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第1079話

Author: 楽恩
紀香は吐き気を催した。

――この自信満々の勘違い男、最悪。

「どうしたんだ?」デザイナーがモデルたちを引き連れてカーテンコールから戻ってきた。

客席に人だかりができているのに気づき、慌ててその中心へ。

男の顔を見た瞬間、デザイナーの態度は一変、媚びを含んだ笑みを浮かべる。

「誰が怒らせたんです?」

男は腕を上げて紀香を指さした。

「こいつ、お前が呼んだのか?」

デザイナーはその指先の方向を見やり――紀香だと気づくと、表情に迷いが浮かんだ。

この藤屋家の男は、美人に目がなくてショーに出資していることでも有名だった。

だからこそ、今までは見て見ぬふりをしてきた。

だが、相手は紀香。

知名カメラマンであるだけでなく、楓の弟子でもある。

小松家は藤屋家ほどではないにせよ、一介のデザイナーが敵に回せる家柄ではない。

中立に収めるしかない――

「たぶん、私のデザインを撮影したくて来たんじゃないかな。名前を聞いて訪ねてきたのかと……」

紀香は呆れたように目を剥いた。

――カリナに頼まれたから仕方なく来ただけで、このレベルの服、わざわざ撮るほどでもない。

「慕って来た」なんて、ちゃんちゃらおかしい。

言い返そうとした瞬間――

「そこ、何してる!どけ!」

怒声が飛び、人々がざわめきながら道を開ける。

制服姿の男たちが現れる。

男は来た人物を見て、急いで煙草を差し出した。

「いや〜こんなことで、来てもらうなんて……」

だが、その男は煙草を受け取らず、まっすぐ針谷のもとへ。

深く腰を折り、恭敬に言った。

「お待たせしました」

――その瞬間、場の空気が凍りついた。

観客も、あの男も、目を見開いた。

この隊員たちは、藤屋家が養っている私設の部隊。

彼らに頭を下げさせるとは……一体何者なんだ、この男は?

針谷は手短に事情を説明し、淡々と尋ねた。

「処理の仕方、わかってるな?」

隊員たちは即座に紀香へ向き直り、九十度の角度でお辞儀をする。

「ご迷惑をおかけしました、奥様」

「……」

紀香は藤屋家と関わるなんて、一番避けたいことだった。

特に、清孝との夫婦関係なんて、誰にも知られたくなかった。

だが、この状況では否定しても無駄だ。

小さく「うん」と返事をするしかなかった。

「ホ、ホンモノの奥様だったんだ……」

「つ
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