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Author: さぶれ
last update Huling Na-update: 2025-08-14 06:00:52

「不安か?」

 ふと蓮司が聞いてきた。私は慌てて首を振る。

「いえ、そんなことは......ただ、なんだか不思議だなって思って」

「不思議?」

「昨日まで本部長だった人と朝食を食べて、これから一緒に婚姻届を出しに行くなんて。まるで夢みたい」

 正直な気持ちを口にすると、蓮司は少し考え込むような表情を見せた。

「俺にとっても初めての経験だ。結婚というものは」

「初婚ですもんね」

 考え直すなら今ですよ、と言いたいところだけれども、そんなことを言っても多分彼の意思は固いだろう。プライベートな空間へすでに私を招き入れているんだし。

「ああ。だから、わからないことも多い。もし迷惑をかけることがあったら言ってくれ」

 意外な言葉だった。いつもの冷静で完璧な本部長ではなく、少しだけ人間らしい一面を見せてくれたような気がして、私は小さく微笑む。

「私の方こそよろしくお願いします。一年間......よろしく」

「ああ、よろしく」

 そう言って、蓮司も僅かに口角を上げた。 笑顔というほどではないけれど、いつもの無表情よりもずっと柔らかい表情だった。

「うまい朝食だった。ありがとう。洗い物は食洗器にかけるだけだから、俺がやる。君は支度に準備がかかるだろうから、ここは任せてくれ」

 なんと片づけを買って出てくれた。こんなこと言われたことない…!

「よろしいのですか?」

「ああ」

「ありがとうございます! すごく、すごく嬉しいです!!」

 大げさかもしれないけれど、今まで「お前がやって当たり前」の世界で生きてきた私にとって、蓮司の言葉はほんとうに嬉しかった。気遣われるって、なんてありがたいのだろう。そしてどれだけ全夫との夫婦生活が劣悪な環境だったのか、身に染みて思った。

「ひかり、大げさだ。当然のことだからいちいち礼を言うな」

「それでも、嬉しい時は感謝の気持ちを伝えます。それが私のモットーですから!」

 お辞儀してキッチンを後
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