LOGIN朝方に眠ると、蘭瑛《ランイン》はいつも同じ夢を見る。
この切り取られた夢は、蘭瑛の奥底に眠る悲しみを、容赦なく抉り出す…。 ・ ・ ・ 「蘭瑛、早く来なさい。その子も連れていくの?」 「うん。だって友達だもん!どんな時も一緒にいなきゃ」 蘭瑛の母・瑛珠《インジュ》と、白いウサギを抱えた8歳の蘭瑛は、六華鳳宗《ろっかほうしゅう》の弟子たちの誘導を受けながら、華山の奥へと逃げる。 「どうして、こんな事になっているの…」 「宋長安《そんちょうあん》の朝廷から宗主を打首にすると…」 「どうしてよ…。主人が何をしたっていうのよ…」 弟子の言葉に瑛珠は泣き崩れ、蘭瑛は震えているウサギを抱えながら、母の慟哭な姿を眺めていた。 「父上はどうなっちゃうの?」 「大丈夫ですよ。小蘭《シャオラン》様。何があっても、御父上は必ず私たちを守ってくださいます」 弟子たちに小蘭と呼ばれていた蘭瑛は、その言葉に、勇気づけられたが、状況は一変する。 蘭瑛の父・鳳鳴《ホウメイ》と遠志《エンシ》、双子の弟・法志《ホウシ》が駆けつけたが、宋長安の修仙者たちが、カチャンカチャンと凍てつくような冷たい鍔音を立て、続々と背後から迫ってきているのが分かった。 蘭瑛は、その物々しい空気に怖気付いてしまい、瑛珠と一緒に大きな岩の後ろに隠れ、うさぎの体に顔を埋めた。 ついに、追い詰められた六華鳳宗の全員は逃げ場を失い、宋長安の者たちと対峙する。 もう終わりだと皆が思った刹那、鳳鳴が皆の前に出た。 「玄天遊鬼の責任は六華鳳凰の末裔として私が担う。しかし、ここにいる者たちの命だけは取らないでいただきたい」 鳳鳴は跪き、頭を下げた。 その瞬間、鳳鳴の首を目掛けて一本の剣光が一閃する。 鳳鳴を庇うかのように、瑛珠は蘭瑛を残して岩から飛び出し、一閃の中に飛び込んだ。 「父上!母上!」 ・ ・ ・ 蘭瑛は自分の声でハッと目を覚ました。 激しい鼓動を抑えるように胸に手を当て、ゆっくりと呼吸を整える。 しばらく落ち着くまで、蘭瑛は無機質な天井を、ただただぼんやりと眺めた。 15年前の春。玄天遊鬼《げんてんゆうき》は封印されていたものの、その年の冬は玄天遊鬼の傀儡《かいらい》が多く出没し、多くの命が犠牲となった。 その為、当時宋長安《そんちょうあん》の皇帝だった宋長帝《そんちょうてい》が、玄天遊鬼が元六華鳳凰の弟子だったことを理由に、玄天遊鬼にまつわる所業の責任を六華鳳宗の宗主だった蘭瑛の父・鳳鳴に、全て擦りつけたのだ。 「不当な誅殺だ…」 蘭瑛はむくっと起き上がり、涙の玉を潰すかのように目尻を押さえた。 思い出すだけでも、胸が苦しくなり、それと同時に憎しみや殺意も芽生えてくる。いつか必ず、この手で両親の仇をうってやろうと心に決めているが、誰があの一閃を打ち出したのかは未だに分からない。ただあの時、血まみれになった両親を、雪片のような冷たい視線で見つめていた者が居たことだけは、今も忘れられないでいる。 すると、現実に引き戻すかのように、双子の弟子・鈴麗《リンリー》と鈴玉《リンユー》が声を掛けてきた。 「蘭瑛姉様、起きていらっしゃいますか?遠志宗主がお呼びです。至急、客室に来るようにと」 「うん。分かった。着替えたらすぐに行く」 蘭瑛は新しい衣に着替え、髪を一つに結いながら、客室へ向かった。 扉を開け、そっと中に入ると馴染みの声が聞こえてくる。 薬の行商人・暁明《シャオミン》だ。 しかし、普段とは違う重苦しい雰囲気を肌で感じ、蘭瑛は何事かと尋ねた。 「すみません、お待たせしました。何かあったのですか?」 「あぁ〜、蘭瑛先生!こんにちは。先程も、宗主にお伝えしたのですが…。隣の新安《しんあん》で、赤潰疫が出たと報告を受けまして、こちらに」 蘭瑛は驚愕した。 噂程度だと思っていた赤潰疫が、まさか隣町の新安にまで来ているとは、露ほども思っていなかったからだ。 遠志が立ち上がり、口を開く。 「蘭瑛。私たちもすぐに新安へ向かおう」 「分かりました。すぐに準備してきます」 蘭瑛は自室に戻り、六角形の結晶が刺繍された六華鳳宗の衣を羽織る。 そして、昨日作った赤沈薬《せきちんやく》を胸元に忍ばせ、遠志たちと新安へ向かった。 華山と宋長安との間にあるこの新安は、行商人が多く行き交い、宿屋などが多い。江湖郎中《こうころうちゅう》と呼ばれる『安くて早くて便利』が売りの流医が多いことでも知られている。しかし、今回の赤潰疫は、三大名家の法術の薬でしか効果がない為、暁明《シャオミン》曰く、江湖郎中たちはなす術がなく、困っているんだとか。 暁明は、とある寺院に蘭瑛たちを案内した。 話を聞いていると、どうやら遠志と馴染みがある寺らしい。 何歩か進むと、手入れの行き届いた大きな寺院に到着する。 蘭瑛は、直感的に嫌な予感がした…。 恐る恐る本堂に入ると、やはり、見るに耐えない惨状が目に飛び込んできた。 顔や手足の皮膚が赤くただれ、熱を浴びるような痛みで、泣き叫ぶ子供たち。中には、意識がなく瀕死状態な子どもが何人も横たわっていたり、顔に布を被せられている子どもが隅の方に置かれていたりした。子どもを抱える母親の腕にも赤潰疫が表出し、苦痛の表情を訴えている。 蘭瑛は赤潰疫のあまりの恐ろしさに、眼球が揺れるほど絶句してしまった。 だが、遠志はどんな時も泰然自若《たいぜんじじゃく》だ。 言葉が出ないほど呆然としていた蘭瑛の肩を軽く叩き、これから何をするか指示を出した。 「蘭瑛。落ち着きなさい。まずは赤沈薬を塗って、その後に寛解《かんかい》の術を。私はその後ろから、癒合《ゆごう》の術を施していこう。布を被っている子には、黄泉の国へ行けるよう、六華導《ろっかどう》を施してあげよう。暁明と尊師殿も手伝いを頼めるかい?」 「もちろんです」 「はい宗主。私もお手伝いいたしましょう」 暁明は赤沈薬が入った大きな瓶を持ち、蘭瑛と遠志は塗擦と法術を、寺院の住職は布を巻くという作業を始める。触れてしまうと感染してしまう為、直接触れないように一人ずつ丁寧に手当をしていく。特殊な赤沈薬の効果はすぐに発揮し、子供たちの泣き声が少しずつ止んでいった。 人数があと少しとなった頃、宋長安の朝廷に支えているという、目鼻立ちの整った二人の男が寺院を訪ねてきた。 住職と遠志は手を止め、その者たちの元へ向かう。 「宋長安の永憐《ヨンリェン》と申します。こちらは、私の遣いである宇辰《ウーチェン》。お忙しい中恐れ入りますが、どのような状況かお聞かせ願いたい」 二人は両手を前に出し、丁寧に拱手した。 どうやら、宋長安の朝廷から赤潰疫の報告を受け、薬師の住職がいる寺院があると聞き、ここを訪ねたいう。 目立たない衣といえども、庶民とは違う身分であることは明白だ。 面長で、切れ長な目に、澄んだ瞳。 低く、安心感のある声音。 背丈も八尺(約184㎝)ぐらいあるだろうか。 まさに、容貌矜厳《ようぼうきんげん》と言われる修仙者だ。 住職と遠志が、その二人と赤潰疫の経緯などを話している奥で、蘭瑛はその間も塗擦を続けた。 すると、隣にいた暁明がコソコソ話すように、小さく口を開く。 「蘭瑛先生、あの方をご存知ですか?」 蘭瑛は首を振り、赤沈薬を塗り続ける。 「知らないんですか。めちゃくちゃ有名な、宋長安の国師、永豪君《よんごうくん》ですよ。とても偉い方なので、なかなかお目にかかれないんですけど、いやぁ〜、お噂通りの秀麗さですね。でも、冷酷無情でも知られていて、とても怖い方なんだとか。全く笑わないって噂ですよ」 (さすが、流医一の情報屋だ) 蘭瑛は適当に相槌をうち、永憐の姿をチラリと見た。 確かに愛想は皆無に等しく、玉のような肌をしただけの人形のようだ。 暁明はまだ続ける。 「それでも、あの方の妻になりたいと願う女子《おなご》が後を絶たず、毎日縁談の木簡や書簡が届くんだとか」 蘭瑛は思わず小さく鼻で笑ってしまう。 (毎日って?そんな男のどこがいいんだか。いくら顔が良くても、笑わない男と結婚したってつまんないじゃん。まぁ、宋長安の男と結婚なんて、私は御免だけど…) 蘭瑛はそんな事を思いながら、淡々と赤沈薬を塗り続けた。 そうしていると、突然、床を蹴る音が聞こえてくる。 音の鳴る方に目をやると、永憐たちの側にいた童子が、余りの痛さに暴れ回り、気を取り乱しながら永憐の足元に飛びかかったのだ! 永憐は避けることができず、飛び出してきた童子を抑えるように、童子の手に触れてしまった。 それを見ていた蘭瑛は、咄嗟に「離れて!」と叫ぶ。 目の前いた遠志が、慌てて童子を引き寄せ、こちらに赤沈薬を持って来るよう、蘭瑛を呼び寄せた。 蘭瑛は、鳥のような速さで永憐の元へ走っていき、永憐の手を瞬時に掴んで、自作の赤沈薬を塗る。 「あなた様も赤潰疫になってしまいますから、念の為、塗っておきます」 永憐はあまりの突然のことに動揺していたが、手を引っ込めようにも引っ込められず、蘭瑛にされるがまま手を預けるしかなかった。 「しばらく濡らさず、そのままにしておいてください。もし、感染しても直ぐに治りますから」 蘭瑛は素っ気なく伝え、永憐の硬った手を離す。 永憐は腕を戻し、小さく「すまない」と伝えた。 何事もなかったかのように、蘭瑛は最後の患者の元へ行き、また赤沈薬を塗り始める。永憐たちは、遠志と住職と二言三言話したあと、風が抜けるように去っていった。 しばらくして、一通り手当を終えた蘭瑛たちも、寺院を後にする。暁明とも別れ、蘭瑛と遠志は六華鳳宗がある華山の方向に向かって歩き始めた。 すると、遠志が突然立ち止まり、蘭瑛の名を呼んだ。 「ん?叔父上、どうしました?」 蘭瑛は顔を前に出し、尋ねるような眼差しを向ける。 遠志は顔を穏やかにして蘭瑛に微笑みかけた。 「今日は露店の串焼きでも食べようか?」 「ふぇ?どうしたのですか?急に」 蘭瑛は目を丸くして驚く。遠志は更に微笑む。 「今日は疲れただろう。好きな物を食べたらいい」 遠志は、今日の惨事を見て、心を痛めてしまった蘭瑛を、少しばかり気遣っているのだろう。 しかし、目の前にいる蘭瑛はというと、そんな感情は1ミリも感じていないように、目を輝かせてはしゃいでいる。 「え〜叔父上〜、何食べます?私は、串焼きに、抄手《チャオショウ》、餡入りの包子《パオズ》に、羊肉串《ヤンロウチュアン》。あ、餡餅《シャーピン》も食べないと!」 「そ、そんなに食べるのかい?」 遠志の顔が、段々と引き攣っていくが、蘭瑛はまだ食べ物の名前を続けようとする。 遠志は「うんうん」と蘭瑛の話に耳を傾けながら、二人は実の親子のように仲睦まじく、賑わっている宿屋の方面へと向かっていった。ひと月の喪に伏せた後、永憐は宋武帝の遺言通り世間に皇弟であることを公表し、|永豪帝《ヨンゴウテイ》として宋長安の後継者となった。 |賢耀《シェンヤオ》は少しずつ心を取り戻し、永憐と一緒に政への参加に勤しんだ。 橙仙南の後宮が滅んだ後も橙南の町はそのまま残し、宋長安の配下の元、風宇は深豊の側近として仕えることになった。 宋長安と橙仙南と青鸞州の三国を統合し、長安州という国に生まれ変わらせると、永憐は名医三家に俸禄をし、医術の繁栄にも力を注いだ。 その影響なのか、|秀沁《シウチン》は潔く蘭瑛から身を引き、永憐に対して無礼を働くことはなくなった。 更に永憐はその他にも貧富の差を埋める為、出自に関わらず様々な人材を確保し、様々な自国の農産物を各国に流出するなど、全ての民の仕事と生活を安定させた。 蘭瑛はというと本格的な悪阻が始まり、梅林の監視の元藍殿で休んでいた。「蘭瑛、具合はどう? 檸檬持ってきたけど食べる?」「食べますぅ、……うぅ」「あらあら……」 梅林は吐き戻している蘭瑛の背中を摩り、孫が見れるなら何でもすると、嫌な顔一つせず献身的に支えた。「こればっかりはね、仕方ないのよね〜蘭瑛」「すみません……。双子だからかな、悪阻も二倍なのは……」 蘭瑛は双子を懐妊した。 出産は初夏頃を予定しているが、蘭瑛のお腹はもうぽっこり出ている。悪阻は辛いが、お腹を触る度二つの命が宿っていると思うと、この上ない愛おしさを感じる。具合の良い時は梅林と散歩をしたり、具合の悪い時は水飴をひたすら舐め続けるなどして、この神秘的な瞬間を噛み締めるように日々を過ごした。 悪阻が落ち着き始めた春。 蘭瑛は永憐を連れて六華鳳宗を訪ねていた。 鳳凰が植えたとされる、百本の桜並木が今年も見頃を迎えており、どうしても永憐に見せたかったからだ。「綺麗でしょ、永憐様」「あぁ。凄い綺麗だ」 蘭瑛は足を止め、桜の木を見上げる。 昨年は一人でここに立っていたのに、今年は最愛の人とここに立っている。来年は二人増えて四人でここを訪れるだろう。 人生は本当に何が起こるか分からない。 だからこそ、良いことも悪いことも巡り巡って、各々の人生を彩っていくのかもしれない。 蘭瑛は隣にいる永憐の顔を見上げる。 例え過ちがあったとしてもそれを上回る愛と赦しがあれば、罪は少しずつ消えて
蘭瑛は蒼穹を垂らした永冠を光らせ、玄天遊鬼の元へ歩いて行く。玄天遊鬼は、蘭瑛の姿を捉えると何故か一歩後ずさった。 「お、お前は一体誰だ?」 「あなたが一番心から信頼していた六華鳳凰の末裔、|華蘭瑛《ホアランイン》だ」 どうやら蘭瑛の姿が六華鳳凰の姿に似ていると思ったのだろう。玄天遊鬼は慌てた様子で足元に落ちていた剣を足で蹴り上げ、剣を構えた。蘭瑛は構わず続ける。 「玄天遊鬼……。いや、本名は|天佑《テンヨウ》。娘の名前は|花舞《ファウー》。いつまで恨み続ける気ですか? 仕方ない出来事だったはずなのに」「黙れ!! 鳳凰は、私の娘を見捨てたんだ!! 別の子どもたちは皆、赤疫から助かったのに鳳凰は花舞だけ何もしなかった」「違う! あなたの力を信じていたからよ。あなたなら助けられると思ったから」 当時、玄天遊鬼は優秀な医家として六華鳳宗に所属し、六華鳳凰の弟子として働きながら、幼い娘を男手一つで育てていた。 そんなある日、当時は赤疫と呼ばれた今の赤潰疫のような流行病が蔓延し、幼い子どもたちの尊い命が奪われていく事件が勃発した。 鳳凰たちは、手当てをしに各地を巡回していたが、その最中に玄天遊鬼の一人娘・花舞もこの病に感染してしまう。 重症だった花舞を玄天遊鬼が必死に看病するも、一向に回復の兆しが見えず、玄天遊鬼は藁にもすがる思いで鳳凰に六華術の触診を願い出た。しかし、鳳凰は弟子の子どもを優先する訳にはいかず、玄天遊鬼の実力を熟知していたこともあり、あと三日待って欲しいと伝えた。だが、花舞の容体は見る見るうちに急変し、鳳凰が尋ねた時には息を引き取っていた。その事が引き金となり、玄天遊鬼は六華鳳宗を離反し、私怨を抱いたまま赤潰疫をばら撒く鬼と化した。「鳳凰先生の手記には、あなたに対する罪悪感と、自責の念が書かれていた。あなたに絶大な信頼を置いていたことも」「黙れ! 黙れ! 黙れ! 何が信頼だ! 何事も尽力してきた弟子の願いすら、あの男は聞き入れなかった。あの男が娘を殺したんだ!!」 玄天遊鬼は苛立つ気持ちを抑えられないまま、蘭瑛に向かって術滅印を放った。 しかし、蘭瑛は正還法を放出している為、何の被害も被らない。「くそっ! この六華鳳宗め!」 玄天遊鬼は「くたばれ!」と罵り、剣先を向けて蘭瑛に飛びかかった。 すると蘭瑛は掌から眩惑法
「やはり、お前だったか」 「口の利き方には気をつけろ、若僧が」 化けの皮が剥けた|玄天遊鬼《ゲンテンユウキ》は、更に邪悪な雰囲気を纏い始める。空は淀み、周辺が急に薄暗くなった。 永憐が睨みを効かし、口火を切る。「ずっと、端栄に化けて行動していたのか?」 「そうだ。|端栄《タンロン》という男が、その剣を持っていた男の封印を解き、私の所へ来た。統治を乱す者を全員消して欲しいと。だから四国の古い長たちを全員殺した。お前の存在を探る為、姿を変えて宋長安にも何度か行ったんだが、誰かを殺したくて躍起になっている妃達の姿が滑稽だったよ」 「|天京《テンキョウ》と名乗っていたのもお前か?」「天京? あぁ〜。そんなような名前を名乗ってたな。もう忘れちまったが。さぁ、戯言はここまでだ。準備はいいか?」 玄天遊鬼は汚い歯を見せながら、剣先を永憐に向けて永憐に飛び掛かった。永憐も十分に溜め込んだ剣気を放出するかの如く、果敢に攻める。二つの剣先が交わると、端栄の時とは違う光芒が轟音と共に鳴り響いた。 目が眩む程の激しい交戦が続き、誰もが息を呑んでいると、光芒が突如止む。「さすが剣豪の息子だ。しっかり血は通っているのだな」「当たり前だ」 永憐と距離を取った玄天遊鬼は、永憐の周りを囲うように黒い靄を放った。 「しばし、夢を見るがいい」 永憐は靄の隙間から見えた霞んだ玄天遊鬼の目を睨みつけながら、靄に呑み込まれていった。 ここは誰かの夢か? 永憐の目の前が暗闇から明けていくと、祝言を終えたあとに住む予定だった家の前で、一人の女が立っているのが目に入った。「|永郎《ヨンロウ》? 、お帰りなさい」「|美雨《メイユイ》……」 記憶に残っている美雨の姿がそのまま反映されているようだ。 美雨が永憐の手を取り、家の奥へ連れて行こうとする。「永郎、早く中に入ろうよ。ずっと待ってたんだから」「……」「ねぇ、どうしたの? 何でこっちに来てくれないの? 家の中に入ったら、ずっと一緒にいられるよ」「……中へは入れない」 永憐の言葉を聞いた美雨は永憐の手を離し、無の表情を見せた。「私をまた一人にさせるの? この家で私はずっとあなたの帰りを待ってるのに、あなたはどうして帰ってこないの? どうして、ねぇ、どうしてなの?!」「……美雨。お前はもう死んでいる。そ
永冠は剣光を放ち、|端栄《タンロン》の剣とぶつかる! キンキンと剣先が擦れ、激しい光芒が交わると他の者たちも一斉に食ってかかった。 |永憐《ヨンリェン》は端栄の動きを瞬時に把握し、袍を靡かせ絶妙な足運びで攻撃を躱す。 さすが、帝の側近同士である。 互いに一歩も譲歩しないといった様子だ。「|王《ワン》国師は更に腕を上げられましたね。昔の手合わせとは全然違う」「私もそう感じる。まるで別人だ」 永憐は剣先を打つように離し、端栄から一旦距離を置く。 すると端栄の隙を狙ったのか、突然横から|龍凰《ロンファン》が端栄の足元に氷術を打った。 端栄の足元が瞬く間に凍り、端栄は身動きが取れなくなったのだが、持っていた剣に灼熱の火を放出すると足元の氷に突き刺した。「こんなもので私を捕まえられると思うな」 端栄はそう言いながら、突然姿を消した。 永憐は永冠を構えながら探知術で気配を探知するが、妙な術を放出しているのか上手く把握できない。 すると、永憐の側近である|宇辰《ウーチェン》が僅かな動きを把握して叫んだ!「龍凰皇弟! 危ない!」 姿を現した端栄の剣を庇うかのように、宇辰は龍凰の正面に飛び込む。 行動は吉とはならず、端栄の剣は宇辰の腹を通過し、宇辰は口から大量の血を吐いた。「宇辰!!」 永憐は憤慨しながら端栄に襲い掛かり、端栄の頭を永冠の柄で叩き打った。脳震盪を起こした端栄はその場に崩れ落ち、目を白目にして口から泡を吹き出した。永憐はすぐに宇辰の元に駆け寄り、腹の傷を抑える。倒れ込んだ龍凰もすぐに起き上がり、眉を下げながら駆け寄った。「大丈夫か宇辰!! おい!! しっかりするんだ!!」「宇辰殿、申し訳ない……」「お二人とも……。私のことは……、どうぞ……、お構いなく……」 息を切らしながら宇辰はいつものように微笑んだ。「ほっとけないだろう! 術で出血を止められるか?」 永憐は意識が朦朧とし始めている宇辰を揺さぶりながら、必死に呼び掛けた。 すると、二度と聞くことのないはずの女の声が背後から聞こえてくる。まるで救世主が現れたかのように。「ここは私たちが何とかするので、永憐様は早く敵のところへ」 永憐が声のする方へ振り向くと、蘭瑛と遠志が毅然と立っていた。遠志が目尻に皺を寄せて小さく頷き、永憐の安堵を誘う。「どうしてここに
空には分厚い雪雲が連なり、細雪が降り注ぐ。 |宋武帝《そんぶてい》を筆頭に|永憐《ヨンリェン》たちは物々しい朱源陽に到着した。 到着するのを見計らっていたかのように、門の前では早々に|橙剛俊《トウガンジュン》率いる元橙仙南の者たちが、意識を一瞬で失くさせる|風煙死《ふうえんし》を仕掛けてくる。「おい! この野郎! つい最近まで一緒にやってたっつーのに誰に向けて飛ばしてやがる! 殺すぞ!」 開口一番に怒号を飛ばしたのは|深豊《シェンフォン》だった。深豊に勝てない元橙仙南の者たちは一斉に逃げようとするが、深豊は一人残らず斬っていった。「俺と一緒に来てりゃ、こんな事にならなかったのにな」 深豊はそう言いながら剣を一振りし、垂れ落ちてくる血を払った。隣にいた永憐は探知術を使い、この広大な朱源陽の敷地内にいるであろう|朱陽帝《しゅうようてい》の位置を特定する。「宋武帝! あちらです」 永憐がそう言うと宋武帝が先頭に立ち、一行はまた煙を巻いて馬を走らせた。 すると、前方の上空から先の尖った何かが猛烈な光を放って大量に飛んでくる。 それが何なのか、真っ先に気づいた深豊が後ろから叫んだ!「橙仙南の攻撃の一種、砂鉄風だ! 先が尖っている! 当たれば出血、目に入れば失明だ! 皆、気をつけろ! ったく、禁じ手である砂鉄風を使いやがって! このクソ野郎ども!」 深豊の怒号を聞いた一行は、馬の手綱を引き一旦止まる。 永憐が守護術を上空全体を覆うとしたが間に合わず、宋武帝が代わりに雷術の電光石火を放ち、砂鉄風を全て吸い上げ轟音と共に跡形もなく砕いた。「さすが、宋武帝!」「ありがとうございます」「礼には及ばぬ」 永憐以外、宋武帝の真の威力を見たのは初めてだった。 さすが、雷術の本尊と呼ばれた長である。 後ろでその様子を体感した|賢耀《シェンヤオ》は、自分の父の威力と偉大さに感銘を受けた。「何をぼーっとしている! 先へ急ぐぞ!」 一行はまた更に先へ進み、ありとあらゆる攻撃を躱しながら、ようやく朱陽帝の本殿の前に到着した。 そこには獰猛な雰囲気を纏った強靭な男たちがずらりと立っており、視線を上に向けた上座には|朱陽帝《しゅうびてい》こと|温朱《オンシュウ》と、橙仙南の裏切り者|橙剛俊《トウガンジュン》が悠然と立っていた。 隣には護衛の|端栄《タンロン
それは剣門山の山に差し掛かったところで起きた。 前方から二人の高身長な男女が歩いてくるのが見え、蘭瑛は目を見開き思わず立ち止まった。 目に飛び込んできたのは、今蘭瑛が一番見たくない|永憐《ヨンリェン》と|儷杏《リーシー》の姿だった。見てはいけないものを見てしまったかのように、沸き立つ恐怖のような動悸が蘭瑛を襲う。 永憐も前から来る蘭瑛の姿を捉えたのか、その場で立ち止まり、茫然とする。見つめ合う二人の間には氷瀑が幾重にも連なり、決してそちらにはいけまいと言わんばかりの雨氷が吹き荒れているようだ。 茫然と突っ立っている永憐に気づいた秀沁は、憐れむような目を向けて拱手した。 「これは、これは、|王《ワン》国師殿。こんな所でまたお目にかかれるとは。仙女をお連れになるなんて、珍しいですね」 永憐は目を逸らすだけで何も言わない。 代わりに儷杏が答える。 「あら、どなたかと思ったら蘭瑛先生じゃないですか。宋長安では、|私の《・・》永憐がお世話になりました。お二人はどういうご関係なのですか? 随分と仲睦まじく見えますけど。もしかして祝言を控えてらっしゃるとか?」 「ははっ。そのようなご報告ができるといいのですが」 蘭瑛は自慢げに話す秀沁を一瞥した。 永憐は氷のような冷えた目で秀沁を見たあと、「お幸せに。では」と言って消え去るように歩いていった。 (「お幸せに。では」) 否定すれば、こんな一方的に突き放されるような言葉を言われずに済んだだろうか。やっと生傷が塞ぎかけてきたというのに、またその生傷に尖った刃を入れられたみたいだ。 蘭瑛は俯き、目を瞑って「待って〜」と言う儷杏が永憐を追いかける声を受け止めた。 「蘭瑛、ほらな。あいつは……」 「何で勝手なことを言うのよ!! 私がいつ、秀沁兄さんと結婚するって言った?! 勝手にべらべらと私の気も知らずに!! いい加減にしてよ!!」 蘭瑛は涙目になって秀沁に捲し立てた。 「……ごめん。でも、そうでもしないと俺だって……」 「俺だって何よ?!」 「……もたないよ」 蘭瑛の頬に一粒の大きな涙が伝う。 嗚咽が込み上げ、濡れた頬を手で拭いながら「帰る」と言った。秀沁は慌てて蘭瑛の腕を掴んで止める。 「一人でどうやって帰るんだよ?」 「離して! 私はどうにで







