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第6話

作者: 枝火
伸は少し驚いた。病院から電話を受けたとき、彼はまだ深雪の両親と食事をしていた。

そのとき、一瞬冷や汗をかき、深雪一家を置き去りにして急いで駆けつけた。

幸い、鹿乃に大きな怪我はなかった。

「夜は取引先との食事で、大きな案件を追ってたんだ。病院から君が事故に遭ったと聞いて、すぐに来たんだよ」

鹿乃は瞳を伏せず、真っ直ぐに彼を見つめた。

「さっき帰ってきたの?」

「そうだよ、鹿乃。もう、すごく疲れた......」伸は眉間を軽く指で押さえた。

鹿乃はゆっくりと目を閉じ、それ以上何も言わなかった。

伸はそのまま彼女のそばに座り、静かに付き添った。だが、ほどなくして彼のスマホが鳴り始めた。

彼はすぐに着信を切ったが、相手は諦めずにまたかけ直してきた。

伸は音を消し、俯いてメッセージを送った。

1分後、彼は明らかに落ち着きをなくし、何か口実をつけてそそくさと部屋を出て行った。

伸が出て行って間もなく、絵美が鹿乃を見舞いにやって来た。

ただ、その表情はどこか険しかった。

「当ててみて、私が誰に会ったと思う?」

そう言われ、鹿乃は体を少し起こし、数秒考えてから答えた。

「伸?」

絵美は唇を尖らせ、嫌そうに顔をしかめた。

「この病院の3階は産婦人科なんだ。エレベーターのドアが開いた瞬間に、伸と木暮深雪が並んで立ってるのが見えた」

「おかしいと思って、周りに紛れて後をつけたんだけど......あの女、妊娠検査の結果を持ってたよ。伸なんてもうニヤニヤで、『俺、父さんになるんだ』って繰り返してた」

鹿乃は一瞬呆然としたが、すぐに目を伏せ、表情ひとつ変えずに言った。

「妊娠したんだね」

絵美はその落ち着いた様子に違和感を覚え、思わず鹿乃の額に手を当てた。

「怒らないの?熱が出て頭がおかしくなったわけじゃないよね......?」

鹿乃は淡く笑い、かすかに唇を開いた。

「知らないんだね......伸は子供を作れない身体なんだ。お医者さんからそう言われたんだよ」

3年前、二人で1年近く妊活をしても全く結果が出ず、原因は自分にあると思っていた。

病院で検査を受けた際も、伸は彼女の精神的負担を心配し、一緒に検査を受けてくれた。

しかし、出た結果は、

小笹伸、不妊症。

その夜、彼女は一睡もできず、子供を持たずに生きていく覚悟を決めた。

伸さえ自分を愛してくれれば、それでいいと思った。

彼のプライドやキャリアを傷つけないよう、担当医にも頼んで「自分の体調を整える必要がある」ということにしてもらっていた。

それなのに今、伸が「父さんになる」と嬉しそうにしている姿は、この3年間、自分が必死に隠してきたことすべてを愚かに思わせた。

「うわ......とんでもない修羅場だね」

絵美は興奮して、思わず立ち上がりそうになった。手をこすり合わせながら目を輝かせた。

「いいこと思いついた。5日後、鹿乃はノルウェーに移住するでしょ?何も知らないフリをしよう」

「深雪が子供を産んだら、伸の不妊証明書を送りつけてやろうよ。彼、発狂するかもね?」

翌朝、伸は病院に来なかった。

午後、秘書が病室にやって来て、結婚式の準備状況を報告したあと、少し躊躇ってから鹿乃を見た。

「言いたいことがあるなら、はっきり言って」

鹿乃はきりりと眉をひそめた。

秘書はおずおずと視線を落とし、小声で告げた。

「今日の昼、社長に資料をお届けするよう言われて別荘に行きました。そのとき......木暮さんが、奥様の家のリビングのソファにパジャマ姿で座っているのを見ました」

「奥様には本当にお世話になっていますので、これは黙っていられなくて......」

足元から冷たいものが這い上がるような感覚がした。鹿乃の顔色がうっすら冷たくなった。

自分がまだ入院しているのに、深雪はもう家に入り込んでいる......?

昨夜、伸が「退院のときは必ず連絡して。迎えに行くから」と言った理由がようやくわかった。

「わかった。ありがとう」

鹿乃は机上のスマホを手に取り、別荘の監視カメラを確認しようとした。

だが、画面は真っ暗だった。

伸が事前にカメラを塞いでいた。

鹿乃は眉をひそめ、まだ部屋にいる秘書を見た。

「今夜、伸と木暮を外に誘き出して。その間に新しい監視カメラを設置してもらって。誰にも気づかれないように」

「はい、奥様」

深夜10時。

伸が病室に現れた。

病床に横たわる鹿乃を見つめ、黒い瞳にかすかな後ろめたさを浮かべた。

「鹿乃、俺を呼んだのは......会いたかったからだよね?ごめん、今日一日忙しくて......」

鹿乃は眉をひそめて彼の言葉を遮り、あえて逃げ道を作ってやった。

「知ってるよ。私の誕生日パーティーの準備で忙しかったんでしょ?だから、今日遅くなったんだよね」

伸は一瞬固まり、それから笑顔を浮かべて彼女の手を取り、優しく揉んだ。

「やっぱり鹿乃は、わかってくれるんだね」

鹿乃は伸を見つめ、そのまま彼の言葉に合わせて静かに言った。

「うん、全部わかってるよ。伸がしていること、全部」

伸の心臓が一瞬止まったように感じた。

「鹿乃......」

何か言おうとしたとき、看護師が治療ワゴンを押して入ってきて、新しい点滴を取り替え始めた。

翌日。

鹿乃は監視カメラの映像を開いた。

そこには、伸と深雪が一緒にランチをしている姿が映っていた。

深雪は、いつも自分が座っていた席に腰掛け、妊娠を口実にわがままを言いながら食事を渋っていた。

伸は辛抱強くスプーンで一口ずつ食べさせてあげていた。

「ちゃんと食べないとダメだよ。元気な赤ちゃんを産んで......それから鹿乃に頼んで、俺たちの子供を養子として迎えてもらうんだ」

30分後、深雪はお腹いっぱいになって満足そうに階段を上っていった。

伸は召使いを呼びつけ、真剣な表情で言った。

「深雪は妊娠しているから、わがままを言っても我慢してやってくれ。それと、深雪がここに住んでいることは鹿乃が帰ってくるまで、誰にも言うな」

「はい、旦那様」

鹿乃は無表情でその映像を見つめ、画面を閉じた。

そして秘書に向かって指示を出した。

「招待状の準備を進めて。今日中にリストをまとめるから」

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