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第1088話

Author: 楽恩
言えば言うほど、彼女は感情を抑えきれなくなっていった。

顔も首も真っ赤に染まり、涙は止まることなく溢れ出した。

拭っても拭っても、次から次へとこぼれ落ちる。

紀香は乱暴に涙を拭いながら、清孝に向かって叫んだ。

「出てって!」

清孝はティッシュを引き出し、そっと差し出したが、彼女は受け取らなかった。

「出てけって言ってんの!」

唇をきゅっと引き結び、彼の低く沈んだ声には、深い後悔が滲んでいた。

「昔、俺がやったこと、言ったこと、全部認める。君を傷つけたこと、それが一日二日で許されるなんて思ってない。でも、香りん……君が俺を殴っても罵っても、何をさせてもいい。でも、君を諦めることだけは、俺にはできない」

紀香は無言でドアを開けた。

何も言わなくても、「出ていけ」という意思は明白だった。

清孝は彼女の前に立ちふさがった。

「今日来た面接者たちは、俺に敵わなかった。君は、俺たちの関係を理由に俺を不採用にするのか?それは違う。俺は、今から仕事を始める」

紀香は呆れて笑った。

「あんた、どう見てもアシスタントの器じゃないでしょ?

どう見ても、面接者には見えないわ。

面接者ってのはね、社長の気持ちひとつで、どんなに優秀でも不採用になるもんなの。嫌なら採らない、それだけよ」

清孝は、まったく動じなかった。

「私情で判断するのはよくない。仕事は仕事、生活は生活。一緒くたにはできない」

紀香は彼と口論するのをやめた。

小さい頃からずっとそうだった。彼の論理的な話し方には敵わなかった。

策略も然り。

勝てないなら、無駄に争うだけ損。

「私は男のアシスタントはいらないの」

「でもさっき面接した人の中には男もいたよね?いらないなら、最初から募集要項にそう書くべきだったんじゃない?」

紀香は確かに、男性アシスタントを一人必要としていた。機材を運んだり、力仕事があるから。

けれど、そこを突かれるとは思わなかった。

「初めて社長やるんだから、完璧じゃなくて当然でしょ?それが何よ。私の会社、私のやり方よ」

「もちろん、それでいい」清孝は軽く頷いた。「君が社長だから、君の言う通りになる」

「じゃあさっさと出てって。私はあんたなんか要らない!」

清孝は静かに言った。

「香りん、そこまで感情的に俺を拒絶するってことは……心のどこかに、まだ俺がい
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