか?』と逆ナンパしたんだった。

私はギョッとして二人を止めようとしたけど、この人じゃないもう一人の男性の方が乗ってきた。

『いいの? 可愛い女の子三人と飲めるなんて、今日は運がいいな』

なあんて、かなり軽い調子でテーブルをくっつけ……私は、困ったように苦い顔をしたこの人と、隣になってしまった。

向かい側の三人が楽し気に会話に花を咲かせるのを前に、私とこの人はお互いそっぽを向いて黙って飲むだけ。

そう、それで間が持たずに、ついつい飲みすぎてしまったんだ。

昨夜の記憶が脳裏に蘇ってきて、私はようやくこの状況に至った経緯を理解した。

それでも、この人と裸でベッドにいる理由は、どうしても思い出せない。

気になるけど、今はそんなことどうでもいい。

とにかく、この人が起きる前に逃げないと。

ベッドを軋ませないようにそろそろと床に足を下ろし、そこに散らばった服をザッと掻き集めた。

バスルームに飛び込み、急いで服を身に着けると、バッグを引っ掴んでドアに走る。

ロックを開けて外に出ようとして、私はそっと、ベッドを振り返った。

ほんと、綺麗な寝顔。

こんなカッコいい人、私、今まで見たことがない。

うろ覚えだけど、昨夜彼が一緒にいたもう一人の人も、わりと華やかな感じのイケメンだった気がする。

都会の男の人って、みんなこんなに綺麗なのかな。

それで、初めて会ったその日のうちに、女の子とこんなことできちゃうのかな。

だとしたら、やっぱり東京は危険だ。怖い。

道行く人は、みんな知り合いといっても過言ではない地元と同じ感覚で、声をかけ、かけられていては、こういう痛い目に遭ってしまう……!

これからは、いっそう気を引き締めて、慎重に行動しなきゃ。

強く自分の肝に銘じ、今度は振り返らずに、部屋から逃げ出した。

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第1話 Urban Night
ズキズキズキズキ――。目が覚めるより先に、地の底で沸くマグマみたいなジワジワくる痛みを、頭の芯で感じた。「い、たた……」無意識に眉間に皺を寄せ、側頭部を手で押さえながら、重い目蓋を持ち上げる。視界に映ったのは、見慣れない天井だった。――ここ、どこ?絶え間ない頭痛が、私の意識をじんわりと蝕んでいて、目に映るものすべてがぼんやりしている。おかげで、なかなか焦点が合わない。それでも私は、今、自分が置かれている状況を把握しようとした。確か昨夜は、高校時代の親友、葉子とキョウちゃんに会って、女子会だった。私は、つい三週間前、東京本社に転勤の人事発令を受けたばかり。それを受けてすぐ、高校卒業後、大学進学で上京して、そのまま東京で就職した二人に連絡を取った。四月。新年度を迎えた今、私は赴任休暇中。つい昨日、東京に引っ越してきたばかりだ。狭いワンルームの部屋には、まだほとんど手つかずの段ボールが、山のように積んである。それなのに、呑気に女子会をしたのは、久しぶりで懐かしい……!と、浮かれたからじゃない。大学も家から通えるところを選んで進学して、地元にある大手総合商社の地方倉庫に勤務していた私にとって、初めての都会、東京一人暮らし。寝耳に水で、ワクワク……なんてできない。せいぜい、地元の田舎町の五分の一ほどの面積しかない土地に、いったい何十倍の人が溢れているんだろう?昨日、東京駅のホームに降り立ってから新居のマンションに着くまでの間、私は何度も竦み上がった。みんな歩くスピードが速いし、ちょっとでも立ち止まろうものなら、後ろからドンとぶつかられ、追い抜いていかれる。わざわざ振り返って、『邪魔だ』と言わんばかりに、濁った目で睨まれる……。東京での生活には、激しい不安しかない。『都会暮らしの先輩』である親友二人に話を聞いて、新しい生活に少しでも前向きにならなきゃ、と思っていた。高校卒業以来だったからか、女子会も結構盛り上がったな。うん。二人のおかげで、少し気持ちが晴れた気がする。でも、ちょっと飲みすぎた。頭ガンガンするし、昨夜どうやって帰ってきたのか、記憶がない……。「……あれ?」私はそこで、なにかおかしい、と異変に気付いた。必死に視界の焦点を合わせようとして、目を細める。そこまでしなくても、天井にぶら下がっている安っぽいシャンデリアが確認できた。私の新居は、八畳ワンルーム。狭い部屋に、あ
last updateLast Updated : 2025-06-23
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第3話
私、椎葉夏帆(しいばかほ)。この四月で入社三年目を迎えた、今年二十五歳になるただのOL。一応大手総合商社の社員で、地元の倉庫で事務員をしていた。職場で二十代は私だけ。いつも、作業服のおじさんや恰幅のいいおばさんに囲まれていた。みんなに『夏帆ちゃん』と呼ばれ、可愛がってもらいながら、のほほんと総務事務をこなしてきた。仕事が面白いとか、やりがいがあると思ったことはないけど、環境に不満はなかった。職場まで家から車で十分だし、ほぼノー残業。自分の時間はたっぷりあるし、昔からの友達もたくさんいる。実家暮らしだから、お給料は生活費を入れる以外は自分の自由に使える。キャリアウーマンになろうなんて思ってないし、そもそも私には向いていない。ある程度働いて、時期が来たら、地元で普通に結婚する。上昇志向は皆無。でも、周りの友人もみんなそうだし、私にとっても当たり前の未来予想図。私の人生の大事なものは家族にシフトして、平凡に幸せに過ごせればいい――。なのに、昨年倉庫の閉鎖が発表され、同僚たちは散り散りになることが決まった。私は、できるだけ近くの支社とか、事業所への配属を希望したのだけど、二十代で三年目という若さが祟って、東京本社勤務の人事発令が下されてしまった。みんなも、『夏帆ちゃんが東京!?』と、驚きを隠せずにいた。スタイリッシュでエネルギッシュなダイバーシティという印象の都会で、田舎者の私がやっていけるのか、心配してくれたから。私は、のんびりした性格の上、見た目もふわふわだ。百五十五センチと小柄で華奢な体型。茶色い猫っ毛で、肩にかかるミディアムボブのヘアスタイル。目尻が下がったいわゆる垂れ目で、『しっかりしてる』という印象を与えることはない。『都会の人間は冷たいっていうから。夏帆ちゃん、甘えん坊なのに、おばさんたち心配だよ』そんな心配通り、私は早速都会の洗礼を浴びてしまった。そして今、狭いマンションで一人ぼっち。今後が不安で、心細くて、明日の初出社を前に気が滅入るばかり。でも、昨夜からの怒涛のような信じがたい出来事に直面して、心も身体も疲弊していた。いつの間にか眠ってしまったようで、私が再び目を覚ました時には、窓の外で、太陽は真南近くまで昇っていた。ぼんやりと起き出したものの、荷物の片付けをする気にはなれない。明日の今頃は東京本社で働いてるんだな、と思ったら、ますますどんよりしてしまっ
last updateLast Updated : 2025-06-23
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第4話 神様の悪戯
二週間前、倉庫での勤務最終日の夜。みんなで駅近くの居酒屋に繰り出し、お別れ会をした。別れ際、作業員のおじさんたちが、『夏帆ちゃん、とにかく笑顔だ、笑顔!』と背を叩いてくれた。みんなとバラバラになって、一人東京に行く私は堪らなく心細くて、半泣きの笑顔しか作れずにいたら、おばさんたちも最後は豪快に笑い飛ばしてくれた。『気張らず、普通にしてればいいよ。夏帆ちゃんは素直で優しいし、どこに行ってもきっと可愛がってもらえるから』親子ほど年が離れていたみんなが、最後まで私を甘やかしてくれた。でも、東京本社で、今までの調子でのんびりしてていいわけがない。二十代の若手社員は、星の数ほどいる。同期に当たる人もいるだろうし、きっとそのみんなが、私よりずっと仕事熱心で能力も高いはず。未知の世界に一人放り込まれる気分で、やっぱり怖くて堪らない。倉庫の上司が、緊張しすぎの私の肩に手を置き、苦笑いしながら教えてくれた。『大丈夫。椎葉さんの配属先にいる主任が、私が本社で課長をしていた頃の新人なんだ。仕事もできるし、優しい男だよ。彼にも連絡しておくから』上司の部下だっただけで、私にとっては見ず知らずの人。でも、今はたった一人頼れる『知り合い』のように思え、心の支えにしてしまった。
last updateLast Updated : 2025-06-23
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第5話
眠れないまま迎えた着任初日。私は無意味に朝早くから起き出して、念入りに身支度を整えた。駅までは、マンションから徒歩十分。電車を一回乗り換えて、オフィスまでの通勤時間は三十分ほどのはず。朝の時間をのんびり過ごそうと思ったけれど、私にとって人生初めての東京の通勤ラッシュ。乗車率二百パーセントと言われても、想像もできない満員電車。乗れるのか不安になって、結局私はだいぶ早い時間にマンションを出た。覚悟はしていたけど、東京の通勤ピーク時の満員電車は、想像を絶する混み様だった。ボロボロになって、ようやく乗り換え駅に着いた時、私はもう泣きそうだった。ほんの数日前とは、天と地ほど違う通勤風景。倉庫までは、シャツとジーンズという楽な格好でマイカーに乗り、渋滞知らずの田舎道をのんびり運転するだけ。事務所に飛び込んですぐタイムカードを押せたあの日々を、初日から懐古してしまう。それでもなんとか東京本社の最寄駅に到着して、私はお腹の底から息を吐き、肩に力を入れた。東京でも有数のオフィス街。駅から出ていくビジネスマンの群れにのまれ、流されるままに歩いていたら、空に聳えるように高いオフィスビルに辿り着いた。思わずポカンと口を開けて、喉を仰け反らせて見上げてしまったけど、ここが今日から私が勤務する、うちの会社の本社ビルだ。相当早く着くと思っていたのに、時刻は始業三十分前。出勤したら、配属先の海外営業部に直接来るようにと、指示を受けている。私は、初めての入館セキュリティに戸惑いながらも、奥のエレベーターホールに向かった。大きなエレベーターが八台もあることに驚き、それに乗るための行列にも怯む。十五階で降りると、私の目に、『海外営業部』というプレートが掲げられたドアが映り込んだ。ここが、今日から私のオフィス。武者震いとは言えない、ただの緊張で、私の身体は震えた。ここでもセキュリティにIDを翳してドアを開けると、視界いっぱいに、広々とした開放的なオフィス空間が開けた。まだ始業開始まで時間があるけど、すでに多くの男性がデスクについていて、パソコンに向かっている。広さには驚かない。むしろ、倉庫の方が広かった。でも、今までは見渡す限り作業着姿のおじさんだったのに、パッと見ただけでも若い男性ばかり、みんなビシッとしたスーツ姿。本社だし、これが当たり前なんだろうけど、私のカルチャーショックはさらに膨れ上がってしまっ
last updateLast Updated : 2025-06-23
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第6話
その場で、私を紹介してくれるそうだ。海外営業部は八つのグループに分かれていて、トータルした部員数は百人近いと聞いた。そんなたくさんの人が、一斉に私に注目する。槍のような視線の矢面になって震え上がりながらも、なんとか着任の挨拶を終えた。その後、グループごとのミーティングに移る。私が配属された『第一グループ』は十五人ほどで、男女比率は半々。ここに来てやっと、小ぢんまりと感じる人数で、ホッとする。「東京は初めてだそうだから、みんないろいろ教えてやって。三年目だから、笹谷君、小倉さんの同期だな」課長が再度私を紹介してくれて、それに「はいっ」と元気な声があがった。「小倉菊乃(おぐらきくの)です。椎葉さん、よろしく」背が高い女性が、明るく手を振ってくれた。はきはきした印象で、ミディアムショートヘアがとてもよく似合っている。「笹谷智久(ささたにともひさ)です。よろしく」小倉さんの隣にいた眼鏡の男性社員は、先の彼女に比べると事務的だけど、目が合うと柔らかい笑顔を向けてくれた。「はい。よろしくお願いします」よかった。同期とは仲良くやれそう。私は心の中でホッとして、やや頬の強張りを緩めることができた。「営業や貿易事務の経験はないそうだから、本日から二週間ほど、周防(すおう)主任に、実務指導をお願いしてある。その後、長瀬君の補佐に就いてもらう予定だ」課長の説明を聞いて、グループの女性たちがざわめいた。「……?」それに気を取られていると、視界の端っこで、男性社員が手を挙げたのがわかった。「長瀬譲(ながせゆずる)です。五年目だから椎葉さんの二年先輩。仕事では甘やかさないから、覚悟して。でも、他のことでは、なんでも頼ってくれていいよ」スラッとした長身の男性社員が、どこか愛嬌のある目で軽くウィンクをしてくる。人懐っこそうだし、もしかしたら、みんなの人気者なのかな。だから、女性たちがあんな反応……?「あ、ありがとうございます。よろしくお願いします」慌てて挨拶を返し、私は再び女性たちを気にした。でも、彼女たちは、私と長瀬さんのやり取りはどうやらそっちのけの様子。「ま~た、うちの女子どもは。周防さんが絡んで、椎葉さんに嫉妬心剥き出しだよ」ニヤニヤする長瀬さんに、女子たちはムキになって、そんなことないわよ、と言い返している。長瀬さんは、「ふん」と鼻で笑ってから、私にニッコリと微笑んだ。「椎葉さん、気をつ
last updateLast Updated : 2025-06-23
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第7話
「ああ、来たか。周防君!」課長が声を張って呼びかけると、グループのみんなが背後を振り返った。長身の男性が、注目を浴びて、大きな歩幅で足早に歩み寄ってくる。これから、私に実務指導してくれる『周防主任』だ。私も、緩みかけた気を引きしめ、背筋を伸ばし……。「……え?」ドクッと、なにか沸き立つような心臓の拍動にのまれ、吸い込んだ息が、喉の奥でひゅっと変な音を立てた。「おはよう、周防主任。こちら、今日からうちに配属された椎葉夏帆さんだ。二週間、面倒見てやってくれ」課長に言われて、彼は柔らかく目を細めて応じている。「初めまして。倉庫の高畠課長から、話は聞いてる」彼は課長の隣で立ち尽くしている私に、気さくに声をかけてくれた。そして、正面から目が合った瞬間……。「っ」私は、呼吸のし方を忘れて息を止めた。呆然と大きく目を見開く私に、彼もほんの一瞬小さく息をのんだ。その反応で、彼も『気付いた』と直感する。ドクドクと、心臓が猛烈な速度で加速していく。速い鼓動に呼吸が追いつかず息苦しいのに、私は彼から目が離せない。彼の方は、すぐに先ほどまでの笑みを取り戻した。「第一グループ主任の、周防優(ゆたか)です。よろしく、椎葉さん」とても穏やかに挨拶してくれるのに、私はなんの反応も返せない。「……椎葉さん?」課長が、怪訝そうに私を呼ぶ。課長だけじゃなく、グループの他のみんなも、私を不思議そうに眺めている。私はハッと我に返って、無駄に背筋を伸ばした。「す、すみません! 椎葉夏帆です。こちらこそ、よろしくお願いします」声がひっくり返りそうになったけど、私はなんとか挨拶を返した。なのに、長瀬さんが、冷やかし交じりに横目を向けてくる。「あれあれ? 椎葉さん、今周防さんに見惚れてなかった?」そんな言葉のせいで、私に向けられる女性たちの目に、一気に鋭さが増した。「そ、そんなことありません」慌てて否定して顔を背ける。課長が、まあまあ、と苦笑した。「椎葉さんには、早く仕事覚えて戦力になってもらいたいから。周防君、厳しくも温かい指導を頼むよ」「承知しました」淡々とした声で返すのを聞きながら、私はもう一度彼を窺い見た。癖のない髪はすっきりとセットされていて、前髪も目元にかかっていない。私が覚えているのは、実年齢を判断できない、幼くあどけない寝顔だけ。隣で飲んでいた時がどんなだったか、思い出せないけど――。似てる。怖いく
last updateLast Updated : 2025-06-23
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第8話
諸連絡が終わると、グループミーティングは散会した。みんな、それぞれのデスクに戻っていく。周防さんは、課長から、私の指導スケジュールについて細かい指示を受けている。デスクがどこかわからない私は、その横で待っているしかない。その間、所在なく、足元ばかり見つめていた。もう一度まっすぐ正面から見たりしたら、あの時の彼だと確信してしまいそうで怖い。だけど……。「お待たせ。じゃ、デスクに案内するよ」周防さんは課長と話を終え、私に声をかけてくれた。頭上から降ってくる低く柔らかい声にドキッとして、私は大きく振り仰いでしまう。途端にバチッと目が合い、彼はわずかに怯んだものの、すぐにフッと口角を上げた。「指導の間は、俺の隣で申し訳ない。長瀬の補佐に就くようになったら、他の女性たちとも近い島に移ってもらえるから」「い、いえ。そんな」喉が異常に乾いていた。短い返事ですら引っかかってしまったけれど、周防さんは特に気にする様子もない。そのまま私に背を向け、『ついて来て』というように、先に立って歩いていく。ブラックスーツがとてもよく似合う、男らしい広い背中。私は、この背中を覚えてない。だけど、どんなに東京が狭くても、こんなによく似た人、そうそういるとは思えない。周防さん、昨日の人ですよね……?私は、先を行く彼の背中に、心の中で問いかけることしかできなかった。
last updateLast Updated : 2025-06-23
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第9話
午前中は、着任に関する煩雑な人事手続きに時間を割かれて、あっという間に過ぎてしまった。「夏帆~。お昼休憩だよ。ランチ、一緒に行こ?」午前十一時半を過ぎた時、同期の小倉さんが私のデスクに誘いに来てくれた。その後ろには、笹谷君もいる。周防さんは会議に出ていて不在だけど、『昼は適当に取ってくれ』と言われているから、彼が戻ってくるのを待つ必要はない。「ありがとう。嬉しい」お昼の勝手がわからず、ちょっと心細かったから、二人の気遣いがありがたい。心の底からホッとして立ち上がると、笹谷君も朝より気さくに笑ってくれた。「せっかくだし、『歓迎ランチ会』で外に行こうか、とも思ったんだけど。初日だからこそ、社食案内した方がいいかって。システムとかわからないと、今後使い辛いでしょ?」「うん。助かる」小倉さんの提案に、私がはにかんで頷くと、笹谷君はさっさと背を向けた。私たちを先導するかのように、オフィスの出口に向かっていく。「笹谷、ね。無口だけどいいヤツだよ。あれ、照れてるだけだから」低い声で、内緒話みたいだったのに、笹谷君には聞こえたようだ。うるさい、と睨まれ、私と小倉さんは顔を見合わせて肩を竦めた。そして、クスッと笑う。「ね、私のことは、菊乃って呼んでね? あ、私も夏帆って呼んでいい?」さっき、早速そう呼びかけてくれた小倉さんが、改まったように訊ねてくる。「うん、もちろん。菊乃、ね」エレベーターホールで笹谷君に追いつき、到着した箱に三人で乗り込んだ。ちょうどお昼時、ビルの最上階にある社食に向かう人で、ぎゅうぎゅうだ。朝の満員電車を彷彿とさせる。ようやく社食フロアに着くと、なんとなく「ふうっ」と声に出して息を吐いた。そんな私を、笹谷君が見下ろしてくる。「椎葉さん、東京どころか、一人暮らしも初めてだって? 生活激変だな」それには、「うん」と苦笑を返す。「激変も激変。なんか時間の流れが速いし、人の多さにほんとびっくり」私の返事に、笹谷君も「はは」と乾いた笑い声を漏らした。「それは、東京にいる限り、どこに行ってもそうだから。まず、倣うより慣れろ」「え?」彼は「ほら」と顎先を上げて、私の視線をその方向に誘導する。テーブル席がいくつも並ぶ社食フロアが目に映り、私はひくっと頬を引き攣らせた。
last updateLast Updated : 2025-06-23
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第10話
この東京本社にいると、うちの会社が大手企業だという実感が湧いてくる。このビルだけで、数千人の社員が働いているのだ。もちろん、これからお昼のピークを迎える社食には、たくさんの人がひしめいている。一瞬、中に入っていくのも怯んでしまったけれど、入社以来本社勤務の二人にとって、このくらいの混雑は珍しくもないんだろう。二人は私を手招きして、メニューが並ぶショーケースの方に歩いていった。「うちの社食はビュッフェスタイルなの。定食もあるけど、単品でも選べるんだ」「へえ~」すごいな~。普通のレストランみたい。私は素直に感服して、腰を屈めてショーケースを覗き込んだ。「夏帆、どうする? 私、単品ビュッフェにするけど」私はほんの少しだけ悩んでから、菊乃と一緒にビュッフェカウンターの列に並んだ。笹谷君は、定食の列の方に向かった。「会計は、最後にレジで社員証スキャンするだけ。給料天引き。どう? 一人でも来れそう?」「大丈夫」菊乃が確認してくれて、私は頷いてみせた。「よかった。うちの部、営業社員のスケジュール第一だから、休憩時間まちまちなんだよね。一人で来ること、多くなるから」わりと列は長かったけど、結構早く順番が回ってきた。トレーを手に、あらかじめ小鉢に盛ってあるお惣菜を手に取るスタイルで、なかなか効率がいい。「倉庫勤務の時はどうしてたの?」菊乃が、グリーンサラダを取りながら、首を傾げた。「お弁当」私はマカロニサラダをチョイスして、返事をする。「自分で作るの?」「ほぼ。でも、たまに母に作ってもらってた」ひょいと肩を動かすと、菊乃がフフッと笑った。「夏帆、料理上手そう。お弁当持ってきた時も、社食の席使えるよ。自分のデスクで食べる人もいるけど、休憩の時くらいオフィスから離れたいでしょ」「ありがとう。参考にする」面倒見良くいろいろ教えてくれながら、先に会計を済ませた菊乃が、笹谷君を捜している。「あ、いたいた。お? 珍しくいい席確保したじゃない」笹谷君が席を取ってくれていて、私たちは窓際の四人席に近付いていった。「タイミングよく空いたんだ。そっち、二人でどうぞ」笹谷君が勧めてくれて、私は菊乃と並んで座った。三人揃って「いただきます」と両手を合わせて、早速箸を持つ。
last updateLast Updated : 2025-06-23
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