若子は小さくため息をついた。 「西也、心配しないで。修とふたりきりで会うなんて、絶対にないわ。あの人のそばにはもう山田さんがいるんだもの。私たちがこれ以上関わる理由なんて、どこにもないわ。安心して帰国して」 西也はじっと若子を見つめ、静かに言った。 「若子、約束してくれ。もう二度とあいつを信じたりしないって......俺、本当に怖いんだ。お前が傷つけられるんじゃないかって」 若子は力強くうなずいた。 「分かってる。もう、すべて見えてるから。大丈夫よ。あなたはあなたのことに集中して」 西也は最後に、彼女をしっかりと抱きしめた。 別れの抱擁だった。 まもなく、飛行機の時間が迫っていた。 西也は子どもを腕に抱え、そのまま搭乗口へと向かった。 若子は、彼らの姿が見えなくなるまでじっと見送った。 堪えきれず、ぽろぽろと涙が溢れた。 ―本当は、一緒に帰りたかった。 でも、ここには怪我をしている千景がいる。自分にはまだ、終わっていない学業もある。 だから、心を鬼にして、あと数ヶ月だけ、アメリカに留まるしかなかった。 若子はぼんやりとした足取りで病院へ戻った。 千景は彼女が戻ってきたのを見つけると、ふわりと優しい笑みを向けた。 「おかえり」 「うん......さっき、西也と暁を見送ってきたの」 若子は力なく答えた。 「すごくつらそうだね。どうして一緒に帰らなかったんだ?......俺がいるから?」 千景の言葉に、若子は首を横に振った。 「それだけじゃないの。まだ学業が終わってないし、ここで諦めたら、また最初からやり直しになっちゃう。せっかく掴んだチャンスだもの......このまま頑張りたい。でも......子どもには、本当に申し訳ないことをしてる。産んだだけで、ろくに面倒も見てあげられなかった......」 若子はうつむいた。 千景はそっと言葉をかけた。 「若子、自分を責めるな。君の選択は間違ってない。子どもを産んだからって、自分を捨てる必要はない。向こうには西也がいる。子どもは大丈夫だ。心配するな」 そう優しく励まされて、若子の心は少しだけ楽になった。 「ありがとう、冴島さん......そしてもう一度、西也に代わって謝るね」 千景はぽつりと言った。 「もう過ぎたこと
西也は、千景を見つめながら、どこか申し訳なさそうな顔をしていた。 その視線には、深い後悔の色が滲んでいる。 千景は淡々と言った。 「気にするな。若子を守る気持ちがあるなら、それで十分だ」 西也は目を細め、瞳の奥に鋭い光を浮かべた。 ―なんだよ、若子を守る気持ちがあればそれでいい、って。 そんなの、当然だろ。 それに、なんでヴィンセントにそんなこと言われなきゃなんねえんだ?若子は俺の妻だ。ヴィンセントには関係ない。 偉そうに説教してんじゃねえよ―そう思ったが、西也は顔には何も出さず、ただにっこりと笑った。 「じゃあ、ゆっくり休めよ。俺は先に行く」 一瞬だけぎらりと光った西也の眼差しを、千景はしっかり捉えた。 だが、それを顔に出すことはなかった。 ...... 若子は西也と一緒に自宅へ戻った。 子どもは、まだ家にいた。 若子は、別れを惜しむようにぎゅっと抱きしめた。 空港へ向かう車の中でも、若子はずっと子どもを抱きしめたままだった。 胸が苦しくてたまらない。 「ごめんね......ママ、ちゃんとそばにいてあげられなくて。それに、また離れなきゃいけない。でも、大丈夫。アメリカでの用事が終わったら、すぐに帰るから」 「ごめんね、許してね。ママ、今すごく忙しくて......ごめんね」 若子は子どもの小さな顔に、何度も何度もキスをした。 「ごめんね......」 時間はあっという間に過ぎ、空港に着いたとき、若子はとうとう涙をこぼした。 「西也......やっぱり暁を置いていかないで。連れて帰ろうよ」 「若子、感情に流されるな」 西也はそっと彼女の頭を撫でた。 「子どもをここに置いていくのは、お前に時間がないからだ。無理して連れて帰ったって、子どもにとって良くない。それに、俺を信用できないのか?」 「西也......信じてる、信じてるよ。私......ただ、子どもと離れるのがつらくて......この何ヶ月、まともに面倒も見られなかった。ほんとに、情けない......」 「お前のせいじゃないよ。ちゃんとこの子を産んでくれただけでも、十分すごいんだ」 西也は優しくそう言った。 「もし本当に子どもと離れたくないなら......一緒に帰国しよう。ヴィンセントのことは、こ
「違うんだ、若子......会社でトラブルがあって、かなり急ぎなんだ。俺、すぐに国に戻らなきゃならない」 「そうなの?どんなトラブル?」 「一部の株主たちが騒ぎ出してるらしくてさ......詳しいことは戻ってみないと分からないけど。 お父さんからもすぐに帰ってこいって連絡があった。たぶん、俺がこの間事件に巻き込まれたせいで、継承問題に不安を感じた連中が、権力を奪おうとして動き出したんだと思う」 若子は眉をひそめ、顔つきを引き締めた。 「......西也、それじゃあ絶対に戻らなきゃいけないのね。いつ出発するの?」 「今すぐだ」 「えっ、今すぐ?そんなに急いで?」 西也は静かにうなずいた。 「ああ。もう飛行機の準備はできてる。すぐにでも飛ばないと」 彼はそこで一呼吸置いて、まっすぐ若子を見つめた。 「若子、お前も一緒に帰るか?」 若子は少し考えてから、かすかに首を振った。 「西也、私は一緒には帰れない。まだ冴島さんの世話をしなきゃいけないし......学業も途中なの」 西也は小さくため息をついた。 「......だよな。お前なら、そう言うと思った。でも、俺は行かなきゃ」 若子はしっかりと西也を見上げて言った。 「大丈夫よ、西也。安心して戻って。私、ここでちゃんとやっていくから」 「......暁は?暁も一緒に連れて帰ろうか?」 「暁は......ここに残して。私が面倒見る」 「お前が?」 西也はちょっと困ったような顔をした。 「......それは無理だろ。お前は冴島の看病もあるし、大学にも行かなきゃならない。子どもまで一緒に世話するのは、さすがに大変すぎる。家なら、ちゃんと面倒見てくれる人もたくさんいるしさ。 若子......気持ちは分かるよ。でも、『寂しいから』とか『離れたくない』って理由で無理をして、結局子どもを放っておくことになったら......それこそ本末転倒だ」 「でも......」 若子は言葉に詰まった。 本当は、子どもと離れるのが辛かった。 けれど、今は―考えなきゃいけない。 子どもにとって、一番いい選択を。 「西也......それじゃあ、またアメリカに戻るつもりはないの?治療だってまだ終わってないでしょう?」 若子が不安そうに問いかける
「......ありがとう。俺を見捨てないでいてくれて。ずっと、信じて守ってくれて......そして、神様に祈ってくれて、ありがとう」 彼はひどくやつれた顔をしていた。 まるで、果てしない苦しみを乗り越えてきたかのように。 それでもなお、彼の持つ凛とした美しさは失われていなかった。 憔悴のせいで目元に陰りはあったけど、瞳の奥には確かな意志が宿っていた。 深く暗いその瞳は、まるで底知れない謎を秘めた世界のようだった。 若子は、ほんの一瞬きょとんとした。 「......どうして、私が神様に祈ったって知ってるの?」 「勘だよ」 彼はふっと口元をほころばせた。 その笑顔は、儚くも優しかった。 若子も、そっと微笑み返した。 ―まあ、確かに。そんなの、分かる人にはすぐ分かるかもしれない。 「でも......どんなことがあっても、君がこうして目を覚ましてくれて本当によかった。本当に、ごめんなさい。修も西也も、あなたを傷つけたこと、彼らだって知らなかったの。ただ、私のことを心配しすぎて......二人に代わって謝るわ。それから、安心して。治療費も、これからの補償や看護も、全部私が責任を持つから。あなたは何も心配しないで」 「二人とも、相当君のこと心配してたみたいだな」 「ええ......二人とも、本当に私のことを心配してくれてた。でも、今は色々こんがらがってしまって......本当にごめんなさい」 若子が深く頭を下げると、千景は首を振った。 「謝る必要なんてないよ。誰かに守られてる君を見て、俺は安心した......マツには、俺しかいなかったからな。俺が倒れたら、もう誰も彼女を守れなかった」 その名前を口にした途端、千景の瞳にはまた悲しみが色濃くにじんだ。 その悲しみは、どんなに時が経とうとも、きっと消えることはないだろう。 若子はそっと言葉をかけた。 「マツは、今はもう悲しみも苦しみもない場所にいるわ。きっと、天国に行けたと思う。 それに、あなたが無事だったのはきっとマツが守ってくれたから。彼女はあなたに、悲しんでほしくない。幸せに、生きてほしいって、絶対に思ってる」 「......もし、俺が一生、幸せになれなかったら?」 千景は悲しげに言った。 「ずっと、痛みと絶望の中にいたら...
「修、検査の結果がどうであっても―もう、胃を無理させちゃだめよ」 侑子は修の大きな手を握りしめ、その手をそっと自分の頬にあてた。 「もうあなたには、私がいるのよ。私のためにも、自分の身体を大事にして。もう、そんなふうに好き勝手に傷つけるのはやめて」 修は小さく頷いた。 「......ああ、分かった。約束する」 「修......ねぇ、少しだけでいいから、ベッドで抱きしめててくれる?なんだか、急に心細くなっちゃって」 弱々しく頼むその姿に、修は逆らえなかった。 「分かった。じゃあ、横になろうか」 修は手元のリモコンを操作して、病床の背を少しずつ倒していく。 侑子がそっと横になると、修もその隣に静かに身体を横たえ、優しく彼女を抱き寄せた。 侑子は修の顔を両手で包み込み、そのまま目を閉じ、唇を重ねた。 修も彼女の後頭部に手を添え、熱を帯びたキスを返す。 ―その唇から、互いの温もりが流れ込んでくる。 修のキスは、次第に深く、激しくなっていった。 ...... その頃― ヴィンセントはついに、命の危機を脱し、意識を取り戻した。 今はすでに一般病棟へと移されていた。 窓から差し込む陽光が、静かな病室をやわらかく照らし、穏やかな空気が満ちている。 ベッドに横たわるヴィンセントは、ゆっくりと身体から疲れが抜けていくのを感じていた。 そして、視線の先には―若子の姿。 彼女はずっとそばに座っていた。 その顔には、まだかすかに不安の色が残っていたが、彼が目を覚ました瞬間、ふっと力が抜けたように安心の笑みが浮かぶ。 その瞳には、安堵と喜びが柔らかく灯っていた。 「冴島さん......やっと目を覚ましたのね」 若子の笑顔は、まるで太陽の光そのもの。見る者すべての心を温めるような―そんな優しさに満ちていた。 千景は、一瞬、動揺したように目を見開く。 「今......俺のこと、なんて......?」 若子は、微笑んだまま答えた。 「冴島さん。そう呼んでって、あなたが言ったでしょ?だから私は、ずっとその名前を覚えてたの。一生、忘れたりなんかしないわ」 その言葉を聞いて― 千景の唇の端に、やさしい笑みが浮かんだ。 彼は―少しずつ、この「名前」を好きになっていった。 ずっと
「そうですよ、最初はそう思っていました」 侑子は冷ややかな口調で続ける。 「あなたがあんなことをしたと知って、本当に憎くて、できることならアメリカの刑務所で一生出てこられなければいいとすら思っていました。 でも、よくよく考えてみたんです。もしあなたが本当に捕まってしまったら、松本さんはまた『独り身』になるんですよね? そうなれば、修には山ほど理由ができます。きっと彼女と「やり直す」って言い出すはずです。そうなったら―私が捨てられる可能性も出てきます。 だから考えたんです。あなたが捕まらず、松本さんのそばにい続けてくれた方が、私にとっても都合がいいって。 ......『あなたのため』じゃなく、『私自身のため』に、そう決めたんです」 その言葉に、西也は長く沈黙した。 ―確かに、理屈としては通っている。 けれど、西也の性格は疑い深い。それだけで納得するわけがなかった。 「......俺は、なんでお前の言うことを信じなきゃならない?もしこれが罠で、俺をはめるための芝居だったらどうする?」 「信じなくても構いません」 侑子は淡々と返す。 「ただ、修は病院から出たらすぐに警察に証拠を提出します。そして私も証言します。 修は一流の弁護士を雇いました。あなたを本気で『牢の中に叩き込む』つもりなんです。 信じるも信じないも、あなた次第です。信じないなら、そのまま何もしないでいてください。そのうち、警察が迎えに来ますから」 再び、通話口から沈黙が返ってきた。 侑子の耳には、明らかに荒くなった西也の呼吸音が聞こえていた。 しばらくして― 「......もしお前が俺を騙してたら、絶対に許さないからな」 「遠藤さん、ひとつだけ申し上げておきます。 あなたが私を『許さない』ということは、つまり―修と松本さんを近づけることになります。 私たちはお互いを嫌っているかもしれませんが、お互いにとって『有益な存在』でもあります。 松本さんのそばにあなたがいれば、修は近づけない。そして、修のそばに私がいれば、松本さんに近づけない。 私たちが協力し合えば、それぞれの『愛する人』を守ることができるんです。 それでも、どうしても私を敵に回したいというのなら―仕方ありません。でも、遠藤さんほどの方なら、そんな愚かな
修は、ずっと侑子のそばにいて、彼女の検査を見守っていた。 ただ、心ここにあらずという感じで、どうしても―若子の哀しげな顔が頭から離れなかった。 「修、顔、大丈夫?医者に見てもらった方がいいんじゃない?」 侑子は心配そうに言う。 「もう腫れてきてるし」 修は軽く首を振りながら答える。 「大丈夫だよ。あと二日もすれば治るし、心配しないで。今はお前が一番大事だから」 侑子は、修の言葉を耳にし、心が温かくなった。 「そうだ、修。昨日、私に約束したよね?今日も検査を受けるって。じゃあ、先に行ってきて。二人で一緒にやろうよ」 修は少し迷った後、優しく言った。 「大丈夫だよ。お前が終わるまで待つよ。お前を見守ってるから」 「修、いいから先に行って。結果を待つのは一緒にするんだから、時間を無駄にしないで」 侑子は修の体調が心配で仕方なかった。 彼がしっかりと健康でいなければ―それが彼女の未来を支えるためにも必要なことだ。 この男が元気でないと、どうするんだろう― 修は、侑子が少しでも安心できるよう、そっと彼女の髪に手を置いた。 「わかったよ。今すぐ行くから、お前はここで待ってて。医者がちゃんと見てくれるから安心して」 侑子がいるのはVIP病室。最高のケアを受けられる場所だ。 それがあるから、修も少しだけ心が軽くなった。 「いってらっしゃい。何かあったら、すぐに電話するからね」 修は彼女の額に軽くキスをしてから、部屋を出て行った。 侑子はベッドに横になり、ふと窓の外に目を向け、深く息を吐き出す。 ―私はこんなに頑張ってるんだから、きっと天は私を見捨てないはず。 口元に、ほのかな自信を浮かべた笑みを浮かべながら。 しばらくして、携帯電話の着信音が鳴り響いた。 侑子はスマホを手に取った。 画面に表示されたのは、見覚えのない番号。 少しだけ首をかしげながら、通話ボタンを押す。 「はい」 「山田さん、俺だ」 その声を聞いて、侑子の表情が一瞬変わる。 楚西也―彼の声だった。 「遠藤さん......どうして、私の番号を?」 「お前の番号を調べるなんて、簡単なことだ」 そう言われて、侑子はすぐに察した。 ―紙、見たのね。 自分が渡したあの紙切れが、ちゃんと
彼の口から「自分を認めた」その一言。 それは―たとえ百回一緒に夜を過ごすよりも、ずっとずっと重い意味を持っていた。 心の底から「認めてくれた」。 それだけで、今までしてきたすべてのことが報われた気がした。 たとえ、修が「最初の男」じゃなかったとしても。 たとえ、さっき小さな嘘をついたとしても―あれが「初めて」なんかじゃなかった。 侑子には、それなりの経験があった。 決して、見た目どおりの「純粋な女の子」なんかじゃない。 むしろ、昔はスリルを求めて刺激的なことばかりしていた。 男の理性が壊れていく瞬間―その感覚に、快感を覚えていた。 修の前で「慣れていないフリ」をしていたのも、演技にすぎなかった。 でも。 ―今は違う。 本当に、彼を好きになってしまった。 今になって、ようやく分かった。 ―私、今までどれだけ目が節穴だったの? 昔の男たちなんて、何ひとつ価値がなかった。 金もない、顔もない、スタイルも微妙― でも、修は違う。すべてを持っている男。 だからこそ、絶対に―この男だけは離さない。 男を「落とす」ことなら、侑子にはそれなりに自信があった。 ...... 一方その頃。 西也は、人気のない場所まで歩き、そっと手を開いた。 手のひらの中には、くしゃくしゃになった一枚の紙切れがあった。 周囲を見回し、誰もいないことを確認してから、そっと紙を開く。 そこには、びっしりと文字が書かれていた。 【この前、あなたが修のところに行った時の映像、全部「隠しカメラ」に撮られてたわ。修はその証拠を警察に出すつもりよ。アメリカで服役する覚悟、できてる?】 ―その瞬間、西也の脳内に「ズドン」と重い音が鳴り響いた。 目を見開き、信じられないという表情で紙を見つめる。 足がふらつき、数歩後ろへよろける。 胸の中は、まるで嵐のようだった。 混乱、恐怖、怒り、疑念―すべてが渦巻いて、顔色は真っ青になっていく。 手が震え、紙をぎゅっと握りしめた時、背筋に冷たいものが走った。 ―どうしてだ?そんなはずない。 あのとき、監視カメラは全部潰した。 隠しカメラなんて、どこにあったっていうんだ!? 西也は紙に書かれた数行の文字を、じっと見つめていた。 ―クソッ
修はそっと目を閉じ、腕の中の侑子をぎゅっと抱きしめた。 大きな手で彼女の後頭部を包み込み、そして額に、静かにキスを落とす。 「侑子......いつも俺のことを考えてくれて、ほんとに......何て言ったらいいか分からない」 「じゃあ......何も言わないで」 侑子は顔を上げて、彼のあごに優しくキスした。 「修さえ望んでくれるなら、私はいつまでも『修の女』でいる。あなたのためなら、何だってする。あなたが幸せでいてくれるなら、それで全部いいの」 そのまま、侑子は照れくさそうに彼の胸元に顔をうずめ、再び彼に抱きついた。 その手はそっと修の胸に触れ―やがて、彼の頬へと撫で上げていく。 ―もう、これだけ関係が深くなっていて、他に何が必要なの? 自分はもう、完全に「修の女」なのだと。侑子の中では、それは揺るがない事実になっていた。 修はそっと彼女を横抱きにし、そのまま病室へと戻る。 ベッドへゆっくりと彼女を下ろし、慎重に寝かせた。 「侑子......さっきあいつに言った言葉、全部『俺のため』ってのは分かってる。でも、正直なところ......ちょっと無駄だったかもな」 「えっ?どうして?」 侑子は不思議そうに聞き返す。 「忘れたのか?あいつはもうすぐ『塀の中』だ」 侑子の表情が一瞬こわばる。けれどすぐに、照れ隠しのように笑みを浮かべた。 「そっか......あーあ、私ったら。そんな大事なこと、すっかり忘れてた。ごめんね、修。本当に、無駄なことしちゃった。 しかも、ちょっと感情入れて彼の手まで握っちゃって......あ〜、ほんと恥ずかしいっ」 「恥ずかしがることなんかないさ。お前は、俺のためにやったんだろ?」 修は、少し眉を下げて、優しく言った。 「でも―もう、そんなことしないで。俺、そういうの......辛いんだよ」 侑子はにっこり微笑んだ。 「たぶんね、心臓が悪いからかな。記憶力までダメになっちゃったのかも」 「構わないよ」 修は、彼女の頬に優しく手を添えて、静かに微笑んだ。 「責めたりなんかしない。あんな風に言ってくれて......俺、本当に感動したんだ。侑子、お前って......本当に優しくて、懐が深い女だよ」 彼のそばにいた女たちは、どの子もみんな―本当にいい子だ