ラブパッション

ラブパッション

last updateDernière mise à jour : 2025-07-02
Par:  水守恵蓮En cours
Langue: Japanese
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慣れない都会で夜を越え 目覚めると見知らぬ人とベッドにいた―― 突然の本社転勤が心細く憂鬱なOL ・夏帆 初出社の朝 本社のオフィスで『再会』したのは 泥酔して記憶のないまま 一夜を共にしてしまった男 女性社員から理想の結婚相手と 絶賛されるイケメン上司―― 彼は既婚者だった

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Chapitre 1

第1話 Urban Night

ズキズキズキズキ――。

目が覚めるより先に、地の底で沸くマグマみたいなジワジワくる痛みを、頭の芯で感じた。

「い、たた……」

無意識に眉間に皺を寄せ、側頭部を手で押さえながら、重い目蓋を持ち上げる。

視界に映ったのは、見慣れない天井だった。

――ここ、どこ?

絶え間ない頭痛が、私の意識をじんわりと蝕んでいて、目に映るものすべてがぼんやりしている。

おかげで、なかなか焦点が合わない。

それでも私は、今、自分が置かれている状況を把握しようとした。

確か昨夜は、高校時代の親友、葉子とキョウちゃんに会って、女子会だった。

私は、つい三週間前、東京本社に転勤の人事発令を受けたばかり。

それを受けてすぐ、高校卒業後、大学進学で上京して、そのまま東京で就職した二人に連絡を取った。

四月。新年度を迎えた今、私は赴任休暇中。

つい昨日、東京に引っ越してきたばかりだ。

狭いワンルームの部屋には、まだほとんど手つかずの段ボールが、山のように積んである。

それなのに、呑気に女子会をしたのは、久しぶりで懐かしい……!と、浮かれたからじゃない。

大学も家から通えるところを選んで進学して、地元にある大手総合商社の地方倉庫に勤務していた私にとって、初めての都会、東京一人暮らし。

寝耳に水で、ワクワク……なんてできない。

せいぜい、地元の田舎町の五分の一ほどの面積しかない土地に、いったい何十倍の人が溢れているんだろう?

昨日、東京駅のホームに降り立ってから新居のマンションに着くまでの間、私は何度も竦み上がった。

みんな歩くスピードが速いし、ちょっとでも立ち止まろうものなら、後ろからドンとぶつかられ、追い抜いていかれる。

わざわざ振り返って、『邪魔だ』と言わんばかりに、濁った目で睨まれる……。

東京での生活には、激しい不安しかない。

『都会暮らしの先輩』である親友二人に話を聞いて、新しい生活に少しでも前向きにならなきゃ、と思っていた。

高校卒業以来だったからか、女子会も結構盛り上がったな。

うん。二人のおかげで、少し気持ちが晴れた気がする。

でも、ちょっと飲みすぎた。

頭ガンガンするし、昨夜どうやって帰ってきたのか、記憶がない……。

「……あれ?」

私はそこで、なにかおかしい、と異変に気付いた。

必死に視界の焦点を合わせようとして、目を細める。

そこまでしなくても、天井にぶら下がっている安っぽいシャンデリアが確認できた。

私の新居は、八畳ワンルーム。

狭い部屋に、あまりにそぐわない照明。

そもそも私の趣味じゃないし、あんなの買うわけがない。

もしかして、ここ、私の部屋じゃない……?

思考がそこまで働いて、私は急いで身体を起こした。途端に。

「うっ……」

動いたせいで、一瞬頭痛が強まった。

反射的に頭を抱えて、顔をしかめる。

目を伏せ、その時初めて、自分が素っ裸なのに気付いた。

「な、な、な……!?」

声にならない悲鳴をあげ、慌てて毛布を抱きしめる。

気が動転して、お尻を浮かせて飛びのいた。

一緒に毛布を引っ張ったせいで、今までそこに隠れていたものが露わになり……。

「ひ、ひえええ……」

引き締まった胸板を、惜しみなく晒して眠る男の人を見つけて、私は情けなく縮み上がった。

自分が置かれた状況があまりに衝撃的で、思考が完全にショートする。

心臓の音だけが、バクバクとうるさい。

頭の中、真っ白になった。

だって、なにもない、なんて誤魔化しようがない。

ベッドの下に脱ぎ散らかされた服。

ベッドサイドの屑籠には、生々しい情事の痕跡が残されている。

言い逃れできないほど、なにがあったかは明白。

意味がわからなくて、泣きそうだった。

だって……誰? この人。

ここは東京。

もちろん私に恋人はいないし、男の人は知り合いすらいない。

なのにどうして、こんなことに……。

胸にギュッと毛布を抱きしめ、私はゴクッと唾を飲んだ。

そして、すやすやと穏やかな寝息を立てている男の人を、恐る恐る見下ろす。

薄く開いた形のいい唇が、なんだかセクシーだ。

寝乱れたサラサラの前髪はちょっと長めで、固く閉じた目元にかかっている。私はおずおずと手を伸ばし、彼の前髪をそっとどけた。

「ん……」

そのせいか、彼がわずかに眉根を寄せて、色っぽい声を漏らした。

反射的に手を引っ込め、彼が起きたわけじゃないのを確認して、ホッと息をつく。

そうして、少し落ち着きを取り戻してから、改めて彼を観察した。

なんだかすごく綺麗な顔の男の人だ。

眉尻が上がった形のいい眉。

涼やかで切れ長の目の奥の瞳には、どんな力がこもってるんだろう。

端整な顔立ちだけど、寝顔はとてもあどけない。

私より年上なのは明らかだけど、何歳くらいかも判断が難しい。

でも、こんな人、私は知らない……。

「あっ……!」

記憶を必死に手繰り、私は彼を『知っている』ことに気付いた。

昨夜の女子会。

途中で隣のテーブルに座った二人組の男性。その一人だ。

東京の生活に慣らすために、私の背を押そうとしたのか。

それとも、単に酔っていたのか。

葉子とキョウちゃんが、『よかったらご一緒しませんか?』と逆ナンパしたんだった。

私はギョッとして二人を止めようとしたけど、この人じゃないもう一人の男性の方が乗ってきた。

『いいの? 可愛い女の子三人と飲めるなんて、今日は運がいいな』

なあんて、かなり軽い調子でテーブルをくっつけ……私は、困ったように苦い顔をしたこの人と、隣になってしまった。

向かい側の三人が楽し気に会話に花を咲かせるのを前に、私とこの人はお互いそっぽを向いて黙って飲むだけ。

そう、それで間が持たずに、ついつい飲みすぎてしまったんだ。

昨夜の記憶が脳裏に蘇ってきて、私はようやくこの状況に至った経緯を理解した。

それでも、この人と裸でベッドにいる理由は、どうしても思い出せない。

気になるけど、今はそんなことどうでもいい。

とにかく、この人が起きる前に逃げないと。

ベッドを軋ませないようにそろそろと床に足を下ろし、そこに散らばった服をザッと掻き集めた。

バスルームに飛び込み、急いで服を身に着けると、バッグを引っ掴んでドアに走る。

ロックを開けて外に出ようとして、私はそっと、ベッドを振り返った。

ほんと、綺麗な寝顔。

こんなカッコいい人、私、今まで見たことがない。

うろ覚えだけど、昨夜彼が一緒にいたもう一人の人も、わりと華やかな感じのイケメンだった気がする。

都会の男の人って、みんなこんなに綺麗なのかな。

それで、初めて会ったその日のうちに、女の子とこんなことできちゃうのかな。

だとしたら、やっぱり東京は危険だ。怖い。

道行く人は、みんな知り合いといっても過言ではない地元と同じ感覚で、声をかけ、かけられていては、こういう痛い目に遭ってしまう……!

これからは、いっそう気を引き締めて、慎重に行動しなきゃ。

強く自分の肝に銘じ、今度は振り返らずに、部屋から逃げ出した。

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第1話 Urban Night
ズキズキズキズキ――。目が覚めるより先に、地の底で沸くマグマみたいなジワジワくる痛みを、頭の芯で感じた。「い、たた……」無意識に眉間に皺を寄せ、側頭部を手で押さえながら、重い目蓋を持ち上げる。視界に映ったのは、見慣れない天井だった。――ここ、どこ?絶え間ない頭痛が、私の意識をじんわりと蝕んでいて、目に映るものすべてがぼんやりしている。おかげで、なかなか焦点が合わない。それでも私は、今、自分が置かれている状況を把握しようとした。確か昨夜は、高校時代の親友、葉子とキョウちゃんに会って、女子会だった。私は、つい三週間前、東京本社に転勤の人事発令を受けたばかり。それを受けてすぐ、高校卒業後、大学進学で上京して、そのまま東京で就職した二人に連絡を取った。四月。新年度を迎えた今、私は赴任休暇中。つい昨日、東京に引っ越してきたばかりだ。狭いワンルームの部屋には、まだほとんど手つかずの段ボールが、山のように積んである。それなのに、呑気に女子会をしたのは、久しぶりで懐かしい……!と、浮かれたからじゃない。大学も家から通えるところを選んで進学して、地元にある大手総合商社の地方倉庫に勤務していた私にとって、初めての都会、東京一人暮らし。寝耳に水で、ワクワク……なんてできない。せいぜい、地元の田舎町の五分の一ほどの面積しかない土地に、いったい何十倍の人が溢れているんだろう?昨日、東京駅のホームに降り立ってから新居のマンションに着くまでの間、私は何度も竦み上がった。みんな歩くスピードが速いし、ちょっとでも立ち止まろうものなら、後ろからドンとぶつかられ、追い抜いていかれる。わざわざ振り返って、『邪魔だ』と言わんばかりに、濁った目で睨まれる……。東京での生活には、激しい不安しかない。『都会暮らしの先輩』である親友二人に話を聞いて、新しい生活に少しでも前向きにならなきゃ、と思っていた。高校卒業以来だったからか、女子会も結構盛り上がったな。うん。二人のおかげで、少し気持ちが晴れた気がする。でも、ちょっと飲みすぎた。頭ガンガンするし、昨夜どうやって帰ってきたのか、記憶がない……。「……あれ?」私はそこで、なにかおかしい、と異変に気付いた。必死に視界の焦点を合わせようとして、目を細める。そこまでしなくても、天井にぶら下がっている安っぽいシャンデリアが確認できた。私の新居は、八畳ワンルーム。狭い部屋に、あ
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