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第1004話

Author: 夜月 アヤメ
「......ありがとう。俺を見捨てないでいてくれて。ずっと、信じて守ってくれて......そして、神様に祈ってくれて、ありがとう」

彼はひどくやつれた顔をしていた。

まるで、果てしない苦しみを乗り越えてきたかのように。

それでもなお、彼の持つ凛とした美しさは失われていなかった。

憔悴のせいで目元に陰りはあったけど、瞳の奥には確かな意志が宿っていた。

深く暗いその瞳は、まるで底知れない謎を秘めた世界のようだった。

若子は、ほんの一瞬きょとんとした。

「......どうして、私が神様に祈ったって知ってるの?」

「勘だよ」

彼はふっと口元をほころばせた。

その笑顔は、儚くも優しかった。

若子も、そっと微笑み返した。

―まあ、確かに。そんなの、分かる人にはすぐ分かるかもしれない。

「でも......どんなことがあっても、君がこうして目を覚ましてくれて本当によかった。本当に、ごめんなさい。修も西也も、あなたを傷つけたこと、彼らだって知らなかったの。ただ、私のことを心配しすぎて......二人に代わって謝るわ。それから、安心して。治療費も、これからの補償や看護も、全部私が責任を持つから。あなたは何も心配しないで」

「二人とも、相当君のこと心配してたみたいだな」

「ええ......二人とも、本当に私のことを心配してくれてた。でも、今は色々こんがらがってしまって......本当にごめんなさい」

若子が深く頭を下げると、千景は首を振った。

「謝る必要なんてないよ。誰かに守られてる君を見て、俺は安心した......マツには、俺しかいなかったからな。俺が倒れたら、もう誰も彼女を守れなかった」

その名前を口にした途端、千景の瞳にはまた悲しみが色濃くにじんだ。

その悲しみは、どんなに時が経とうとも、きっと消えることはないだろう。

若子はそっと言葉をかけた。

「マツは、今はもう悲しみも苦しみもない場所にいるわ。きっと、天国に行けたと思う。

それに、あなたが無事だったのはきっとマツが守ってくれたから。彼女はあなたに、悲しんでほしくない。幸せに、生きてほしいって、絶対に思ってる」

「......もし、俺が一生、幸せになれなかったら?」

千景は悲しげに言った。

「ずっと、痛みと絶望の中にいたら......どうしたらいいんだ?」

「そんなことない」
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