結局、アスナが部屋に軽食を運んでくる、ということで落ち着いた。腹は減っていないと言っているのに「お前はもっと食うべきだ。やせすぎ」とアスナが譲らなかったのだ。俺はベッドの上に座り、アスナが手に持ったサンドイッチを「あーん」で食べさせられるという辱めをうけた。こんなことならさっさと食堂に行っておくのだった、と後悔したが後の祭り。全く今日はなんという一日だ!翌朝、両親や皆に引き留められるまえにさっさと学園に戻ろうと荷物を纏めている俺に、アスナが特大の爆弾を落とした。「見なくていいのか?」「?何をだ?」「あー……侯爵のコレクション。結構な量があるが……どうする?持ってく?それともここに置いてく?」そもそもの目的だったというのに、色々あってすっかり忘れていた!「クソ!アスナめ!お前のせいだぞ!」「なんで俺?!」「お前が俺の心を乱したせいだ!下僕の癖に!」「八つ当たりするアスカも可愛いな?」「頭沸いてるのか?黙れ!」「はいはい。黙りますよ。お前もちょっと黙ろうな?」ちゅ、と唇にキスをされ思わず息を呑む。「ん。落ち着いたか?」子供のように頭をポンポンと撫でられた俺が激高するより先に、「マジな話な」とアスナが身に纏う空気をガラリと変え、目の前の床を指さした。「当主に見せる前に、お前が確認したほうがいいぞ。予め除くべきもん除いておかねえと、死人が出る。とりあえず、ここに並べるから、確認してくれ。妖精姫には見られないほうがいいだろう?」甘さを微塵も見せず淡々と述べるアスナに、だからこそ背筋が冷たくなった。「…………そんなにヤバいのか?」一瞬で全身に鳥肌が立つ。俺のもあるんだろう?いったい何を見たんだ?「ああ。俺も急いでたからチラッと見ただけだが……ヤベエ」影からひとつひとつ取り出し、並べていく。右の方に父上に見せていいもの、左に絶対に外に出してはならないもの、と分けていくことにした。「まずは……これ」最初に出てきたのは、母上の肖像画だった。「……意外と……普通だな。いや、デカいし凄いものではあるのだが」そう。大きさはまるでホール正面の壁に掲げるようなサイズ。代々の当主が描かせる類の特別なものではあるが、描かれた母上の姿はさして特別なものではない。日傘をさした母上が綺麗な庭園でこちらを見てほほ笑んでいる、というもの。画面
確かに俺は言った。「キスだけだぞ」と。それを許可したのだと言われれば、そうだろう。アスナが好きだとはっきり伝えたのだから、それで「許可していない」と言うのほうがおかしい。今さら「勘違いだ」などと言い逃れるつもりもない。だが………俺は声を大にして言いたい。30分も続くキスなんてねえわ!馬鹿野郎!あれから俺はアスナに喰われた。アスナは「最後まではしない」という約束を守った。それは褒めてやる。こういう言い方もどうかと思うが、前世の貞操観念を持っているアスナからすると「なし崩し的に……」というのも十分有り得る状況だったのだ。何年も共に過ごし、すったもんだの末に死に別れ、世界を超えて奇跡の再開を果たし、ようやく想いを伝えあった二人。やりたい盛りの年齢、かつこの状況でよくぞ耐えたものだと思う。。勿論、俺にはそういう行為に至る心の準備などできていない。もしアスナが俺のケツに手を出しでもすれば蹴り倒していただろうが。しかし、最後までしなかっただけで、それ以外のことは全部されてしまった。深いキスを繰り返し、俺がもうろうとしている間に徐々にその唇は首、肩に。同時にさり気なくその不埒な手が俺の腹や腰を優しく辿る。くすぐったいような、ゾクリと肌が泡立つような感覚。未知の感情に心が追い付かない。「アスナ……どこ、触っ……んんっ……!」止めようと伸ばした手を取られ、指の一本一本に舌を這わされた。身体に力が入らない。頭がぼうっとする。怖い。気持ちいい。熱い。嬉しい。逃げたい。もっと触れて欲しい。本当に嫌なら魔法で拘束すればいい。蹴り倒してやればいい。それなのに、反する感情に戸惑い、結局俺はアスナに何もできなかった。俺が反応した箇所に手でも唇でも触れられた。指の後を舌が辿り、嫌がって身をよじれば「ダメ」と宥めるように軽く歯を立てられた。男の胸なのに、あんなに感じるなんて知らなかった。知りたくもなかった。最後にはどこに触れられても気持ちがよくて死ぬかと思った。下半身だけは守り通した自分を自分で褒めてやりたいと思う。上半身だけで満身創痍だったのだ。もし触れられていたら確実に死んでいただろう。だが「何をされた」と言えば………キス、ということになるのだろう。確かにお互いに射精しても挿れてもいないのだから。あえていうならばペッティング?まあ、
ハッとして慌ててアスナを押しのけようとするが、滴るような色気を漂わせたアスナがそれを許さない。「ダメ。もう了承は得ただろう?本当に嫌なら舌を噛めばいい」そう言ってニヤリと笑うと、再び唇を奪われた。噛めばいいだって?俺がお前を?俺が本気で噛めばお前の舌など千切れるぞ?いいのか?「………ふふ。アスカってば、なんだかんだ俺に優しいもんな?」そう言って笑ったアスナの顔から茶化すような色が消えた。瞳孔が開ききったアスナの瞳の中に、トロリととろけただらしない表情の俺の顔が見える。クソ!なんて顔をしているんだ俺は!自らに対する悔しさのあまり目に涙が滲む。そんな俺に、アスナが何かに耐えるかのように苦し気に顔をゆがめた。ゆっくりと身をかがめ、俺の耳元に口を近づけた。懇願を含んだ真摯な声が耳の中で甘く溶ける。「アスカ……好き。今だけでいい。最後まではしないから、俺にほだされてくれ……頼む……怖がらないで………」俺の顔の横に置かれたアスナの手が小さく震えている。こいつ、どれだけ俺のことが好きなんだ?どうしてこんなにもこいつは……湧きおこった胸の痛みは、切なさと愛おしさによるもの。前世ではアスナの愛が、執着があんなに嫌だったのに。あんなに怖かったのに。いいや、違う。俺が本当に怖かったのは、……周りの目だ。俺が本当に嫌だったのは……自分自身。アスナの横にふさわしくないと罵られた。アスナを縛り付けるな、アスナを開放しろと責められた。そんなこと、誰よりも俺が一番よく分かっていた。アスナが俺のどこがいいのか全く分からなかった。親にも愛されない俺。愛される自信なんてなかった。だから逃げた。俺がこんな目にあうのはアスナのせいだと。なのになぜアスナは俺を助けないんだ、と。アスナさえいなければこの痛みは無くなるような気がした。みじめな自分を見なくていいと思った。全部アスナのせいにして、アスナから逃げればすべてが上手くいくのだと。そして、もっと自分に自信がもてるようになったら、また………。そんな未来は無かった。気付けば俺はこの世界にいた。もういいだろう。だって、こいつはここまで俺を追ってきた。どんなに邪険にしても、こき使っても、こいつが欲しがるのは俺だけなのだ。それに今の俺は前世の俺とは違う。愛されているし、力もある。生まれ持った
こうして何故かご機嫌の母上のお茶に付き合い、ようやく自室に引き上げた。そう、あの後、結局学園には戻れず一晩公爵家に泊っていくことになってしまったのだ。…………さすがに疲れた。行儀悪くベッドにゴロリと横になりながら、アスナを手招きする。いそいそとやってきたアスナが、ベッドをギシッときしませ俺の横に腰かけた。「こら、侍従の態度じゃないだろ?わきまえろ。「はいはい」言いながらも二人だけの気安さ、全く態度を改めようとしないアスナ。まあいい。ごちゃごちゃ言うのも面倒くさい。「なあアスナ、お前母上に何を言ったんだ?」「ああ、大したことは言ってねえよ?『奥様、奥様のお誕生日を来月に控え、ご主人様とアスカ様がお二人でこそこそされている……。何をしているかなど明らかではございませぬか?追及しないで差し上げてください』ってさ。そんだけ」思わずガバリと起き上がる。「アスナ、天才かお前は!」母上の態度が急に変わったのにも納得だ。それなら母上がこれ以上追及してくることはあるまい。それに今後の処理も格段に楽になる。「我ながらナイスだろ?公式の妖精姫のバースデー、たまたま母さんと同じだったんだよ。覚えててよかったぜ!」「お前を従魔にしてよかったと初めて思った」「いやいやいや!俺けっこう役に立ってるよな?今日だって大活躍だっただろ?」「まあ、確かに。便利ではある」「俺はツールかよ!」「はははは!使い勝手のいい万能ツール、アスナだな!」「もう!」などと言いながらアスナも俺の横にゴロリと横になった。「だから、その態度不敬だっての!」「うっせえ!たまにはいいだろ?普段はちゃんと侍従してやってんだからさ」「生意気だぞ、下僕の癖に」と。アスナの空気が急に甘いものになった。「……なあ、俺今日頑張ったよな?あちこち飛び回ってさ。俺じゃなきゃできないだろ?」「確かに文字通り飛び回っていたな?ベッドには羽を落とすなよ?」茶化すように言ってその髪を摘まんでやれば、一気に距離を詰められる。半身を返して、まるで俺に半分乗り上げるような態勢に。「おい!近いぞ!」「ご褒美が足りない」「はあ?先渡ししてやったろ?」「変体って結構消耗するんだぜ?俺だから日に何度もできるんだ。だろ?」「俺の魔力をやったんだぞ?十分釣りがでるはずだ」「じゃあ、妖精姫をごまかしてや
キプロスは頭をポリポリと掻いて深く嘆息した。「それ、是以外の答えをしてもいいんですか?」「かまわんが、是以外ではお前にデメリットしかないぞ?」面白そうにニヤリと唇の端を上げる父上に、降参とばかりに両手を上にあげて見せるキプロス。「御意。全て仰せの通りに。せっかくのご厚意、有難く頂戴いたしますよ。全て騎士団の手柄、ということで承ります。一応これ、貸し借り無し、ということでよろしいのですよね?」「貸しにしてやっても構わんが、どうする?」「いやあ、悪い冗談を!お互い貸しひとつづつ、相殺ということで」にっこりとほほ笑み合い握手を交わす二人。話は着いた。「では私と息子は退散するとしよう。では殿下、後のことはお任せ致しますよ?」「レオン、すまんが外にいるエリオットにも話を通しておいてくれ。では、『キプロス騎士団長。素晴らしい活躍だった。さすが我が国が誇る騎士団。事態の速やかな収拾にに感謝する』。アスナ、来い!帰るぞ!」「あ、もういいのか?了解!」ひらひらと片手を振り部屋から退出する。帰りがけにホールの罪人共の俺に関する記憶ぬ蓋をし、さらに念には念を入れて「ゴールドウィンについて一切の話ができぬように」と制約を課しておく。「ほう、器用なものだな。アスカ、腕をあげた」父上が満足そうに褒めてくれる。「闇魔法の応用ですよ。奴らの中の『アスカ』に関する記憶に呪いをかけ闇に沈めたのです。幻術の一種ですね」「まだまだ便利な使い方ができそうだな」「はい。アレンジが効くので助かっています」「その使い方は他には言うなよ?愚かなことをたくらむ輩がいないとも限らん」「ふふ。私を利用したいのならば、私以上の力が無ければなりません。そんなものがいるとでも?」「ははは!愚問であった。許せ。だが、何かあればこの父に頼るのだぞ?」ぽんぽん、とまるで幼子にでもするかのように頭を撫でられた。最恐最強と言われる俺だが、父上にかかると「まだまだ頼りない可愛い息子」なのだ。それが少し面映ゆい。こうしてすべきことをすませて戻ってきた俺たちを迎えたのは……怒りもあらわに玄関ホールに仁王立ちした母上と、その後ろでしれっと控えるバードだった。「……お帰りなさいませ、ご主人様、アスカ様」「うむ。変わりはなかったか?」「はい」いや、あるだろう?何故母上がこうなって
我がもの顔でキプロスを父上たちがいる部屋へ案内すれば「……なんと………」彼は室内を一瞥したとたん、唖然とした様子で立ち竦んだ。そこには、足を投げ出すようにしてソファにふんぞり返る父上、そしてなぜかそんな父上の前で床に膝をつくレオン。焼け焦げた暖炉の前の床には、侯爵が「燃える……全て燃えてしまううう……」などと言いながら芋虫のごとく転げまわっている。「失礼致します……これは……どのような状況なのでしょうか?」心底訳が分からないというように顎を撫でるキプロス。レオンは何事もなかったかのようにスッとその場に立ち上がり、貴公子然とした様子で答えた。「キプロス、待っていたぞ。アスナから侯爵に反意ありとの情報を得たのでな。真偽確認のため私も足を運ぶことにしたのだ。婚約者であるアスカが自ら裁きに向かったというのだ。放ってなど置けぬだろう?」いや、それよりなにより、なぜおまえは父上の足元に膝まづいていたのだ?キプロスの疑問の大半はそこにかかっているのだと思うぞ?なにより俺も知りたい。どういう状況だ?ほんの少し離席した間に何があった?キプロスと共に父上の方に視線を向ければ、眉尻をクイっとあげ肩を竦められてしまった。言うつもりはないということだろう。「使用人共は片付いたか?」「はい。みな自らの罪を痛いほど理解していることでしょう」暗に「既に報復済み」だと匂わせれば、満足げに頷く父上。「レオンハルト殿下から、今回の詳細について説明があります。お聞きください」面倒なので説明はレオンに丸投げしした。団長もレオンには矛盾を追求したりはすまい。「そういうこと」として万事処理されるだろう。レオンは俺が面倒になって丸投げしたのが分かっているようだ。苦笑しながらも、先ほどの内容をキプロスに伝えてくれた。「……というわけだ。今回の立役者エリオットには、侯爵に加担していなかった使用人を選び出し、外に一時避難してもらっている。逆上した反逆者どもが何か危害を加えるといけないからね」「……殿下……。状況は理解いたしましたが、自らの身をこのような危険にさらす行為はお控えください。こういった場合の対処は私共の仕事ゆえ。これで殿下の御身になにかあれば本末転倒ではござりませぬか!」うん、至極真っ当な意見だ。俺も通常ならばそうするのだが、今回は迅速にブツを回収し、話