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第1080話

Auteur: 楽恩
そして、電話は切れた。

彼は思った。三時間も経たないうちに、あの人はきっと現れるだろう。

案の定、紀香を空港まで送ったとき、急いでやって来た清孝と鉢合わせた。

紀香はここに長く留まる気はなかった。写真を送ると、すぐに立ち去った。

そして清孝の登場も、彼女にとっては驚きではなかった。

針谷がついているのだから、彼が来ることも想定内だったのだ。

「どうだ?どこか痛いところはないか?」

清孝は紀香の手を強く握り、彼女の身体を隅々まで確かめた。

手首の赤い痕に目を留めた瞬間、その瞳は冷たく光った。

針谷はすぐに言った。「すでに処理済みです。絶対にあいつをただでは済ませません」

それでも清孝の表情は険しかった。彼は紀香の手を引き、VIPラウンジへ向かった。

紀香は拒み、力いっぱい彼の手を振り払った。

けれど、予想外だった。以前なら決して振りほどけなかった拘束が、あっけなく外れたのだ。

目の前で清孝が崩れ落ち、腹部を血に染めながら倒れ込む姿を、彼女はただ見つめていた。

その時、由樹が近づいてきて、流れるような動きで清孝の傷を処置し、点滴を繋いだ。

薬瓶を掛ける場所がなかった。

由樹はそれを手に持ち、片手をポケットに入れながら、冷たい声で言った。

「死にはしない」

「……」

だが紀香には、今の彼の姿は医者には見えなかった。

薬瓶を掲げるその様子は、清孝の魂を連れていく閻魔のようだった。

「私に言わなくてもいい。私と彼には関係ない」

そう言って、彼女は搭乗口へ向かおうとした。

由樹が突然呼び止めた。「紀香さん」

紀香は一瞬足を止めたが、すぐに歩き出した。

由樹は冷淡に言った。「こいつ、病気なのを知ってたか?」

「精神的な病だ」

紀香の歩みは一度も止まることなく、警備員検査場へと進んでいった。

由樹は少し驚いた。表情を変えることのない彼女の眉が、わずかに動いた。

そんなにも冷酷とは——

もう、本当に愛していないんだな。

……

紀香は窓際の席に座った。

針谷が隣に腰を下ろした。

彼女は眉をひそめたが、何も言わなかった。

本当は大阪に戻るつもりだったが、考えてみれば、来依や南の状況はあまりよくない。

そのため、乗り継ぎの途中で鳥取へ向かった。

動物の撮影がなければ、風景を撮った。

果てしない砂漠の光景は、圧倒的だ
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