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第三話 四国会

Author: 春埜馨
last update Last Updated: 2025-06-24 20:09:30

開花という一幕を終えた桜は、緑へと色彩を移し、木々の隙間から溢れる木漏れ日が、黄華殿《おうかでん》の床を照らす。

 新安《しんあん》で赤潰疫が発生したことを受け、世を統治している四つの国 宋長安《そんちょうあん》・朱源陽《しゅうげんよう》・橙仙南《とうせんなん》・青鸞州《せいらんしゅう》が集まる『四国会《よんごくかい》が、橙仙南の宮廷・黄華殿《おうかでん》で執り行われた。

 豪華な黄華殿の中にある小さな人工池の中で、黄色の花々が咲き乱れている。一段と上品な香りが、辺り一面を漂い、来る者の鼻腔をくすぐった。

 「永憐《ヨンリェン》兄様、いい香りだね」

 口を開いたのは、永憐の横で足を崩して座っている、宋長安の皇太子・賢耀《シェンヤオ》だ。その横には、永憐の側近・宇辰《ウーチェン》も端座し、宇辰は穏やかな笑みを賢耀に見せていた。永憐はというと「うん」と小さく頷くだけで、相変わらずの仏頂面だ。

 宋長安の皇帝・宋武帝《そんぶてい》は、もう一段上の年長者が並ぶ上座で、橙仙南の皇帝・橙武帝《とうぶてい》と、青鸞州の皇帝・鸞氷帝《らんひょうてい》と和やかに談話している。

 かかった雲が日差しを遮り、黄華殿の中が少し暗くなった。

 明度を見計らったかのように、この上品な香りを、一瞬にして自国の香油の香りに変える、強者がやってきた。

 嗅覚を疑うその如何わしい香りは、妓楼の売女が客寄せに使うような、甘ったるさを秘めており、嗅ぐ者の鼻を麻痺させる。

 先ほどまでの、穏やかな香りは一変し、こっそり鼻を覆う者もいれば、気分を害して外に出る者もいたり、はたまた永憐のように、微動だにしない者もいたりと、周囲は異様な空気に包まれた。

 そんな周りを気にする素振りも見せず、朱源陽の皇帝・朱陽帝《しゅうびてい》は、意気揚々と床を鳴らして、上座に座った。

 その後ろでは、護衛の端栄《タンロン》がそれぞれの国の年長者たちに拱手をしている。

 「さて、とっとと始めようではないか」

 四国会の中では最年長の為、傲慢な態度はいつものことだが、今日は遊女のような愛人も連れてきたようだ。

 老人が年若い女を見て興奮しているように、朱陽帝は愛人の頭をいやらしく撫でている。

 何を見せつけられているのだろうか。

 下にいる者たちからは、溜息が漏れる。

 朱色の衣を纏った変態な老人を一瞥しながら、賢耀は小さく口を開く。

 「今日も一段と気持ち悪いな。あの狸爺い」

 「賢耀殿下。言葉が過ぎますよ」

 賢耀の一言に、隣にいた宇辰が優しく咎める。

 普段あまり口を効かない青鸞州の皇弟・龍凰《ロンファン》も「見てられない」と、珍しく便乗する。

 「龍凰兄さんもそう思う?まったく、あの狸爺いは四国会を舐めて…」

 「耀《ヤオ》。やめなさい」

 低く透き通った声が賢耀の言葉を遮った。

 声の主はというと、仏頂面のまま目を閉じて、邪念を取り払うように、心を鎮めている。

 賢耀は口を一文字に結んで、正しく座り直す。

 すると、ざわついていた場を締めるかのように「ゴホン」と、太々しい咳払いが、上座から聞こえてくる。

 宋武帝は、辺りが静まり返ったのを見て、先日新安で起きた赤潰疫について話し始めた。

 「赤潰疫が出たということは、閉山にある玄天遊鬼《げんてんゆうき》の封印が解かれたということ。何かそれに関して知っている者はおらぬか?」

 この質問に関して、答える者はいないようだ。

 宋武帝は辺りをゆっくり見回して、続ける。

 「玄天遊鬼は疫鬼であり、最も恐れた厄鬼だ。今後も各地域で赤潰疫を撒き散らす可能性が高い。それに、ここ数日傀儡の数も異常な勢いで増加している。一刻も早く、この者を見つけ出し、滅殺しなければならない!今までの我々のやり方では、恐らくこの厄鬼を倒すことはできないだろう。今後は、四国が一丸となって、管轄地域の隔たりを無くし、情報の共有や助太刀の協力を得たいと宋長安は考える」

 「私も宋長安に賛同するよ」

 顎髭を撫でながら、橙武帝が言う。

 それに続いて鸞氷帝も「私たちも賛同いたします」と話した。

 「いやぁ〜、話は分かるんだがね、役に立たない者の助太刀は要らんのだよ。例えば、そこの青の衣を纏った者たちとかね」

 朱陽帝は、嗅覚だけでなく、人の気持ちを不快にさせるのも得意なようだ。

 賢耀の近くに座っていた龍凰は、眉を引き攣らせ、鼻をフンと鳴らす。

 そんな弟の顔を見ていた鸞氷帝が、微笑みながら口を開いた。

 「朱陽帝のお役に立てていないようで、申し訳ありません。勢力を上げて努力いたしますので、ここは穏便に」

 「勢力ねぇ〜。もう一人、そこにいる剣豪でも居ればいいんだが」

 狸爺いは、凭れる女の髪をくるくると人差し指で絡めながら、永憐を見る。

 朱陽帝にやらしい目を向けられた永憐は、すくっと立ち上がり、年長者が並ぶ上座に向かって、拱手しながら言葉を放った。

 「場所によっては、剣だけでは敵わず、仙術が必要になることもあります。青鸞州の術も大いに役立ち、決して他の国に怠るなどということはありません」

 頬に擦り傷が入るような冷風が、朱陽帝の頬を掠ったのだろう。朱陽帝は苦笑いを浮かべ「はは、それはそれは失敬」と、それ以上青鸞州について話さなくなった。

 それから、話題は玄天遊鬼の話で持ち切りとなり、変幻自在な疫鬼をどう見つけるか、仙術の何が有効なのか、赤潰疫が起きた際、朝廷はどのようにすべきかなど、一炷香ほど議論を交わした。四国は全ての協議に合意し、桃園の義を結んだ。

 議論を終えた後は、さも当然ように狸爺いは下品な遊女を連れて、各国の年長者とは会話を交わすことなく、一目散に帰っていった。護衛の端栄は、尻拭いをするかのように各国の年長者たちに頭を下げ回っている。

 「あの男は可哀想な奴ね。あんな皇帝の尻拭いなんて。ねぇ、元気にしてた?王国師《ワンこくし》」

 煌びやかな袍を靡かせた橙仙南の美しい美女が、手を振りながら、永憐の元に歩いてきた。

 誰が見ても目を奪われてしまう程の美人で、近くにいた者たちの視線を釘付けにする。少年の賢耀はあまりの美しい容貌に、目だけじゃなく心まで奪われてしまったようだ。宇辰は相手が誰か分かっているようで、柔らかい笑みを浮かべて拱手をしている。

 「何だ。新手の変化《ヘンゲ》術か?」

 永憐はその者を冷たくあしらった。

 近くにいた者たちの目線は、一気に冷静沈着な永憐に向く。

 「天藍《テンラン》、あんたって奴は。もうちょっと、何か言うことないの?美しいとか、可愛いとか。美人ちゃんとか。ったく。そんなんだから、いつまでたっても冷酷無情だって言われんのよ〜。ねぇ。今回はどう?いい感じじゃない?ねぇ。ちょっと見てる?」

 「うん」と素っ気なく返す永憐の代わりに、宇辰が言葉を繋いだ。

 「深豊《シェンフォン》将軍。こたびの変化術、大変感服いたしました。素晴らしいです。以前よりも増して、美しくなっていらっしゃいますよ」

 ひらひらと袍を揺らしていた深豊は、ピタッと止まり、宇辰の肩に手を回す。

 「んっもぉ〜、アンタ!よく分かってる!さすがワタシの宇辰。もう、あんな男根も死にかけてるような男の側近なんか辞めて、私の側近にならない?」

 永憐の目尻がピクッと動く。

 宇辰の優しい笑みも若干引き攣る。

 「あら?もしかして…。やだ、もう死んでる?」

 誰もが気まずそうに口を噤んでいるが、永憐の男根については、誰もが気になるようだ。それもそうだ。こんな、美しい男が種無しだなんて誰が疑うだろうか。しばらく沈黙が流れ、永憐は氷を割るように、冷たく言い放った。

 「死んではいない」

 誰もが安堵した表情になった。

 「あははははっ!そりゃ良かった!宋長安はまだ滅びることはなさそうだな!おいおい、ちょっと待てよ〜」

 深豊は、女から元の深豊将軍に戻り、歩き出した永憐の肩に腕を回した。若干、不届き者な一面のある深豊だが、氷瀑のような永憐が、また昔みたいに塞ぎ込んでしまうのではないかと、これでも友人ながらに気にかけているのだ。

 「送るよ、外門まで」

 「うん」

 二人が並んで歩く姿は、なかなかの見ものである。

 過去には、剣門山《けんもんざん》の美男子『青藍《チンラン》』と呼ばれ、人気を博していた。

 深豊は、壁越しにこちらを覗いている女子たちに気付き、「やぁ」と言って手を振る。

 すると『キャー!』と黄色い声援が、門の境内に響き渡った。

 「相変わらずだな」

 「お前がいるからだよ」

 深豊は永憐の胸元を軽く叩く。

 永憐は黄色い声援には答えず、一行はそのまま門を潜った。

 「んじゃ、またな。天藍」

 「うん、また」

 深豊に見送られた永憐たちは、|縮地印《しゅくちいん》を結び、宋武帝とは別でそれぞれの馬に乗って、橙仙南を後にした。

 無事、一行は宋長安に辿り着き、それぞれが持ち場に帰っていく。永憐と宇辰は賢耀を宮殿まで送るため、解放された大きな通りを三人で歩いた。

 しばらくすると賢耀が、深豊について永憐に尋ねる。

 「永憐兄様、深豊将軍とはどんな関係なの?」

 「青狐《チンフー》とは、剣門山からの竹馬《ちくば》の友だ」

 「ってことは、深豊将軍の剣術も凄いの?」

 「まぁ。なかなかの腕前だ」

 深豊の剣術は、永憐も認めるほど才を成している。

 永憐は昔のことを思い出したかのように、天を仰いだ。

 「いいなぁ〜。僕もそういう友がいたらいいのに」

 賢耀の、寂しさを滲ませた黒い瞳が揺れている。

 永憐は察したように、言葉を発した。

 「耀には私たちがいる」

 「……」

 「そうですよ。私たちがちゃんといますよ

 「……」

 賢耀からの返事がない。

 何か考え込んでいるのだろうか。

 永憐が、尋ねるように賢耀の名を呼ぶ。

 「…耀?」

 「……」

 すると、今の今まで元気だった賢耀が突然、勢いよく口から泡を吹き出し、自分たちの目の前で倒れ込んだ!

 

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