孝典の視線は梨花に注がれていた。しかし、口を開いたのは周囲の人々に向けてだった。「そろそろオークションが始まります。見逃したくない方は、早めにご準備を」その言葉に、孝典がこれ以上この話題に関わる気がないことを、周囲の人間はすぐに察した。場にいるのは全員が空気を読む達人ばかりだ。「藤屋社長のおっしゃる通り!今回のオークション、絶対に見逃せないですよ!」「そろそろ会場に移動しましょうか」そう口々に言いながら、皆が動き出そうとしたそのとき、場内の照明が一斉に落とされた。一瞬、軽いざわめきが走る。すぐに中央に一筋のスポットライトが灯り、進行役の司会者が登場した。一通りの挨拶を終えると、
梨花はすぐに「すみません」とだけ言って、足早に通り過ぎようとした。しかし――「おいおい、ぶつかっといて謝って終わり?そんなうまい話あるかよ!」荒々しい声と共に、腕を乱暴に引かれた。その勢いで梨花は壁にぶつかり、思わず「あっ」と声を上げた。その瞬間、男の酔いが一瞬醒めたのか、彼女の顔をまじまじと見つめた。そして、その小さな目がぎらりと光る。「おお……いい顔してんな。一晩、いくらだ?おれがまとめて払ってやるよ」太い腹の男はニヤつきながら、舐め回すような目で梨花を見た。どう見ても、彼女のことを夜の女と勘違いしているようだった。実際、この船にはそういう女たちも少なくなかった。コネで乗
梨花は、清が何を心配しているのかすぐに察した。そして彼を安心させるように、やさしく微笑んだ。「大丈夫。すぐ戻るから。もし橋屋社長との話を終えても私が戻ってなかったら、その時は探しに来て……これで、少しは安心した?」そう言われてようやく、清は彼女を送り出す気になった。クルーズ船は広く、梨花はしばらく迷いながらようやくトイレを見つけた。まるで金でできたような内装。壁は金色に輝き、洗面台には大きな鏡。鏡の縁には繊細な装飾が施されており、どこを見ても豪華さに満ちていた。手を洗い、戻ろうとしたその時。扉の外で、足が止まった。「梨花。こんなところで会うなんて、奇遇だね」声の主を見て、梨花は
ウェイターたちはグラスを手に、人々の間を行き交っていた。梨花は清の腕に軽く手を添えて、クルーズ船のデッキへと上がってきた。その姿はすぐさま幾つかの視線を集めた。理由は簡単だった。――彼女が、あまりにも美しかったから。深い紺色のドレスには小さな星のようなビジューが散りばめられ、光を浴びてきらめくその様は、まるで波打つ夜の海。静かでいて、底知れぬ深さを感じさせた。ふんわりと巻かれた髪が彼女の雰囲気を一層引き立て、ドレスの裾を軽く持って歩く姿は、まるで伝説の人魚姫が現れたかのようだった。このクルーズ船には、様々な人々が集まっていた。ビジネス界の新星、海外からの投資家、そして明らかに「狩り
梨花は反射的に断ろうとした。だが、まるでそれを見越していたかのように、藤屋夫人はやわらかく言葉を重ねた。「そういえば、私達、もうずいぶん会ってないわね。小さかったあなたが、こんなに大きくなって……まさか、もう他人行儀になるつもりじゃないでしょうね?」そこまで言われてしまっては、もう断るわけにはいかなかった。これ以上は情がないと思われる。仕方なく、梨花は招待を受け入れた。電話を切ったあとで、彼女はようやく思い出した。――孝典も、そのパーティーに来るかもしれないって聞いてなかった……あまり会いたくない。聞いておけばよかった、と後悔するが、もうかけ直すのも不自然すぎる。「まあ……いっ
梨花はその瞬間、すっかりおとなしくなり、手を離そうにも離せず、気まずさから目線が泳いだ。今にもバレそうで、内心はドキドキだった。助けを求めるように、隣の清をちらりと見上げる。幸いにも、清にはその視線の意味がちゃんと伝わった。梨花の母は病院で梨花の父の看病をしていたため、二人はあまり長居せず、早々に病院を後にした。もともと籍を入れていなかったのは、梨花の家が反対していたからだったが、今回父が折れたのを機に、梨花は不安を抱えていた。――また何かひっくり返る前に、今のうちに籍を入れちゃおう。ちょうど今回の出張に戸籍謄本を持ってきていたので、二人はその足で役所へと向かった。そしてしばらく